音楽の喜び

 電車のなかで、買ったばかりのCDを包装紙から取り出して見ている人がいる。家に帰るまで待ちきれない、というその気持が私にはよく分るので、私は大きな共感をもってその人を見ることになる。
 たまたま隣の座席の人がCDを見ていると、ちらちら視線を走らせてどんなCDなのか見ずにはいられない。たいていは私の知らない音楽だが、それでも、おや、今日はそれをお買いになったのですか、早く聴きたいでしょうね、と心のなかで話しかけることになる(まったくおせっかいなことだが)。
「外から家へ帰ってくるとき、帰ったら、あの本にすぐ取りつこうぜと心に思いながら、電車に乗っている、というようなことは、決して無くはない。私自身の経験にも、そのような時代があった。今から思うと、どんなに貧乏でも、どんなに辛いことがあっても、そういう時にその人は幸福なのである。」(福原麟太郎「読書の愉しみ」)
 そう、そうなんだ。でも、家に帰ったら、すぐにこの(あるいは、あの)音楽を聴こうぜと思いながら電車に乗っている、というのも、それに劣らず幸福なものである。
 「生きているということは、モーツァルトが聴けるということだ」という有名な言葉がある。この「モーツァルト」を「音楽」に置き換えてもいいだろう。この世に音楽がある幸福を思わないではいられない。

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