ブレーキの教訓

 今から三〇年以上前に自動車教習所に通っているときに、指導員から、困った状況になったらとりあえずブレーキを踏め、と教えられたことをとてもよく覚えている。車を運転しているときには常に冷静でなければならないが、それでも一瞬どうすべきか迷うことがある、そういうときにはとりあえずブレーキを踏め、というのである。ブレーキを踏んで、自分の車が減速しているあいだに、困った状況そのものが通り過ぎてしまう場合が多い。いちばんいけないのは、どうしていいかわからないときにやみくもにアクセルを踏むことだ、というのである。
 まあ、車に関しては、あたりまえと言ってしまえばそれまでだが、これが私の心に強く残っているのは、そこに車の範囲を越えた意義を感じたからだろう。
 一般の生活のなかで、困った状況になったとき、アクセルを強く踏んで早くその状況を脱したいと考えるのは人の常ではないだろうか。私には特にそういう傾向が強いようだ。とにかく焦ってその状況を抜け出ようとする。うまくいかないとますます焦ってさらに困った状況に自分を追い込んでゆく。そういうときに、足を踏み変えて、ブレーキを踏んでみたらどうか。――でも、これはとても勇気のいることだ。アクセルを踏む方が気分的にはずっと楽なのである。ブレーキを踏むのはなんだか敗北主義みたいな気がするのだ。しかし、長い人生には、アクセルを踏み続けることにどんな意味があるか、よくわからないときだってある。そういうときには、思い切ってブレーキを踏んでみる――そうすることによって新しい展望が開けてくるかもしれない。
 しばらく入院していた人が、退院後、それまでとはまったく違う人生を歩み始めるということがある。その人にとっては、入院という人生のブレーキが転機につながったのだろう。だったら、入院しなくたって、自分でブレーキをかけることもできるはずだ。ブレーキをかけた後に前と同じ道を歩むにしても、それは無意味ではないはずだ。
 心にいつもブレーキを!――これが今日の教訓である。

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