断絶

 最近ほど世代間の断絶が深い時代はかつてなかったのではないか――と私が思うのは、それほど深い理由があるからではなくて、ただ私が最近の流行歌を知らないというだけのことである。私が子どもの頃は、テレビのはしりの時代で、まだまだラジオの時代だった。プレスリーがデビューしたころで、美空ひばりもまだ十代だった。ビートルズの登場までにはまだ間があった。ロカビリーなんてものに若者が熱狂しているとき、中年以上の世代の人たちもそれを楽しんで聞いていた。映画音楽とかシャンソン、カンツォーネなどもしょっちゅうラジオでやっていて、各ジャンルの「今週のベスト・テン」は世代を超えて人気のあるラジオ番組だった。若者ほど熱中しないまでも、若者が好きな歌とか歌手とかは、常識として年輩の人たちも知っていた。私は堅物だった父が「悲しき一六歳」というアメリカのポップ・ソングを口ずさんでいたことをよく覚えている。
 やがてビートルズが来日して歴史に残る熱狂ぶりが展開され、その影響でグループ・サウンズが全盛を極め、またギターの弾き語りによるフォーク・ソングが人気を得ていたころ、若者だけでなく、中年以上の人たちもそれを聴いたり歌ったりして楽しんでいたのである。
 それなのに、いま、私は若者が聴いている歌をなにも知らない。歌だけでなく、若い歌手も俳優も、その他タレントと言われる人たちも、そのほとんどの名前も顔も知らない。それは、多分、メディアが発達して娯楽とか興味とかが多様化した結果、若者たちの多彩な興味に私だけでなく多くの年輩者がついていけなくなったということなのだろう。年輩者には生活という重圧があるから、メディアの発達に応じて関心を広げるほどの時間的・精神的なゆとりがないのである。
 そして、それは恐らく音楽や芸能一般についてのことだけではないだろう。多くの年配者たちは若者たちが興味を持っていることについてなにも知らないのである。
 若者はそんなことは大した問題ではないと思うだろう。しかしいまの若者がやがて中年になったとき、彼らとそのころの若者とのあいだには、さらに絶望的な断絶が待っているのだ。各世代は孤立し、そして世代の孤立は容易に個人の孤立につながるだろう。
 なんとかそうならないように、と、私は願わないではいられない。

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