蒐集癖

「私の趣味はだるまの置物を集めることです」
 と高校時代の担任の先生が授業中に言われたとき、私は、そんなものを集めてどこが面白いのか、と思った。友人たちと先生のお宅を訪ねたとき、一室がだるまの置物で占拠されているのを見たときも、こんなものを集めてなにが面白いんだろうと思った――そのとき先生のところでは女の子が生まれたばかりで、そちらの方は文句なくかわいいと思ったが。
 それから二〇数年後の三月、勤め先の大学の卒業式の日に、私が記念写真に加わるために校舎のロビーに立っていると、袴をはいた学生が近寄ってきて、「私の父は先生の高校時代の担任をしておりました」と言ったので、驚いた。そのとき、私の目に、赤ん坊のときの彼女と、山と積まれただるまの置物が浮かんだ。
 他人の趣味など、所詮は、「そんなことやってなにが面白いんだろう」といったものだろう。そして、趣味のなかでも、蒐集には特にそれが当てはまるようだ。切手を集めるとか、万年筆を集めるとか、古い陶器だとか刀の鍔だとかを集めるという話をよく聞く。割箸の袋を集めたり、駅弁の包装紙を集めたり、マッチ箱のラベルを集めたりする人もいるそうだ。喫茶店で出すコップのコースターを集めている人もいる。喫茶店やレストランから黙ってスプーンを持ち去って集めている人もいると聞いた。こうなると犯罪である。いずれにしても、それを集めていない者から見ると、どうしてそんなものを集めるんだろう、ということになる。
 イギリス人は民族性として蒐集癖があるようだ。ロンドンの「ヴィクトリア・アンド・アルバート・ミュージアム」に行くとそれがよく分る。あれは、集められるものはなんでも集めてしまう、ということで成り立っているような博物館である。ドアの取っ手のコレクションがあって、大きな壁面全体に無数のドアの取っ手がびっしりと植え付けられているのは異様な光景である。錠前だとか剣だとか楽器だとかのコレクションも私の記憶に残っている。
 「大英博物館」も同じである。ここでは古代ギリシャの遺物のコレクションが目玉だが、これもかつて大英帝国と言われた時代にギリシャでかき集めて持ってきたものである。来年のアテネ・オリンピックに向けて、それらをギリシャに返せとギリシャ政府が要求しているが、まあ返さないだろう。そのほかにも切手だとか時計だとかのコレクションもあり、なかには「こんなもの集めてどこが面白いの?」みたいなものもある。私はここで日本の招き猫が陳列されているのを見た。
 私が蒐集ということを特に不思議に感じるのは、私にその趣味がないからだろう。しかし、ちょっとしたきっかけで何かを集めだすと、きっと狂ってしまうだろうな、という予感がないわけではない。そうならないことを願っている。

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