引退

 もう何年も前のことになる。日本を代表するテナー歌手の一人が高齢のゆえに引退した。そのときの音楽雑誌の記者とのインタビューを読んだことがある。
 記者が、引退なさってさぞお寂しいでしょうね、と聞くと、彼は断固たる調子で、「いいえ、少しも寂しくありません」と答えた。
「ほう、どうしてですか?」
「私はもともと人前で歌うことが嫌いだったんです。今まで、心ならずもそれをしてきましたが、もうこれからはそれをせずにすむと思うと、とても嬉しく思います」
 記者は拍子抜けしたようだったが、私はひどく感動した。それから私はこの歌手のファンになった。もっとも、それ以前もそれ以後も、この人の歌を聴いたことはほとんどないのだが。
 誰からも才能と実力とを認められていたこの人にしてそうなのだから、誰にも注目されずに黙々と仕事に励んできた人のなかには、同じ感想を抱いてその仕事から離れてゆく人がかなりいるに違いない。言いにくいことだが、実は(黙々と仕事に励んできたかどうかは別にして)私もその一人であろうと確信している。
 心ならずも、などと言えばバチが当る。しかし、喜んで教壇に立っていると言えば、あまりにも自己を偽ることになるだろう。私は、自分には教員の仕事は向いていないのではないか、という思いを引きずりながら、この四半世紀あまりを生きてきたのだ。そのことについての、学生に対する罪悪感には計り知れないものがある。
 以前に、「でもしか先生」という言葉がはやったことがある。教員をやっている人には「先生にでもなるか」か「先生にしかなれない」かのどちらかの理由で教員になった人がたくさんいるというのである。
 さて、私はどちらか?

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