日本に来たばかりのある外国人と話をしたとき、彼が、昨日ある日本人から数の数え方を教わった、と言って、「いち、に、さん……」と言い始めた。そして「……ご、ろく、ひち」と言うので、「それは、本当はしちと言うのですよ」と言うと、彼は怪訝な顔をして、「でも、昨日の日本人は確かにひちと言った」と言う。「まあ、そう信じている日本人が多いのですが……」と言うと、彼はどちらを信じていいのか、途方に暮れた表情をしていた。
確かに、一桁の数の数え方を多くの本国人が間違っているなどと言っても、にわかには信じられないだろう。私も高校生のときまではひちだと思っていたのだが、あるとき世界史辞典で「七年戦争」を引こうとしてその項目が見当たらず、もしやと思って「し」のところを見たら「しちねんせんそう」と出ていたので、そのときこれが正しいのだと知ったのである。
しとひの発音が曖昧になるのは日本語の特徴で、「七五三」を「ひちごさん」と発音する人はいくらもいる。「しおひがり」を「ひおしがり」と言ったって、誰も気にも留めないだろう。「消費者」をテレビのアナウンサーの多くは「しょうししゃ」と発音しているように聞こえる。なんだか焼死者みたいだなあと私は思うのである。
でも、問題はしとひだけではない。
考えてみれば、「日本」だって「にほん」なのか「にっぽん」なのかはっきりしないようだ。オリンピックなどでは「にっぽん」を使っているようだが、一般には「にほん」と言う人の方が多いのではないだろうか? たとえばこの文章の書き出しを大概の人は「にほん」と読んだのではないか?
子どもが生れると名前をつけて役所に出生届けを出すが、このとき届けるのは漢字だけであって(ひらがなの名前は別だが)、その読み方は届けない。私の名前でいえば「和生」という漢字は届けてあるが、読み方は届けていないので、私が(あるいは別の人が)これを「わせい」と読もうが「かずなま」と読もうが、それを間違っているとは誰にも断定できない。
ここで言えることは、漢字の読み方、ということに関しては、日本人は基本的に曖昧だということである。これは恐らく漢字の受容という根本問題に関わることで、ここで論じることはできない。
いずれにせよ、一桁の数の数え方とか国名とか人名とか、最も基本的なものの読み方がいい加減だなんて、私たちはなんとおおらかな国に生きているのだろうと思わないではいられない。