列車の旅

 先週末に学会で熊本に行ってきた。学会も熊本もとてもよい雰囲気で満足したが、ただ一つ、往復とも飛行機を使ったことが心残りだった。やはり旅は列車に限ると改めて強く感じた。
 飛行機が好きという人もあまりいないようだが、外国へ行くときはしかたのないこととして、国内を旅行するときも、あれは時間の倹約のために我慢して乗るものなのだろうと思う。
 列車で旅するときは(もし座席指定券を持っていれば)、家を出るときからうきうきしてしまう。天気がよくても悪くても、列車での旅は情緒がある。本を読むのもいいし、ぼんやり窓外の景色を眺めるのもいい。外を見ていると、「汽車が山道をゆくとき/みづいろの窓によりかかりて/われひとりうれしきことをおもはむ」(萩原朔太郎「旅上」より)といった気分がこみあげてくる。
 目が疲れたころに、私は缶ビールを飲む。昼間からビールを飲むことなどふだんはないことだから、これだけでも愉快だ。一口ごとに幸せをかみしめるようにして少しずつ飲んでいると、飲み終ったころに猛烈に眠くなる。そしてしばらく眠る。眠っているあいだ、なぜか物悲しいような夢を次々に見る。眠りから覚めると、列車は相変わらず走り続けていて、窓外を走り去ってゆく木々や田畑を見るともなしに見ていると、私の人生もこんなふうに走り去ってゆくのだな、などと思われて、柄にもなくしんみりとしてしまう。その気分がまことによろしい。
 そのうち暇になったら、思う存分、列車での旅をしてみたいと思っている。

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