最近ときどき話題になるピアニスト梯剛之(かけはし・たけし)をご存知だろうか。
彼は八王子に三人きょうだいの末っ子として生まれ、一歳のときに小児癌のために失明した。お父さんはNHK交響楽団のヴィオラ奏者、お母さんも音大出で音楽を通じて地域活動に関わっている人だった。たまたま私の家も八王子にあり、同じ小学校で私の子どもと近い学年であったために、その頃の彼をよく見かけた。マラソン大会で伴走者に従われて走っている姿をよく覚えている。春先、近くの公園で、お母さんが彼に木の新芽を触らせて、これが木の芽だと教えているのを見たこともある。当時から、我が家と彼のご両親とはいろいろなかたちでおつきあいがあった。
剛之君は中学に入るとき、お母さんに連れられてウィーンに渡り、ピアニストへの道を本格的に歩み始めた。しかし一年後に癌が再発して、手術のために日本に帰り、眼球を摘出した後、再びウィーンに戻った。まだ十代のころに国際的な音楽コンクールで上位入賞を果たして脚光を浴び、ピアニストとしてデビューした。その後、日本でもときどきコンサートを開くようになって、今日に至っている。NHK交響楽団にソリストとして招かれてショパンのピアノ協奏曲を演奏したときは、後ろでヴィオラを弾いているお父さんの感激を思って私まで胸が熱くなった。先日ニュー・ヨークのカーネギー・ホールでコンサートをして絶賛を博したそうだ。
まだ十代初めの彼をウィーンに連れてゆくとき、音楽家の両親は彼の才能についてある程度の確信はあったにしても、ピアニストとしてひとりだちしてゆけるかどうか不安だったに違いない。結果は分らないまでも、やれるだけのことはやってみよう、ということだったのだろう。それだけにますます剛之君の成功を喜ばしく感じるのである。
結果がわかったうえでの努力などこの世に何一つ存在しない。すべての努力は、いわば先の見えない霧の中で行われるのである。うまくいくかもしれないし、うまくいかないかもしれない。しかし、努力それ自体に価値があると思うほかない。うまくいかなくても、本当に努力した末のことであれば、多分、努力したことを後悔しないだろう。そして、本当に努力したのであれば、うまくいかなくても、自ずから別の道が見えてくるだろうと思う。つまり、努力によって、結局、人は闇から脱するのである。
それにしても、剛之君の本当の苦労はむしろこれから始まるのだと思わないわけにはいかない。名声を維持する苦労は名声を獲得する苦労よりもはるかに大きいだろうからである。