信念や信条を変えてしまうことを変節という。A党から立候補して当選しておきながら選挙が終るとB党に鞍替えしてしまう、などは変節の最たるものである。「変節者」とは多く「裏切り者」の意味で使われるぐらいだから、決してほめられたことではない。
ところで、私は毎日これをやっているのである。なぜなら、私は朝から昼にかけては熱烈なホイッグ党支持者なのに、夕方から夜にかけては狂信的なトーリー党支持者になるからである。
一七世紀末のイギリスで名誉革命という事件が起きたことはご存じと思う。国王のジェイムズ二世を追い出してオランダからウィリアム三世(とメアリー二世)を呼んで王位に据えたという事件だが、このことをきっかけとしてトーリー党とホイッグ党の二大政党が誕生した。トーリー党は保守的で赤リボンを目印としてフランスに好意的であるのに対し、ホイッグ党は自由を重んじて青リボンを目印としてフランスには好意的でない、などの特徴があったが、この際そういうことはどうでもよくて、大事なことは、トーリー党はイギリスの伝統的な飲み物であるビールを愛し、ホイッグ党はそのころヨーロッパに導入されてイギリスでも多くの人に飲まれるようになっていたコーヒーを愛したということなのである。
つまり、簡単に言えば、私は、朝はコーヒーを飲んで夜はビールを飲む、というあっけない話になる。
夜寝る前には、明日の朝になればコーヒーが飲めるなあと思い、朝、コーヒーを飲み終ると、夜になるとビールが飲めるぞと思うのである。いやはや、どうも。
コーヒー豆は自分で焙煎する。一〇日分ぐらいずつ焙煎しておいて、毎朝そのときに使う分だけ碾く。焙煎した日に飲むコーヒーは特においしい。焙煎する日は少しだけ早起きしなければならないが、そんなことはなんでもない。
一八世紀初頭のロンドンにはコーヒー・ショップがたくさんできて、人々はそこでコーヒーを飲みながら政治談義に熱中したということだ。そのことがイギリスのジャーナリズムを育て、ひいては小説の発展にも寄与したことを思えば、コーヒーの味わいもいっそう深まろうというものである。
ビールが好き、ということは、もしかしたら、アルコールにあまり強くない、ということかもしれない。日本ではアルコールに強い人はウィスキーや日本酒など、もっとアルコール度の高い酒に向うようだ。しかしイギリスのパブなどでは、果てしなくビールを飲み続ける人をよく見かける。イギリスの小説を読んでいて、パブでビールを五杯ぐらい飲んでから次のパブに行ってまたそれぐらい飲んで、さらに別のパブに行く、なんて描写に出くわすと、私はうっとりしてしまう。どこで飲んでいようと、ビールを飲んでいるときは、私の心は遥かなイギリスに飛んでいるのである。
日々変節を繰り返すというのもなかなかいいものである。