私の長女が小学校の三年のときに、夏に家族で海に泊りがけで行ったことを作文に書いた。そのなかに「わたしたちがとまったへやのなまえは○○でした」と書いたところ、担任の先生がそこに赤鉛筆で線を引いて、「へやのなまえなどはだれもきょうみがないのでかかないほうがいいでしょう」と書いて返した。娘はどうしてそれがいけないのか理解できないようだった。私は、複雑な思いがこみあげて、娘になんと言えばよいのかわからずに困ったことを覚えている。
その先生は三〇代初めの女性で、生徒指導にとても意欲的な人だった。文章は人に読ませるために書くのだから、読み手のことを第一義的に考えて、読み手が興味を持たないようなことは書かない方がよい、という指摘は、まことに立派な指導で、その点に私はまず感心した。作文を書き始めて間もない小学生にここまで言える人は少ないだろうと思った。
しかし、私は部屋の名前を書きたい娘の気持ちもよく理解できた。
娘は小学校に上がるまで海を見たことがなかった。下に妹と弟がいて、なかなか海に連れてゆくだけの状況が整わなかったからである。いちど近くの稲毛人工海浜(そのころは千葉に住んでいた)というところに連れて行ったが、そこは海水が泥で黒く濁っていて、娘は海というものにすっかり失望したようだった。
ようやく「本物の」海に連れて行って、手を引いて海に入ってゆくときに、娘が「海ってこういうものだったのね!」と叫んだ声をいまだに忘れることができない。
そのときの体験は娘にとってそのすべてが輝かしいものだったようだ。それからは、夏に泊りがけで海に行くことが娘の一年を通しての目標みたいなものになった。恐らく毎日そのことを考えていたと言っても過言ではないだろう。だから、ようやく夏になって、ようやく宿に着くと、目に見えるもののすべてが感激となって娘の心に侵入してきたのである。家族で泊る部屋の名前も、それを覚えておかないと迷子になると親に脅されたせいもあって、娘の脳裡に深く刻みこまれたのだろう。それはただの名前ではなくて、特別な意味を持った魔法の名前だったのだ。だから、それを書かなければ作文は完成しないと娘は考えたのだ。
読み手が興味を持たないことは書いても仕方ない、というのは一つの真理であるにしても、真理のすべてではないだろう。文章を書く人の内部には、読み手の思惑を超えたものが必ずあるに違いない。それがなくてどうして文章が書けるだろうか。これだけは読み手がなんと思おうと書いておきたい、という必死の思いが、結局、人に文章を書かせるのである。
「なんでもいいから本当に書きたいことを書きなさい」と娘の先生には言ってもらいたかったと私は考えている。