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(第2話)…弘法も木から落ち、猿も筆を誤る…
諺に「弘法も筆の誤り」や「猿も木から落ちる」というのがある。
ご存知のように弘法大師は平安初期の名筆家として、嵯峨天皇、橘逸勢(たちばなのはやなり)
とともに三筆に譬えられているほどの達筆家であったと言われている。
この諺にどのような意味があるのかというと、「弘法」ほどの名人でさえも、時には書き損なうことがあるものだとう例である。
一方、「猿」の方も、その道の名人・達人と言われる人でさへも失敗することがあるという例で、どちらも同じ意味合いで使われることが多いようである。
少しマイナーになるが、同じような諺に、人を例に挙げたものだと、「釈迦にも経の読み違い」というのがあり、動物だと「河童の川流れ」というのもある。
何が言いたいのかというと、日本の諺には、「古くからの人生の知恵 を表現した言葉の技や、処世のための有効な教訓などが多々含まれており」、相手に話題を提 供するうえで、会話を面白くしたり、場を和ませたり、苦境の相手に心の癒しや励ましを与えることが できる」ということを言いたいのである。
反面、使い方によっては「場を白けさせて」しまったり、相手に「ダメージを与えて」しまったりするほ
どの「強力な武器」ともなってしまうので、言葉を口に出すときは慎重に要注意で望みたいものである。
という訳で、タイトルにもあるように諺を故事付けの屁理屈でアレンジしてみると、意外とピッタリくる感じのものがあり、理にかなっているような錯覚に陥ってしまうことがある。
然るに「弘法が木から落ち」ても、「猿が筆を誤って」もチットモ可笑しくはないと小生は思っている。
なぜならば、人間はもともと類人猿の時代から木登りが得意な動物でもあるし、猿の方はというと、「日光猿軍団」ではないが、調教次第では筆使いが上達することだって可能なのである。
下手をすると、その辺の連中よりは数倍も達筆になれるかもしれないではないか。
まっ! ウィットの一つや二つあってもいいものである。
コミュニケーションの最中に話題の提供に事欠いたり、言葉に詰まったりというときには諺 のアレンジに挑戦し、「呆気にとられている面々の顔色を窺ってみるのも面白い」かも知れないと思った 今日この頃である。
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