上海帰り

 昔、「上海帰りのリル」という歌があった。「船を見つめていた、浜のキャバレーにいた――上海帰りのリル、リル」で始まったように記憶している。この歌がはやったのは戦後まもなくのことで、上海から引き揚げてきた女性の悲しさを歌ったもののようだった――私はまだ子どもでよく分らなかったけれど。
 上海というと、まずこの歌を思い出す。
 その上海に行ってきた。たった四泊だったが。
 上海は戦前から国際都市のイメージが強くて、中国における外国貿易の拠点だった。現在でも中国一の近代都市として知られている。でもあれほどすごい近代都市だとは知らなかった。新宿駅西口の超高層ビル街を新宿区全体に拡張したようなもの、と言えばいいだろうか。
 でも、滞在中いちばん印象に残ったものは、ビルではなくて、なんとパトカーである。
 大学関係の国際会議に出席するために行ったのだが、初日の午後に上海大学見学という行事が組まれていた。会議場から私たち外国代表はバスに乗って上海大学に向かった。バスが走り出してすぐにサイレンの音が聞えるので、なんだろうとあたりを見回すと、私たちのバスの前をパトカーが走っている。犯人でも追跡しているのだろうと思った。しかし、どこまで行っても、そのパトカーがバスの前を走っている。不思議なこともあるものだと思ったが、それ以上気にもとめなかった。
 上海大学見学を終えてまたバスが走り出したとき、なんとまたパトカーがサイレンを鳴らしながら前を走っている。そのとき、私たちは、あのパトカーは私たちのバスを先導しているのだということを知った。バスのなかにどよめきが起った。誰だって、パトカーに先導された経験などなかったのだ。私たちは急に偉くなったような気分になった。国に帰ったらこのことを自慢しなくちゃ、と皆は口々に言った。
 パトカーを見ていると、その先導の仕方がまたすさまじい。前を走る車に対してけたたましくサイレンを鳴らして追い散らしてしまう。もたもたしている車があると、そのけたたましさが気違いじみたものになる。私は「国家権力」というものが具体的な形をとって目の前を走っているような気がした。幸か不幸かたまたま私たちは追い散らす側にいたわけだが、追い散らされる側にいればさぞアタマにくるだろうと思った。
 それ以後も、バスで移動するときはたいていパトカーが先導してくれた。その時の印象では、中国の人はあまり交通信号を守らなくて、交差点などでは人と車が密集して身動きが取れなくなる。信号を守る側も守らせる側も、信号というものにあまり興味がないようだった。だから、外国代表にパトカーをつけるのは、ある意味では、必要なことでもあるということを、そのとき悟った。
 ビルを見つめていた、パトカーを思い出していた、上海帰りの……。

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