佐藤寛之

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98/11/19 踊る、踊らない
11/18 新宿リキッドルームでライブ
 ライブの3日前、自宅の駐車場で思いっきりこけた。Gパンの膝が抜けるほどすりむいて、流血沙汰になってしまったのだ。当日になってもまだじゅくじゅくしていて、「昔はこんなん、すぐにかさぶたになったよなあ…」と年を感じてしまったりもしたのだが、それよりも問題はライブだ。満足に膝を曲げられない状態では踊れないではないか。別に骨折したわけではないので無理して踊れないこともないだろうが、このあと仕事も忙しくなるし、早く治さなくてはいけない。仕方ない、スタンディングだがライブハウスだし、後ろの方で静かに見ていよう、ちょっと辛いけどな。
 そう決心していたのだ、私は。

 初っぱなから、7階のライブハウスまで階段で昇らされた。よっぽど「膝を怪我してるのでエレベーター使わせてください」と言おうと思ったが、スタンディングのライブハウスに来た客がソレは利かないだろう。仕方なくひーひー言って昇ったのだが、そこに待っていたのは、まさに「パ〜ラダイス!」であった。
 ライブハウスとしては大きめの会場に、程良くきっちり収まった客。比較的横長の会場なので、後ろの方の高めになってる場所でもステージはかなり近い。ライトに照らし出される寛之。伸びやかな声が会場中に響きわたる。凝った照明もごてごてな衣装もない、ごくシンプルな作りだが、まっすぐで頑固な寛之の姿勢が反映されているようで、とても心地よかった。聞き慣れたアルバムの曲が耳に馴染み、綺麗な歌声がすうっと自然に入ってくる。ノリのいい曲はガンガンと、バラードはしっとりと、「シンガー・佐藤寛之」は、聞かせてくれた。

 途中、ダンスが入るのも嬉しかったなあ。昔のようなキレのよさはもうあんまり見られなかったけども、独特の正確さで動かされる手足は、しなやかでかっこよかった。
 ダンサーのおねいちゃんたちがわりと逞しくて、同じようなシルエットの服を着ていた寛之が埋没していたのも一興だった。これが晃なんかだと確実に「メインボーカルにダンサー4人」という構図になるのだろうが、寛くんの場合、どう見ても「女の子が5人」なんだもん。華奢で小さくて可愛い感じ。変わってないなあ、寛くん(笑)

 アンコールのガラ十とパラ銀で、しっかり歌詞を間違えていた彼。いいんだよ、もう、ライブなんだから。「ナマが効く」というのは夏の諸ちゃんで充分に分かっていたのだが、今回もすっかりそれを実感してきた。
 さあ、またお仕事頑張ろう! 元気をありがとう、寛之!

 しかし物理的な問題は残った。案の定、じっと立っているだけで済まなかった私は、後ろの方でも踊っていたのだ。膝、その日の夜はずいぶん長い間じんじんして痛かった。
 どうしてくれる寛之。治るのが遅れたらあなたのせいよ。責任取って、またライブやってね。←結局それかい(笑)



8/07/12 7人
7/8 「真夜中の王国」出演
 公共の電波で、寛之が、7人へのこだわりを語った。
 「7人じゃなきゃ、光GENJIじゃないと思って」。彼はそう言った。

 グループからソロになるという、同じことを経験した、かつての事務所の先輩・フッくん。すっかり落ち着いた大人になった彼が、寛之のことを「佐藤くん」と呼び、話をふる。メンバーというのは、友達でも兄弟でもない存在だ、と。同調した寛之が「なきゃいけない存在のような」と答えた。離れてみて、いいところが見えてきた、とも。
 嬉しいことも嫌なことも一緒に経験してきた、わかりきっている人たちなんでしょうねと、もうひとりのパーソナリティが語った。

 きっとそうなんだろうと、端から見ている私たちが感じていたことを、彼もやっぱり、感じていたのだなあと思う。生まれも育ちも好みも歳も、何もかもが違う人たちと、否が応でも共に過ごさなければならなかった時間。選択の余地がない状態で、悲しみも喜びもわかちあわなければならない状況。普通に過ごしていたら、あまりお目にかかれない事態だろう。
 一番近いのは、「戦友」という言葉か。実際の生死はかけないが、人生の生死はかかっていただろうから。隣の他人が自らの運命をも握っているというのは、どんな気持ちだったのだろう。
 奇しくも、「なんじゃに」で内海光司が「俺たちはグループだったから連帯責任だったんだ」と言っていたのを聞いたところだ。7人が7人、それぞれの命運を握り合って、あの時代を駆け抜けていたのだ。

 7人にこだわった寛之。

 終わってしまった美しい恋を語るように、そっと言葉を紡いでいたように見えた。


98/07/03 需要と供給
7/1 「Can you hear me now?」発売記念イベント in 銀座山野楽器
 需要があるから供給がある。それが資本主義社会のルールだ。
 たとえどんなにすばらしい商品であろうとも、誰も買う人がいなければ商品としての価値はないし、優れた商品であるとはいえない。逆に、需要があるのに供給がない場合は、せっかくの商売チャンスを逃すことになる。バランスのいい需要と供給こそが、消費社会が円滑に回っていくポイントだろう。

 寛くんは「最近、ファンに対して丸くなった」そうだ。元メンバー(誰かは言ってくれなかった……)とそういうふうに電話で話していたりするとか。昔は「うっさいな!」と振り払っていたが、今は「あ、どーも」という感覚で接することができるようになったらしい。うんうん、良いことである。そうでなきゃいかん。
 だってさあ、あなたの着てるそのジャケット……は無理かもしれんが、靴下の片方くらい分は、私が買ってあげたって思っていいと思うのよ。CD買うし、ライブ行くし、ちゃんとお金落としてるんだから。
 ファンという消費者がいるからこそ、タレントという商品に価値があるのだ。

 だからね、大事にして欲しいの。大切にして。うんとうんとありがとうって言って。キミたちのおかげだからって言って。何か活動するときはまっさきに教えて欲しいし、応援に行きやすいように配慮して欲しい。無茶なスケジュールでチケット発売したり、ましてやいきなり当日になって出演が発表されるようなことはしないで。テレビやラジオに出るなら事前に告知して欲しいし、雑誌に載るならそう言って。
 なによりも、本人とファンが納得のいく活動をして欲しい。いいアルバムを作って、いいコンサートをやって、いい番組に出て。
 別にまた社会現象並に売れて欲しいというのではないのだ。私たちファンが幸せになれるような、そんな活動をして欲しいだけだ。そしてそれは、タレント本人がいかに芸能界で生き残っていけるかに密接に関わってくるのである。いやまあ、そりゃ爆発的に売れるに越したことはないけどね。

 と、寛くんのことを書こうとしてたのに、結局居残り組+1への愚痴になってしまった。今夏生で会えるのはあと諸ちゃんだけ。うわ〜ん、全員に生で会えた去年の幸福はいずこへ〜(^^;)
 お金を使いたくても使えないという活動ぶりは、いい加減何とかして欲しいものだ。お金払う用意はあるのに、払う先がないってのも情けない。需要はあるのよ、需要は。適切な供給をして欲しいと切に願うわけである。
 もったいないと思わないかい?>事務所各位

追伸:寛くんは可愛かったしカッコよかったです。ちゃんと目を見て握手してくれるのがとっても嬉しかったわ。生歌も聞けたしね。



98/06/06 降水確率0%
6/6 新宿HMVでシングル「降水確率30%」発売記念イベント(握手会付き)
 生寛くんは可愛かった。
 毎度のコトながら、20代も後半の成人男子を捕まえて可愛いもないもんだと思うが、実際に可愛いのだから仕方ない。しかも、「少年の心を持ってて可愛い」とか「あの渋さが逆に可愛い」とか、そういう可愛いではない。見ていて純粋に、仕草やらかっこうやら様子やらが可愛いのだ。
 こんなこと、本人に言ったら憮然とされそうだが、事実なので仕方ない。少なくても私にはそう見えた。
 プロモビデオやらポスターやらを見ると、「かっこいい〜」って思うのに、どうして生で見ると可愛いのだろう。不思議。あの華奢な肩幅がいけないのかしら。それとも細すぎる足? ぎゅーっと抱きしめたら折れちゃいそうな胴回りかも。単に私の体型との比較のせいか。女としてかなり情けないが。

 店の片隅のイベントスペースで、BANDAIのディレクターさんと一緒にスツールに座った彼は、濃いモスグリーンのジップアップのシャツに黒っぽいジーンズ。髪はポスタービジュアルのラーメンヘアでなく、岩崎さんのストレートでちょっとだけ軽い茶色が入っていた。オッケーオッケー、お美しい寛様でいらっしゃる。
 主にレコーディングの様子を語ったトークは、時間が短かったせいもあってちょっと物足りなかったが、スタッフとの仲よさげな様子は伝わってきた。なによりも、普通に生にしゃべる彼が至近距離3メートルにいる! ああステキ、やっぱ生はいいなあ。
 しかも、寛くんのこういうイベントはたいてい握手会がついているのだ。彼の手を握り、一言どころか三言も四言も話しかけられる。時間が押しているのもかまわず、ひとりひとりの手をしっかり握ってくれた寛くんは、目が離せないくらいに可愛かった。

 プロモなら「かっこいい」で実際会って「可愛い」なら、プロモだけの方がいいと、本人は言うかもしれない。しかし、より大きくココロが揺れるのは、当然ながら実際に会った時だ。目の前で歩いて動いて歌って、こちらの声に反応してくれて。それは何よりも私たちのココロを刺激する。これはもう、理屈じゃないのだ。
 大きく揺れたココロはふわふわと舞い上がり、たちこめはじめていた暗雲を払う。邪魔な雲が無くなった空は真っ青に晴れ上がって、そしたらもう、降水確率は30%どころか、0%だ。澄み切った空気は、新たな気持ちでまた次に会える日を待つ元気をくれる。それはとても心地よいことだ。
 そんなことの積み重ねが、ファンであることの楽しみなのかもしれない。


追伸:
夏の予定が出てないキミたち! 早くスケジュール発表して、私のココロを晴れわたらせてね! A&Aの夏コンすら連絡来ないってどーゆーことかしら。京都は? どうなってるわけ?(^^;)



98/04/07 岩崎さん
4/3 新・同棲時代出演
「メインで名前出てないからね、アタマ5分しか出なかったりして」
「そうだよ、心配だよ、急ごうよ」
 4/3の午後9時少し前、私と友達は京都の町を走っていた。寛くんのドラマを見るためだ。フロントでキーをもらうのももどかしくホテルの部屋に飛び込んで、テレビをつける。ちょうど始まったところだった。そして……。
「こ、これだけ?」
 弾んだ息を整える間もなく、寛くんのメインの出番は終わっていたのだった。

 正直、この日はちょっとやさぐれていたのだ。出番は少ないと思っていたが、もう少し主人公寄りの重要な役だと思っていたから。たとえば、あの上司の人くらいの扱いだと思っていたのよ、私は。
 しかし、家に戻ってから留守録してあったビデオを見ているうちに、考えが変わった。
 寛くん、いい味だしてるじゃーん。

 彼は今まで、あんまりドラマや演技関係の仕事をしてこなかった。はっきり言って、上手くはないと思う。でも、彼のやった岩崎さんは、妙に存在感があった。ほんとにあの業界にはいそうな人に見えた。ちょっとの出番だったが、奇妙に印象に残る役だった。まあ、それはファンだからだろうけどもさ(^^;)

 寛くんは髪型もばっちりオッケーだった。服もいいし、胸元のチョーカーもかっこいいぞ。いままでの寛くんとはちょっと違う、新鮮な寛くんだった。
 ドラマって、こういう楽しみがあるから止められない。

 寛くん、これからもテレビ出てね。もちろん、歌のお仕事が第一だから、レコーディングとか、頑張って欲しいけど。春のツアーって話はどうなったんですか? 待ってるのに〜。



97/11/29 もぎたてサラダ
11/27 「もぎたてサラダ」ファンバトルのコーナーに出演。スタジオ観覧。
 公録なんかでテレビ局に行った人が必ず口にする言葉に、「スタジオってすごい狭くて汚かった」というものがあるが、今回、生まれて初めて公録に行った私も同じ台詞を言わせてもらおう。「ほんとにせせこましかった」。
 なにせ、お昼の情報番組「もぎたてサラダ」のセットの反対側には、朝の情報番組「はなまるマーケット」のセットが雑然と置いてあるのだ。つまり、いままさに稼働しているテレビカメラの後ろ側に、照明もあたってない「はなまる」の机が片づけられているのである。コードやらカメラの脚やらがばさばさしている上、セットの後ろがベニヤ板だってことも実感してきた。
 こんな狭い空間にこれだけの人間よく入れるモノだと感心するほどだった。

 しかし、おかげで寛くんが近かった。私たち観覧のファン41人は、セットの下手側にずらっと並んでいたのだが、10メートルも離れていない正面にナマ寛くんだ。髪型はばっちり、髪の色(笑)もOK、華奢な体も変わらない彼が、高めのスツールに腰掛けている。当然、生声。それだけで嬉しくなってしまって、カメラがファンブースを向いてる時に隠れそこなってしまったときが何回かあった。けっこうファンが写ってて、帰ってからビデオ見て驚いてしまったよ。他のゲストの時はそんなことないって聞いてたのに。
 まあ、他の人は、こういう形の観覧自体が存在しないのかもしれないけど。

 寛くん登場直後のCMの時にスタジオに入り、コーナーが終わったCM中で外に出させられた。コーナー中のCMの時も、彼はただ座っていただけで、私たちは「隠れないで」「答え分かったら手をあげていいから」とADさんに注意されてるだけだった。終わってからも寛くんはとっとと奥の控え室の方に行ってしまったので、別段おいしいこともなく、テレビで見られるだけの会話しか耳にしていない。
 しかし、それでも、ナマはいい。
 私たちが何かで笑ったり拍手したりするたびに、寛くんはこっちに視線を向ける。少しだけだけどにこりと笑ったり、意外そうな顔をしたりする。こちらの行動に対して、彼がリアクションを返してくれるのだ。テレビだとこうはいかない。これがもう、ナマの醍醐味だったりするのだな、うん(*^^*)

 ただ、やっぱり告知関係の押しはイマイチ弱かった気がする。もっともっと、CDのことを言って欲しかったし、録音の時の裏話なんかもして欲しかった。そうすれば、漠然と見ていただけの視聴者も、興味を持ってくれるかもしれない。それはCDの売り上げにも繋がるはずだ。なにせテレビだ。大衆への影響力には絶大なモノがある。
 過去は過去として歴然と存在し、それはもう動かしがたい事実なのだからひとつの財産として欲しいけど(過去を変えたがって無理矢理編集した不自然なビデオ流させる某事務所みたいな考え方もあるけどね。はっきり言って、あれは大人げないと思う。怒るより何より、呆れた)、これからもっともっと、いろんな歴史を作って行くわけだから、ね。出来るだけいい結果の歴史を見てみたいのだよ、私は。
 だから寛くんにも、いいもの作って欲しいと思うし、努力して欲しいと思う。もっとイベントやって、もっとテレビ出て、もっと宣伝して欲しいと思う。せっかく曲は、いい出来なのだから。

 スタジオから出るときに、片隅に置かれた「はなまる」の机の上のやっくんの名札が目に付いた。そういえば彼も元ジャニーズだったなあと、漠然と思った。
 彼はもう、歌はやめたのだろうか。
 ライトの当たっていない名札が少し寂しげに見えたのは、私の気のせいかもしれない。



97/11/06 「寛くん」
11/03 渋谷ON AIR EASTにてバースディパーティ
 その前日に27歳になった男の人をつかまえて「可愛い」もないものだと我ながら思うのだが、それでも寛くんは可愛かった。小豆色のスーツ、明るい黄緑のシャツ。相変わらずの華奢な体でひょこひょこと歩く様は、とても27とは思えない。前髪をきっちりと切りそろえた、ちょっとつぶやきシローみたいな髪型もまた、可愛らしさに拍車をかけていた気がする。アンコールの時のシマのシャツとベストは、場所柄、そこらにたむろってる小僧たちに混じってもわかんないんじゃないか?と思わせる有様だ。やはりあの人たちは、人魚の肉を食べたのだな、うん(笑)

 お気に入りのアルバムの中からの耳に馴染んだ曲たちを、少しアレンジを変えて聞かせてくれた彼。音楽的なことにはとんと疎い私にも、耳障りのよい、綺麗な曲だということはわかる。ちょっと鼻にかかったような、それでいて深いところで響く(ようになったと、私は思った)声が、透明なシャワーのように狭いライブハウスに降り注いで、心地よい「寛之空間」が作り上げられていた。
 「パーティ」と銘打った割に、プレゼント争奪じゃんけん大会があっただけの「ライブ」だったから、ちょっと期待はずれと言っていた友人もいたが、私はその点は気にならなかったな。何よりも、「歌手:佐藤寛之」を堪能できたから、けっこう満足して帰ってきた。アンコールで披露された新曲、かなり気に入ったし。最初「70年代風ディスクミュージック」って言われて怯えていたのだけれど(笑)、ノリもいい、曲調も綺麗、踊れる曲で大好きになった。発売が楽しみだ。

 バックバンドの人がやっている「なつメタル」というバンドのラインナップの中に「僕が昔いたグループの曲が」と引いてから、歌い始めた「ガラスの十代」ソロバージョン。当然だけど、当時の元気な歌い方ではなく、しっとりと落ち着いた声で、歌い上げてくれた。
 グッズとして作られていたカレンダーは、パッカーンと明るい笑顔だけではなく、憂い顔やちょっと寂しそうな顔もあり、画面も全体的に暗めだった。「すっきりと明るかった光GENJI時代のカレンダーがちょっと懐かしいね」と呟く友人。でも、黒のシャツで眩しそうに目を細めた寛くんは、めちゃくちゃ良い表情だったよ。

 「寛くん」という可愛い呼び方、もうそろそろ変えた方がいいのかもしれないなと思った。
 外見には似合ってるんだけど(笑)


追伸:樹生の出てる映画「GOING WEST 西へ……」、7日金曜日まで! とっても良くできたおもしろい映画で、樹生もいい味出してたので、まだの方は有楽町へ、ぜひ!(笑) ←もう間に合わないか……(^^;)


97/08/03 踊る寛之
 6月の彼のコンサートは、私の見た東京はすごく感動したし、楽しかった。照明で遊園地のようなシルエットを作り、綺麗なバラードがはじまるという演出があったのだが、思わず頬を涙が伝っていたほどだ。もともと上手かった歌にさらに磨きがかかっていて、「聞かせるアーティスト」になっていると思う。楽しいMCもあったし、私はとても満足して帰ってきた。
 光GENJI時代、彼の歌声は透明で美しいけれども少し弱いという印象があった。だから、せっかくの麗しい声に人を説得する強引さが足りなくて、それが彼の印象の薄さに繋がっていたのではないかと思う。
 ソロになって、彼は歌い方を変えた。少し鼻にかかったような感じで、透明感が薄れているような気がする。もとの綺麗で透明な歌声が好きだったので、少し残念だった。もとに戻して欲しいとも思う。それでもその変え方は、流行や現代を意識したもので、より売れることを考えての意図的なものだと感じている。そういう考え方ができるようになった彼に、芸能界で生きる人間としてのたくましささえ覚えた。
 その上、彼はこの春頃から、光GENJI時代の話を屈託なくするようになった。心ないファンが振るまでもなく、自分から「あのころは……」といいだすようになった。あろうことか、このツアーで彼は、すごく久々のダンスまで披露してくれたのだ。
 彼にとって、ダンスは光GENJI時代の象徴だったと思う。踊って歌って滑っていた、あの頃のシンボルであっただろう。それを、「今度のツアーは踊ります」と予告してまで、決行してくれた。
 何かがふっきれたんだなあ、と思う。
 かたくななまでに「(メンバーの)名前は出しませんよ」と言い張っていた彼の中で、どこかが変わったのだろう。そうでなければ、わざわざ予告してまで「ダンス」を強調したりしないと思う。
 どんなに自分が否定しても過去は変わらないのだから、ありのままを受け入れるしかないじゃない、と常々思っていたから、彼のこの変化は私にとっては嬉しいことだった。
 そしてそれが、私が彼に芸能人としてのたくましさを感じた一因なのではないかと思う。これからの彼の飛躍を予感させる、嬉しい変化だった。

 いつか彼が、歌のランク番組にトップ1で出演して、楽しそうに嬉しそうに歌ってくれることを夢見ている。そしてその時、「この俺がいたんだからね、光GENJIってのはスゴイグループだったんだよ」と、屈託なく当時のことを語ってくれたらいいなあと思っている。そうすれば、世間の光GENJIに対する評価も、少しは変わるのではないか。
 まあ、それぞれの分野で成功した7人全員がトーク番組でもやってくれて、そこでわいわい当時のこととかを語り合ってくれるのがイチバンなんだけどね。別に無理してローラーで踊らなくてもいいからさ。


97/08/02 ガーデン
 私のこの春は、寛くん三昧だった。
 他の子たちが何もなかったのも理由のひとつなのだが、ナマ寛くんに会えるチャンスがたくさんあったから、軒並み行ってしまった。やはりアルバムのキャンペーンというのはおいしい。なにせ、ナマの彼を間近で見て、歌も聴いて、握手までしてもらってしまったのだ。他はともかく、握手はコンサートにはないもんね。
 私は光GENJIの握手会に行ったことがない。難しい理由はない、彼らが握手会をしていた時期、私は光GENJIにまったく興味がなかっただけのことだ。今になってみれば「惜しいことをしたーー!!!」と後悔もするが、まあ、それは言っても仕方がないので、ここでは割愛する。
 だから、寛くんとの握手というのは、初めてだった。コンサート会場よりもずっと人が少ないこともあるのだろうが、すごく彼を身近に感じられた。目を見て、手を握って、声をかけるという、ただそれだけのことで、何がそんなにと自分でも不思議に思うほど、嬉しかった。
 普段テレビやコンサート会場で、一方的にこちらが「見る」だけの人が、自分と同じ土壌に立っているという感覚が新鮮だった。錯覚だとはわかっていても、彼が私の側の人間になったような気がして、すごく近しい人に感じられた。だから、あんなに嬉しかったのだろう。
 「CD売るためだよ」と言われてしまえば、確かにその通りだろう。宣伝の一環だということも、よくわかっている。それでも、その会場で、寛くんと会えたことは、私にとってすごく嬉しい出来事だったのだ。
 そんな風にして、心の中にどんどん「ファンな心」が育っていくのだと思う。アーティストとして良い歌を歌ってくれたり、素敵なコンサートを見せてくれることは、もちろん基本なのだけれど、「ファンな心」を育てるためには、会話までできるこういったイベントも、とても重要なのだ。
 寛くんが私たちの心に作ったガーデンで、着々と育つこの苗を、もっともっと大きくするためにも。
 寛くん、これからもナマで会える握手会、たくさんやってねー(*^^*)←結局これが言いたいらしい(笑)

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