五〇歳

 昨日、私は五〇歳になった。前々から覚悟していたので(当り前だが)、今更どうということもないのだが、半世紀を生きたという意識には、やはり、ずしりと重いものがある。それから、「人生五〇まで」という言葉が、心のどこかにひっかかっているのだろう。
 しかし、中年男の感慨など聞かせられては迷惑だろうから、これ以上は言わないことにする。ただ、私の好きな詩を次に紹介させていただきたい。これは今の私より八つも若い年齢の感慨を歌ったものだが、まあ、いいじゃないの。私の今の気持も、だいたいこんなものである。

既に 私の肩からは
匂う粉のようなものは剥がれた
ひとは 言うだろう
私は少し老いて 硬くなってしまったと

私の内部 見えない隙間を
日に日に崩れてゆくものがある
しかもなお
私は 柔らかな朝の光を乳のように飲む

ひとは 知らない
私の真下で 瓦礫に砕かれている苦悩を
時々 若い幻影を見上げて
うっとりとする この眼を

果して かつての私に
花咲いたことがあるだろうか
いつか 一つの実りとなり
自分のまわりを豊かにしようと夢みたのに

ああ ひとを愛し ひとに愛されることを
ひそかに希う歓び――
私は それだけで生きている
少し老いて 硬くなって

(安藤一郎「四十二歳」)

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