機械が好き

 むかし、まだカセット・テープレコーダーがそれほど普及していなかったころ、私は割合早くにそれに馴染んで、音楽を聴いたり、小鳥や秋の虫の声を録音したりしていた。
 そのころ、私がカセット・テープレコーダーに比較的詳しいらしいと見当をつけたある人が、「今度カセット・テープレコーダーを買いたいんだけれど、手ごろなのを一つ推薦してくれませんか」と私に言った。
「で、どういった感じのものがご希望なんですか?」
「私は買った機械が壊れるのが大嫌いなんです。絶対に壊れないのを推薦してください」
 私は、これはまずい、と思った。この話には関わらない方がいいぞ、と私にささやくものがあった。
「そうですか。申し訳ありませんが、私はそういう機械は知りませんので、どなたか別の人にお尋ねください」
 私は早々に撤退した。
 それからしばらくして、その人が「このあいだ、テープレコーダー、買いました」と私に言った。
「そう、それはよかったですね。で、具合いはどうですか?」
「ええ、すぐに壊れました」
 私は驚いて、やっぱり関わりあいにならなくてよかったと思った。私が推薦していれば、私が恨まれることになっただろうから。
 壊したくないという気持が異常に強い人は、かえって妙な扱い方をするものだ。普通に扱っていれば問題ないのだが、何が普通かが分らないのだ。だから、力の入れ方がちぐはぐになって、機械を壊したりすることになる。
 でも、たとえ普通に扱っていても、機械は必ず故障するものだ、という固定概念が私にはある。絶対に壊れない機械などはありえない。もともと機械は使うために買うのであって、壊さないで取っておくために買うのではない。
 壊れたら修理に出せばよろしい。それだけのことだ。修理が済んで家に戻ってきた機械が、私にはとてもいとおしく感じられる。また壊れる。また修理に出す。そうやっているうちに、弱い部分が強化されて、めったなことでは壊れなくなってくる。機械とはそうやってつきあうものだと私は考えている。
 このあいだ四年にわたって酷使したパソコン・プリンターが初めて故障したので、サービス・センターに宅急便で送って修理を依頼していたのだが、先日それが戻ってきた。早速使ってみたが、まことに具合いがよろしい。この満足感をどう表現すればいいのだろうか?
 だから、私は機械が好きなのだ。

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