チェスの世界チャンピオンがコンピューターと戦って敗れたということが新聞に大きく取り上げられた。たくさんの人が感想を述べていたが、どの人も、実はなんと言っていいか分らないという感じで、そのことに私は興味を覚えた。世界チャンピオンがコンピューターに負けるということは、果して大事件なのか? そういう気もするし、そうでないような気もする、というのが正直な感想なのだろう。
例えば「ウィンドウズ」の新しいエディションが売り出されるとその度にマスコミが熱狂して報道するが、それが売り出されたことにどんな意味があるのか、報道している側できちんと理解しているとは思えない。どんな意味があるかは分からないが、とりあえず騒いでみよう、時代遅れと言われると困るから、ということなのだろう。
コンピューターの進歩をただあれよあれよと見つめるだけでは、人間はそのうちコンピューターに支配されてしまうだろう。いま急いでやらなければならないことは、コンピューターを文化のなかに正確に位置づけるという作業である。そして、その作業は、理科系の人間と同時に、文科系の人間にも課された任務だと思う。なぜならそれは、倫理学とか社会学とか心理学とかに深く関わってくるだろうからである。
レスリングの世界チャンピオンが力くらべでブルドーザーに負けても誰も驚かないのに、チェスの世界チャンピオンがコンピューターに負けると驚くのはなぜか? ブルドーザーとコンピューターはどこがどう違うのか? そういうことを、これからじっくりと考えてみなければならない。