二〇年の長さ

 いまからちょうど二〇年前、二〇歳になったばかりという学生と話をしていたとき、彼女が私に「先生はおいくつですか?」と尋ねるので、「ちょうど四〇だよ」と答えた。すると、彼女はちょっと考え込むようにして、「私、四〇になったらもう死んでもいいんです」と言った。私は死ぬべき命を無駄に生きながらえていると言われたように感じた。でも、怒るわけにもいかないので、「ずいぶんはっきり言うんだね」と言うほかなかった。そして、余計なことだと思いながら、私はつぎのように付け足した。
「君はこれからの二〇年をとても長いものに感じているんだろうね。君にとっての二〇年は君が生まれてから現在までの長さで、それは君には気の遠くなるほど長く感じられるに違いない。だけど、これからの二〇年もそれと同じ長さだと思ったら大間違いだよ。これからの二〇年は短いよ。でも、そんなことを言っても、君にはピンとこないだろう。せめて、君がいま言ったことをぜひ覚えていてもらいたい。そして君が四〇歳になったとき、そのときに、いま死ねるか、考えてもらいたい」
 そして、二〇年たった。彼女は四〇歳、私は六〇歳になった。彼女はいまごろ、いま死ねるか、考えているだろうか。そして、若かったころの自分の考え違いに気づいて、苦笑しているだろうか。
 でも、もしかしたら、彼女は「私、六〇になったら、もう死んでもいいんです」と考えているかもしれない。
 これからの二〇年は、もっと短いんだよ。

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