私自身はあまり努力する方ではないが、それでも努力ということには強いあこがれを持っている。ひたむきに努力する人を見ると尊敬せずにはいらない。
それでいつも不思議に思うのは、映画やテレビ・ドラマの、時代劇の剣豪や西部劇の拳銃の名手たちが、ちっとも努力しないことだ。私も若い頃に柔道をやっていたのでよく知っているが、一日稽古を休むと、翌日の稽古では自分の体が重く感じられたものだ。二日休むと、調子を取り戻すのに、ひどく苦労した。だから、ふだん酒ばかり飲んで芸者といちゃいちゃしている剣豪が、いついかなる時でも剣術の最高の実力を発揮できるということはありえないことだと思うのである。
古い映画に『片目のジャック』という西部劇があった。これはある拳銃の名手がリンチされて、右手を銃の台尻で叩き潰され、拳銃が使えないようにされたあと、左手で拳銃を撃つ練習をして復讐を遂げる、という物語だった。私は、右利きの彼が黙々と左手で拳銃の練習をする姿を、今でも感動をもって思い出すことができる。また黒澤明監督の映画『七人の侍』には、居合抜きの名手が竹薮に入って、竹を切って居合抜きの稽古をする場面があり、さすがに名監督は大したものだと私は思ったものである。また、今テレビでやっている『銭形平次』では、最後にキャストやスタッフの名前が字幕で出るところで、平次がなぜか海岸で銭投げの練習をするところが映し出される。その時間にたまたまテレビの前にいれば、そこだけは見ることにしている。それぐらい私はその場面が好きだ。日々の努力の積み重ねだけが何事かを成し遂げることができる、と私は信じている。
私も、人を感動させるほどに努力してみたい、という気持だけはあるのだが……。