マウス・オブ・マッドネス

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 受付けに運ばれたジョン・トレントにルームナンバーを言い渡すサバスティン。いきなり暴れだし、逃走を図るトレントだが、屈強な看護士に押さえつけられ、あてがわれた病室に。そう、ここは精神を病んだ者たちの集う病院である。

 「俺は狂っていない!」と叫ぶトレントに呼応し、周囲の病室からも同じ叫び声が響き渡る。その叫び声は、院内に流れだしたカーペンターズの歌声に同調し、歪んだハーモニーとなった。その合唱が電池の切れたテープレコーダーのように途絶えた時、トレントの病室がノックされた。ドアに歩み寄り、誰もいないことを確認したトレントが振り返ると、そこには黒い影が。そしてその影は言った。まだ終わりではない、続きを読めと。頭の中を不可解なビジョンが駆け回り、トレントはマットレスに倒れ込んだ。

 雷鳴鳴り響くなか、ウレン博士がトレントを訪ねてやってきた。トレントにとある症状が出ていないかを確認するためだという彼に、「外の状況はかなり深刻なようですね」と応えるサバスティン。さらに、トレントが要求したのは一本のクレヨンだけだと続けた。

 ウレン博士が病室に入ると、トレントは壁に向かって黙々とクレヨンを走らせていた。クレヨンの跡は、部屋中、そしてトレントの体中に走っている。退院させようと持ちかけるウレンに、これだけ書いたんだ、気が変わったからここに残るというトレント。彼が書いていたのは、十字架であった。たばこを一本要求し、トレントは話しはじめた。サター・ケインの事件について、何が起こったのかを。

 保健の調査員トレントは一つの保険金詐欺事件を解決し、その保険会社の社長ロビーとカフェでくつろいでいた。二人が座る席と通りをはさんだ向かい側の書店から出てくる男。しかしその男を認めた人々は驚きあわてて逃げ出していく。男が手にしているのは大振りの斧。ケインが座る窓際に歩み寄る男だが、話しに夢中でトレントたちはまったく気づかなかった。振りかざした斧でガラス窓を叩き割った男は、気が動転して動けないトレントのそばに屈み込み、「サター・ケインを読むか?」と訊ねた。思考さえも停止したトレントがその男の顔を見ると、男の目からは涙のように血がにじんでいた。そして男は、トレントの答えなど最初から求めていなかったがごとく、再び斧を振りかざす。しかし、いままさに振り下ろされようとした時、駆けつけた警官の銃弾に打ち倒された。

 テレビニュースで流される、書店を襲う暴徒たち。それは、サター・ケインの新刊が予定通り発刊されなかったために起こったものだった。ニュースキャスターは伝える。サター・ケインは単なる流行ホラー作家なのか、恐怖の預言者なのか。

 翌日、保険会社から新たな仕事を依頼されたトレントは、サター・ケインの本を出版しているアーケイン社のハーグロウのもとを訪れる。それは、2ヶ月前に姿を消したサター・ケインを探し出してほしいというものだった。しかも、最後に原稿を受け取った代理人は、トレントに斧をふるった男だという。その男も直接原稿を受け取ったのではなく、差し出し住所の書かれていない郵送だった。

 その帰り、ケインの本「ホブの町の恐怖」のポスターが貼られた裏通りで、少年を打ち据える警官に出くわすトレント。トレントに気付いた警官は、「おまえもやるか?」と振り返る。

 翌日、調査のためサター・ケインの本を買いにやってきた書店で、トレントは見知らぬ青年に声をかけられた。「僕には見える、彼はあなたに会う」と。その晩、ケインの本を読みはじめたトレントは、恐ろしいほどにリアルな悪夢を見る。

 ケインの本を並べ、考えに耽るトレントは、全ての表紙に奇妙な線が描かれていることに気づく。ハサミを取り出し、その線に沿って切抜いた表紙をつなぎ合わせると、一枚の地図になった。トレントはつぶやく、「表紙まで自分でデザインしたわけだ、ケインはここにいる」と。

 ハーグロウのもとに表紙でできた地図を持ち込み、実際の地図に重ねるトレント。それはニューイングランドの一角を示し、ホブズ・エンドはニューハンプシャーの辺りを指していた。ケインは失踪したのではなく、意図的にその姿を隠され、読者にケイン探しをさせるゲームではないかと考えるトレントだったが、ハーグロウは否定する。失踪し見つからないのなら保険金を、生きているならば原稿をと。

 ホブズ・エンドは架空の町ではなく、忘れ去られ地図からも消えた町ではないかと考えたトレントは、サター・ケインの担当編集者リンダ・スタイルズとともにその町を探しに出かけた。人気のないニューハンプシャー郊外を走り回る、トレントの運転する車。しかしいくら探してもホブの町は見つからず、いつしか日も暮れ、夜になってしまう。

 深夜、運転をかわったリンダは、暗闇の中一台の自転車を追い越す。そしてしばらく走ると、今度は同じ自転車、同じ服装の老人が正面から走ってきた。少年が老人にと不審に思ったリンダだが、そんなことがと思い気を取り直す。そして地図を確認し、視線を行く手に戻した瞬間、真正面に自転車に乗った老人が現われ、はねとばしてしまった。

 急停止し、横たわる老人に駆け寄るリンダ。しかし老人は「逃げられない・・・」とつぶやく。ふと老人から目をそらしたリンダのかたわらを、自転車に乗り走り去る老人。毛布をもって戻ってきたトレントも不審に思うが、次の町で電話をすることに。

 再びリンダの運転で走り出した車。眠り込むトレント。しかし、急に道が見えなくなり車の挙動がおかしくなる。あわててリンダが窓から顔を出すと、車の下に地面はなく、稲光に輝く黒雲であった。そして窓の横を走る光の列。何かの錯覚かと眼を閉じ頭をふるリンダ。そして目を開くと、そこには、早朝の薄明かりの中にたたずむホブの町があったそこでようやく目を覚ましたトレントに、運転をかわってほしいと告げるリンダだった。

 町に入り、ピックマン・ホテルに宿を取る二人。このホテルはサター・ケインの小説「ホブの町の恐怖」に出てくるが、ホテルの主人の老婆はケインのことを知らないという。しかし、ロビーに飾られた一組の男女の絵、部屋から見える風景、そしてホテルを出て歩く二人が見る風景すべてが、「ホブの町の恐怖」に描かれる風景そのままであった。

 トレントたちが向かったのは、ホテルの東側にそびえる、ビザンチン教会だった。ケインが「人類よりも古い巨大な悪魔の巣窟」と書いた。二人がそこへ着いた時、町の住民たちが銃をもってやってきた。そして子供を返せと叫んだ時、教会の扉が開き、少年が一人立っていた。しかし扉が閉じ、再び開いた時に立っていたのは失踪したはずのサター・ケイン。ケインが不気味に微笑んだ時、教会の裏手からドーベルマンの群れがやってきて、住民たちに襲いかかった。急ぎ車に乗りこみ、その場を離れようとしたリンダの下に少女がやってきて言う。「わたしには見える」と。

 ホテルに戻ったトレントは、これは出版社とケインが仕掛けたことであり、自分がホブの町でケインを見つけたことをマスコミに言えば宣伝効果があがることを見越したのだろうと怒る。ケインを隠そうとしたことは事実だと認めるリンダだが、ケインの失踪とホブの町の存在は仕組んだことではないという。そして、ホブの町で起こったこと、さらにこれから起こるであろうことは、全てケインの原稿に書かれているのだとも。本には書かれていないと反論するトレントだが、それもそのはず、まだ出版されていない原稿、あの狂気におちた代理人と、リンダしか読んでいない原稿に書かれていたのだから。そしてその内容とは、この世の終焉、それがこのホブの町から始まる。悪魔が世界を支配し、人間たちが異形のものに姿を変えてしまうものであった。

 しかし信用しないトレントは、一人帰ろうとロビーにおりてくるが、その隙にリンダが車に乗って走り去ってしまう。しかたなく町のバーに出かけたトレントだが、ホテルに戻ってきてもリンダの姿はなかった。

 そのころリンダはあの教会にやってきていた。そこでタイプライターに向かうケインに出会う。ケインは言う、この小説は、最初は自分が書いていると思っていた。しかしちがう、自分は書かされていたのだと。そして実現する力を与えられた、忌まわしい者たちがこの世に戻るために。これこそが新しい聖書なのだと。

 一枚の原稿を打ち終え立ち上がったケインは、リンダのそばに歩き、彼女の顔を原稿の束に向けさせた。その瞬間、リンダの脳裏をおぞましいイメージが走りぬけ、彼女は血の涙を流す。そして、「これが結末だ」と宣言したケインは、すでに異形のものとなりつつあった。

 部屋の前に物音を聞いたトレントがドアを開けると、リンダが倒れ込んできた。そして狂ったように口走る、助けて、おかしくなる、本を読んじゃダメ、おかしくなる! トレントは急ぎロビーにおり主人を呼ぶが返事がない。とりあげた受話器だが、電話は通じていなかった。そしてなにげなく振り返ったトレントが目にした絵には、男女の姿はなく、地を這う異形の怪物にかわっていた。

 ロビーの奥から叫び声のような音を聞いたトレントは、地下室へおりてゆく。するとそこには、女主人の服を着た触手の束のような怪物が、老人に向かって斧を振りかざしていた。それは異形と化した老婆とその旦那であろうか。あわてふためき部屋に戻ったトレントだが、ドアのガラス越しにみえるリンダの影、その背後とドアの下には地下で見た触手が。

 ホテルを飛びたしたトレントが車を走らせて大通りに出ると、そこには輪になって踊る住民たち、その中央にはリンダの姿が。斧を持った女がトレントのわきを罵りながら駆け抜ける。その女もまた、異形となりつつあった。

 現実なのか、大がかりに仕組んだことなのか混乱するトレントは、再びバーに立ち寄る。そこでは、バーの主人がライフルを持ってこしかけていた。彼は顔の傷を銃口で指し示し、五才の娘にやられたという。母親を殺し、次は俺をやったのだ。そしてその銃口をあごにあて、引き金を引いた。

 バーを飛び出し、肩で息をつくトレント。これは否応なく現実におこっていることなのだ。トレントはリンダを車に担ぎ込み、町から逃げようとするが、車のキーがないことに気づく。助手席で不気味に笑うリンダが手にしているものは車のキー。トレントはキーを取り返そうとするが、手にしたキーを口元に持っていき、飲み込んでしまった。リンダの口に指を突っ込み吐き出させようとするが、すでに手遅れ。その間にもホブの町の狂った住民たちがゆっくりと車を取り囲みつつあった。キーをあきらめたトレントは、ダッシュボードから取り出したドライバーを鍵穴にさしこみ、強引にエンジンをかけ、車をスタートさせる。

 「こんな田舎に来たからだ」ホブの町から離れようと車を飛ばすトレント。だが、リンダが首にしがみつき、キスを迫る。「本の私はあなたにキスをする」と。車を止め、飛び出すトレント。そして奇怪な姿勢でゆっくりと降りてくるリンダ。狂っている。トレントは車に戻り、リンダを置き去りにして走り出した。

 しばらく車を走らせるが、着いた場所はホブの町の大通り。一本道であるはずなのに、なぜかもとの場所に戻ってしまったのだ。「どこかで道を間違えたんだ」車をUターンさせ、再び走り出すトレント。だがしかし、その道の先には再びホブの町が現われる。さらにもう一度。しかしトレントが辿りついたのは、やはりホブの町の大通りで待ちうける住民たちの前であった。

 意を決したトレントは、今度はUターンせずに車をスタートさせた。アクセルを踏み込み、住民の列に突っ込んでいくトレントの車。しかし、列が二つに割れたその先に婉然と立っていたのは、なんとリンダであった。驚いたとれんとは急ハンドルを切りリンダを避けたが、路肩に止められたトラックに激突してしまう。

 ハンドルに持たれ、意識を失うトレント。しかし、彼が意識を取り戻した場所は、教会の懺悔室であった。驚いたトレントは扉を開けようとするが、ノブはびくともしない。そして落ちつこうとたばこを取り出した時、小窓が開き、男が話しかけてきた。「宗教なんて、神を実現するほどにはだれも信じてはいない」

 その男はサター・ケインであった。「わたしの本は18ヶ国語に翻訳され、億の部数が売れているのだ。聖書よりも多くの人間が信じている。そして虚構は現実となり、奴らは戻ってくるのだ」と。

 次の瞬間、トレントはタイプライターに向かうケインの部屋にいた。そしてケインのかたわらにはリンダが。最後の原稿を打ち終えたケインはそれをかたわらの箱にしまい、トレントに手渡した。マウス・オブ・マッドネス、それが最終章のタイトル。トレントの役目はその原稿を持ち帰り、出版社に渡すことだと語るケイン。原稿にはそう書かれているのだと。部屋の奥に通じる扉を背にしたサター・ケインは、その厚みを失い、扉に同化し、自らの体を引き裂いた。そしてそこには地獄へ通じる穴があき、その奥からは異様なうめき声とともにおぞましい“奴ら”がはい上がってきた。

 リンダから原稿の箱を手渡されたトレントは、現実の世界へ通じる通路をひた走る。しかし背後には“奴ら”が迫っていた。必死に走るトレントだが、足がもつれ倒れ込んでしまう。頭をかかえて観念したトレントだが、“奴ら”に飲み込まれそうになった瞬間、屋外の十字路に横たわっていた。手にした原稿をそこに捨て、通りかかった新聞売りの少年に道を聞き、ハイウェイに出たトレントは、トラックをヒッチハイクしてモーテルでその夜を過ごす。

 翌朝、フロントにやってきたトレントは、そこで小包を受け取る。その中身は、道端に捨ててきたはずの、ケインの原稿であった。驚きあせるトレントだが、その原稿を燃やし、ハイウェイバスで帰途に着いた。その中ですら落ちつき眠ることができず、ケインの夢に悲鳴を上げてしまう。

 ようやく帰ってきたトレントは、州の役場でホブの待ちの存在を調べる。しかし、州の歴史の中にすらその町は存在していなかった。そしてアーケイン社を訪れ、ハーグロウに一部始終を聞かせる。だが、ハーグロウから聞かされた事実は驚くべきものであった。トレントはケインから受け取った最終章の原稿を、ずっと以前にこの部屋でハーグロウに渡していたというのだ。そしてすでに出版され、もうすぐ映画が公開されるのだと。さらに、リンダ・スタイルズという編集者は存在していなかった。全てはケインが最終章の中で書き換えてしまったのである。

 「マウス・オブ・マッドネス」発売後、それを読んだ者たちは集団分裂症、集団ヒステリーといった状態に陥り、町には彼ら暴徒があふれていた。その中に、書店へ向かうトレントの姿が。そして彼は、以前出会った青年に再会し、彼に斧をふるった。「その本が好きなら、これも驚くまい」と。

 そしてトレントは精神病院に収容された。彼はウレン博士に語る、「人類がいたなんて、遠い昔の語り草になる」

 その晩、病院は異形と化した看守、病人たちの暴威が吹きあれ、トレントを残して誰もいなくなってしまった。無人の病院を抜けだし、無人の町へやってきたトレント。ラジオから流れる警告の声も、途中で途絶えてしまう。

 そしてトレントが足を踏み入れたのは映画館であった。上映作品は「マウス・オブ・マッドネス」。館内にはたった一人の観客の哄笑がこだましていた。

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