96年12月からの日付順の成長記録です。たまにしかつけてないので、成長記録といえるかどうか。
96年10月ごろの写真
96年12月ごろ
亮佑は母親をよぶのに最初は「ママ」といえなかった。あとでわかったが、マ行の発音ができなったためだった。おそらく本人はママといっているつもりでも、周囲には「パパ」としか聞こえなかった。
それに気づいたのはお風呂に入れているときで、風呂から出たがっているのに「パパ、パパ」という。しかも風呂の扉のほうを向いてしきりにいうので、もしかしたらこれは「ママ」といっているつもりなんだと思った。
それで母親(きよこ)のことを「きいちゃん」と呼ばせるとすぐにそれに対応した。
いまでは、「ママ」もつかう。どうも甘えるときは「ママ」をつかうことが多い。
しかし、突然「かあちゃん」といいだした。だれが教えたのかと思っていると、それは「おかあさんといっしょ」のことだった。その後「おかちゃんっいっちょ」というようになった。
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いえのなかで走り回って、つまずいてこけた拍子に、タンスに頭をぶつけた。親が心配になって、「亮ちゃん、いたいなぁ、いたい、いたい」と頭をなでていると、ぼそっと「ごめん」という。
おなじように、 歩いていてドアノブに頭をぶつけたら「ごめん」という。
「ごめん」は、自分が謝るときには言わない。無言で頭を下げることが多い。しかし今日は、夕食中に味噌汁のはいったお椀をわざとひっくり返して、母親が「亮ちゃん!」と語気を荒げると、すかさず「ごめんねぇ」と言ったそうだ。
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母親は妊娠9ヶ月で風邪をひいていたので抱っこできなかったのだ。「きいちゃん」といっても母親を呼んでもらえない亮佑は「ママ」と言い換えることで意味が通じることを理解した。そしてそのとき以降、母親のことを「ママ」ということがおおくなった。
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亮佑の嫉妬
日が経つにつれて今までと勝手が違うことに気づきはじめました。ママは晃志におっぱいをあげたりおむつを替えたりで亮佑だけに構うことができません。パパもお仕事が忙しくてなかなか遊んでもらえないのが分かってきた。最初は亮佑も「こうちゃん、泣いてる」といって教えてくれたのですが、だんだん嫉妬するようになりました。いまでは、泣いてるこうちゃんを抱っこしているママやパパに向かって、「こうちゃん、ここ(ベビーキャリーやベビーベッドを指さして)。亮ちゃん、抱っこ。」といいます。
晃志に構っていて亮佑の相手ができないときなど、亮佑は親から一定の距離をおいてじっとたったまま、空をみつめています。目はうつろで、今にも泣き出しそうですが、決して泣きません。しばらくして、声をかけてもうつろなままで、反応がありません。いじけているのがよく分かります。
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亮佑への信頼回復作戦
両親は嫉妬している亮佑に気づいたので、対策を練った。まず、亮佑と母親の二人だけの時間を作った。赤ちゃんが泣いていても、亮佑に構っているときは亮佑を優先した。父親は、できるだけ亮佑の相手をした。そして晃志に対しては家族の一員であるということを亮佑に理解させようとした。また晃志と亮佑の扱いに差がないことを理解させるために、晃志がおむつを替えるときは、亮佑のおむつも一緒にかえるなど、いろいろ試してみた。
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亮佑の週間スケジュール
月 午後からママは実家でピアノ教室のため、晃志と亮佑はママと一緒にいく。
午前中にパパが車で送ってくれる。
火 とくになにもなし。午後1時ごろ、移動パン屋がくるのが楽しみ。
水 月3回のヤマハの音楽教室。ママと一緒にあさ9時40分のバスでいく。 お昼すぎには帰宅。
松尾のおばあちゃんが晃志の面倒をみてくれている。
木 午後からママは実家でピアノ教室。亮佑と晃志もママといっしょ。
午前中にパパが車で送ってくれる。
金 午前10時半から育児サークル「ポコアポコ」。ほとんど出席してない。
午後1時にパン屋さんがくる日
土 とくに予定はない日
日 とくに予定はない日
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最近、三輪車に乗るのがとてもすきなようだ。なかなか外では乗る機会に恵まれないが、ベランダにおいていると、勝手にのって遊んでいる。電動自動車のパジェロも自分で動かせるようになった。ただ、どちらもハンドル操作ができない。まっすぐ進むか、後進して、壁にぶつかったら、それでおしまい。
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3週間ぶりに病院へいった。皮膚炎の症状はほとんどなくなった。ここ1週間くらいは薬を使わず、ベビーローションで保湿していた。皮膚科の先生も、もう薬はいいですねといった。しかし、これから汗をたくさんかく季節なので、念のために2週間分の薬をもらってきた。
1カ月後に診察の予約を入れておいた。 亮佑は、箕面市立病院が結構気に入っている。診察がとてもおそくて終わったらお昼になっていたとき、きれいな中庭でお弁当を食べたのがとても印象に残っている。だから、いつも帰るとき、「今日はどこでお弁当たべるの?」という。
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香港の中国返還の日。テレビで返還の式典の様子を放映していた。 「サッチャー元首相の顔も見えます」とテレビでいっていた。亮佑はすかさず、「さっちゃんはね」と歌いだした。両親はそれを聞いて大笑い。亮佑はなにがおもしろいのかわからないが、両親が大笑いしてたのでとても楽しそうな顔をしてた。
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スーパーに買い物にいくと花火セットを欲しがったので、買ってきて、家のベランダでしてみた。花火はなびとよろこんで振り回していたが、花火に火がついた驚いてほうり投げてしまった。あわてて拾って持たせようとしたが、怖がって持とうとしない。「はなび、こわい。ばちばちして、こわい。」といって逃げ回る。ああ、先が思いやられる。まあ火遊びが好きよりはましか。
そのあとしばらくは、花火は脅し文句となって、言うことを聞かなかったら、「花火してやる」というと「はなび、こわい」といってすぐ言うことにしたがった。しかしそれもつかの間。一日たつと「きのう、はなび、したねえ。きれいかったねえ。」と言い出した。どうなってんのか、この子は。
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7/1に新しいスーパーが近所にオープンした。これで徒歩圏に4つのスーパーが隣接することになる。互いに安売り合戦をして消費者としてはうれしい。そのスーパーで紙おむつが安かったので、晃志の分と亮佑の分を買った。亮佑は紙パンツにしているが、そろそろおむつ離れの時期でトレーニング中。ちょっとしたおしっこには紙おむつもいいか、と思って余分にかったつもりだった。しかし亮佑は紙おむつがとても気に入って、家に帰るなり履き替えようとする。「あたらしいのおむつがいい」と言ってきかない。自分で紙パンツを脱いで、紙おむつを持ってきて、畳に仰向けに寝転がって「はかせて」という。どうやら、晃志がいつも紙おむつをしているので、おんなじのがしたかったようだ。
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最近、亮佑はMacの操作がうまくなった。日ごろ、ほとんど野放し状態でMacを自由に使わせている。亮佑用のソフトは「おばあちゃんとぼくと」「くまのプーさん」「ポップアップコンピュータ」の3つのCD-ROM。なかでも「おばあちゃんとぼくと」が一番のお気に入りである。親はマウスを使った操作しか知らなかったが、亮佑はキーボードを操作して日本語と英語とスペイン語を切り替える。逆にいうとマウスの操作がうまくできなかったわけだ。
ところが、ここ1週間くらいは、ごみ箱の位置が変わっていたり、HDの中のフォルダがデスクトップに出ていたりして、ちょっと驚いている。注意してみてると、メニューバーも結構うまく開いている。これはそろそろあぶない。
以前は、FDドライブやMOドライブにいろいろなものを突っ込まれて、故障寸前までいったことがよくあった。最近はFDのシャッターを壊すので、貴重なデータの入ったFDやMOはめったなところにおけなくなってきた。
それにプラスして、操作方法を覚えだすとちょっと大変かな。 わが家のMacintoshは、家の中のクラッカー対策を強化しなければならなくなってきました。
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