占い

 中国の西安に行ったとき、病院を見学した。日本の病院といろいろな点であまりに違うので驚いたが、いちばん驚いたのは、病院のなかに占い室があって、そこに占い師がいて、来た人の手相を見ていたことだった。
 私も見てもらった。
 中年男性の占い師が私のてのひらを見て、むずかしい顔をして、上手な日本語で、言った。
「あなたは四〇代のはじめに腰を痛めたことがありますね」
 私は懸命に過去を思い出してみたが、私には、いつの時期にも、腰を痛めたという経験がなかった。そこで、「いいえ、ありません」と答えると、彼はがっかりしたような顔をして、それから、もっとむずかしい顔をして、言った。
「あなたは、かつて、誰かに出世の邪魔をされたことがありますね」
 私はまた懸命に過去を思い出してみたが、そういうことは一つも思い浮かばなかった。だいたい、私は出世などという概念とはあまり関係のない世界で生きてきたのだ。そこで、こんども、「いいえ、そういうことはありません」と答えるほかなかった。占い師はまた困ったような顔をしたが、気を取り直して、
「あなたは八〇過ぎまで生きるでしょう」
 と言った。
 私は、前の二つが外れたから、これも外れるに違いないと思った。
 恐らく、中年男性の多くは腰を痛めた経験を持ち、誰かに出世を妨げられたという恨みを抱きながら生きているということなのだろう。この二つを言えば、どちらかは当るという確信を占い師は持っていて、すべての(日本人の?)中年男性に同じことを言うのだろう。
 私は、占い師は女性の客には「あなたはいま不幸ですね」ととりあえず言うのだという話を思い出した。幸福な女性はあまり占い師を訪ねないということなのだろう。
 もうずいぶん昔のことだが、ある大柄でゆったりとした外観の女子学生が手相を見てもらった話をしてくれた。次のような会話が占い師とのあいだで交わされたそうだ。
「あのう、私、恋人が欲しいんですけど、できるでしょうか」
「まあ、年内は無理でしょうね」
「どうすれば恋人ができるでしょうか」
「少し運動でもしなさい」
 私は、笑っちゃ悪いと思いながらも、笑いをこらえることができなかった。
 これでも占いと言えるのだろうか?

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