子どものスポーツ

 小学生の野球チームが練習しているそばを通ることがある。そういうとき、私はそのまま通り過ぎることができなくて、立ち止まって見物するのだが、やがて暗い気持ちでそこを立ち去ることになる。なぜなら、ひっきりなしにコーチから発せられる罵声・怒声が聞くに耐えないものだからである。それは、多くの場合、ここに書くこともできないくらいにひどいものだ。落球したからといって、トンネルしたからといって、空振りしたからといって、なぜその子どもの全人格や人間としての尊厳性を根底から否定するような言葉をぶつけなければならないのか。そのコーチも、かつてはそのようにして鍛えられ、今の子どもたちも、やがてそのようなコーチになるのだろうか。どんな罵りの言葉も、慣れてしまえば何も感じなくなってしまうのだろうけれど、そこに大きな落し穴があるように思う。人間がやることでいちばん大事なことは、それが人間的であるということだ。人間性を重視しないでやったことは、結局大した意味を持ち得ないと思うのである。
 前回のサッカーのワールドカップではドイツが優勝したが、最近そのドイツから少年サッカーチームが日本に遠征に来て、日本の少年サッカーチームと親善試合をした。その結果、日本のチームが勝ったのだが、ドイツの監督は平然として、「子どもの頃からこんなにうまくては、先に行って伸びないだろう。子どものスポーツは楽しんでやることがいちばん大事だ」と言ったそうだ。日本のスポーツ関係者で、この言葉を心にとめた人がどれくらいいただろうか。

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