やっちゃん

 私が小学生だったころは、学校から帰ると、ただもう外で遊ぶばかりだった。ちゃんばら、相撲、めんこ、ビー玉、野球(但し、三角ベースと呼ばれたもの)など、遊ぶことは無限にあった。そういう遊び仲間の一人にやっちゃんがいた(やっちゃんはね、ほんとはやすゆきっていうんだよ、だけどちっちゃいから……)。
 やっちゃんのお父さんは消防士だった。消防士はみんなの憧れの職業だったから、やっちゃんのお父さんは当然私たちのあいだでのヒーローだった――と言いたいところだが、やっちゃんのお父さんは、でっぷりと太っていて、家にいるときはだぶだぶのスボンをずり落ちそうな感じではいていて、シャツの着方もだらしなくて、私たちのヒーローのイメージになかなかぴたっと当てはまってくれないのが残念だった。彼が消防士の制服を着た姿を私たちは一度も見たことがなかったし、それを想像することもできなかった。それでもやっちゃんがお父さんを誇りにしていたことは言うまでもない。
 そのころのある日の夜中に、すぐ近くで火事が発生した。火事といっても、住宅地の一角にあった小さな藪が、誰かが投げ込んだ煙草の吸い殻か何かから火がついただけのことで、すぐに消えたのだが、消防自動車が来たことは事実だった。もっとも、私たち子どもは眠りこけていたので、後になって大人から聞いただけのことだが。
 翌日、子どもたちのあいだに、夜中に火事の情報をいちはやくキャッチしたやっちゃんのお父さんが現場まで駆けつけた、という噂が流れた。非番で家にいる消防士が近くの火事に駆けつけなければならないのかどうか私たちは知らなかったし(実は、今でも知らない)、道具も持たない消防士が駆けつけてどんな役に立ったかも分らなかったが、とにかく、夜中に消防士がひとり火事の現場めざしてひた走りに走るというイメージは、私たちをひどく感動させた。やっちゃんのお父さんがついにヒーローとしての実像を現わした、というふうに私たちは感じた。
 そのとき、私たちのあいだで、というか、やっちゃんとその他の子どもたちとのあいだで、現場に駆けつけたお父さんがどんな服装をしていたか、について論争が起きた。噂では、お父さんは浴衣の寝間着を着たまま走った、ということになっていた。でも、やっちゃんは、お父さんは消防士の制服を着て走ったと言ってきかない。私たちは浴衣の裾をひるがえして走るやっちゃんのお父さんに「決闘高田馬場」の堀部安兵衛(これの説明は長くなるので省略)みたいなものを重ねあわせて、とてもかっこいいと感じていた。消防士が家に制服を置いているかどうかも疑わしかったし、それに、着替える間も惜しんで飛び出した、と言った方が、どうしてもよりドラマチックだった。やっちゃんにしても、ずっと眠っていたので、家を飛び出すお父さんを見たわけではない。しかし、やっちゃんは、まるで見たかのように、そのときの制服姿のお父さんがいかにりりしかったかを力説した。私たちはやっちゃんに反論し、制服説の矛盾を指摘して、浴衣説を受け入れるように働きかけた。でも、やっちゃんはきかない。私たちも知恵の限りを尽くして説得にあたった。
 そのうちに、やっちゃんの目にすーっと涙が浮かんで、頬をつたって落ちた。私たちはびっくりして、黙ってしまった。
 やっちゃんのそのときの涙をいま思い返してみると、なんだか私まで泣けてくる。そして、やっちゃんの、お父さんに対する思いが、その後も長く持続したことを願わずにはいられない。

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