春先、庭でウグイスが鳴くと、家の中は大騒ぎになる。
「あ、ウグイス!」
「見てみようか」
「よせよせ。逃げちゃうぞ」
「まだ鳴き方が下手だね」
「また鳴くといいね」
しかし、口には出さないが、もう鳴かないだろうとみんな考えているのである。去年ウグイスが第一声を放ったときもそうだった。次にこれを聞くのは来年のことだ――。
しかし、去年は、その直後に、もっと大きな声で鳴いた。
「あ、また鳴いた!」
「きれいな声だね」
そして、また鳴いた。
「よく鳴くね」
「どうかしたのかな」
ウグイスは、翌日も鳴いた。すぐ近くで鳴いたり、遠くからその声が聞えてきたりした。私たちは、こんなによく鳴くウグイスが近くにいて、なんと幸福なことだろうと考えた。
ウグイスはその翌日も、さらにその翌日も鳴いた。それも、朝早くだったり、夕方遅くだったりする。
そういうことが一週間も続くうちに、もはや誰も気にとめなくなった。
その状態は一ヶ月たっても二ヶ月たっても変らなかった。
そして、真夏になった。それでもウグイスは鳴き続けた。
「ああしょっちゅう鳴くと、なんだかうるさいね」
「鳥が鳴くってのは、雄が雌を求めているんだろう? なんだってああいつまでも鳴くんだろう」
「よっぽど女にもてないやつじゃないか」
そして秋になって、ようやく私たちはウグイスから「解放」されたのだった。
そして、今年。
なんと、去年とまったく同じことが繰り返されているのである。
もはや雀なみにしか考えられなくなったウグイスは、心なしか悲しげな声で、今日も鳴いている。