平和記念公園・原爆ドーム(2/2)
なぜ、広島に原爆が投下されたのか?
その理由は2つあります
「都市の大きさや地形が破壊力と効果を試すのに適当であった」
「軍関係の施設が集中した軍都であり、それまでに空襲をうけていなかった」

さらに1945年8月6日月曜日は雲もなく真夏の太陽が輝いていました
この晴天が広島の運命を決定しました


J:平和の灯
原爆慰霊碑の奥で昼夜を問わず
燃え続ける平和の灯。雨の日や
夕刻にはいっそう物悲しさを
感じます

K:広島平和記念資料館(東館)

平和学習の場として被爆前後の広島を伝える企画展や
絵画展などがいつも催されている
H9年度の企画展(無料)は
「きのこ雲の下に子どもたちがいた」
日中戦争や真珠湾攻撃・戦時中の市民の生活などを
イラストを交え小学生向けにわかりやすく展示しています
3階の売店では「原爆ドームプラモデル¥1800」も販売
1階の売店では、記念品・飲物・お菓子の他、カープグッズや
オタフクソースまで購入出来ます

M:広島国際会議場
(フェニックスホール)
都市や市民レベルの国際文化
交流の推進を目的に平成元年
に開館された
広島交響楽団の定期演奏会にも
利用されているとか

L:広島平和記念資料館(西館↑)
被爆者の遺品や写真・人影の石など
数千点の資料を展示している
元気な修学旅行生も思わず息を
呑んで静まり返る悲惨な資料で
はあるが、一度は訪れて欲しい
デートにはお勧めしないケド…


N:平和の塔

 
O:マルセル・ジュノー博士の碑
赤十字国際委員会の駐日主席として
原爆投下直後に来日し、実状調査や
被爆者の治療にあたり多くの市民を
救った人


P:祈りの泉と原爆資料館を
背景にした嵐の中の母子像

 

Q:嵐の中の母子像
2人の子どもをかばいながら
前進する姿に、
母の強さを感じる像

 

私が訪れた東館では、原爆投下直後の市内の様子を描いた市民の絵画展が開かれていました
中でも多かったのは、被爆した悲惨な母子の姿でした
炎天下に腐乱した我が子を背負い、火葬する木片一つない街を歩き続ける母親…
子どもを力強く抱き、走り逃げる姿勢で、立ったまま墨になった親子…
焼けただれ絶命した母の乳房を吸い続ける赤ん坊…

世界中の人々が広島平和記念公園を訪れ
核兵器の恐ろしさと、世界平和について考えて下さることを願います

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