マチュピチュ5日目


5月3日

ホテルは大変静かで、ぐっすり眠れました。いやぁ良かった。ここのホテルが一番良かったかも。でも朝方は冷え込みます。2800Mくらいある高地ですからね。部屋にあったオイルヒーターは大変助かりました。
さて、今日も早朝から観光です。今日はいよいよマチュピチュへGO!

朝食を食べてから、出発。問題はおなかの調子です。トイレに頻繁に行ってはいるものの、どうもまずい。今日は登山をしようという話になっていました。マチュピチュ観光はせいぜい2時間くらいなのに、滞在時間は7時間近くあるからです。ただ、ネットでいろいろ調べたときには、「死ぬほど辛かった」と書いてあったんだよな〜、と不安でもありました。

マチュピチュまでは、オリャンタイタンボ駅から電車に乗っていきます。山の上にある遺跡なのですが、標高は意外に低く、2400Mくらいなのです。今いる場所よりも低いのはありがたい。
駅にはすでに観光客がたくさんいて、日本人のツアー客とも初めて一緒に行動することになりました。
マチュピチュまでの電車は、3種類あります。ハイラム・ビンガム・トレインという高級車、観光列車のビスタドーム、安いバックパッカーです。わたしは、ビスタドームに乗りました。ハイラム・ビンガム・トレインとビスタドームはアメリカの会社が運営しているとのこと。
このビスタドームは屋根のほうまで窓があって、アンデスの山々や自然を楽しみながらマチュピチュまで行くことができます。行きも帰りも、眺めの良い席に乗ることができたのでラッキーでした。

ただ、予約席がなぜかジミーさんと離れている。まぁ、同じ電車だからいいか。
席に行ってみると、わたしの席におじさんがすでに座っていました。どうやら間違っていたようです。すかさずジミーさんが、「席を替わってくれないか?」と交渉し、親切なおじさんは替わってくれました。良かった良かった。
向かいの席に日本人のツアー客が乗っていたので、うれしくなって早速話しかけてみます。
新婚のご夫婦で、だんなさんは初めての海外旅行だとか。初めてでマチュピチュはなかなかすごいぞ。行った場所を聞くと、わたしが行ったモライ、マラスの塩田、オリャンタイタンボなどは見ていないらしい。ちょっと得した気分になりました。
チチカカ湖に行くのは同じコースなのですが、最終日にはナスカの地上絵を見るとのこと。
「きっついらしいですよ〜セスナ!」
「え!そうなんですか?!」
というわけで、えんえんとナスカの恐怖体験を話しておどすわたし。
なんでも奥さんはクスコで高山病にかかり大変な目にあったばかりだそうで、セスナにのるべきか真剣に悩んでいました。
まぁ、旅の最後だからベロベロになってもいいとは思いますけどね。わたしはぜっっっっったい乗らないけど!

というわけで、久しぶりに日本語で楽しくお話をしている間にアグアス・カリエンテス駅に到着。ここでバスに乗り換えて一気にマチュピチュの遺跡まで行きます。
アグアス・カリエンテスは「温泉」という意味だそうで、ホテルも並んでいます。ここに泊まって、マチュピチュ観光する人もいるそうです。
さて、バスが走る道はすごいヘアピンカーブで急なのですが、この道を歩いて遺跡まで行く観光客がちらほら。
インカ道を歩くトレッキングコースもあるのだそうで、重そうなバックパックを背負って歩いている人もみかけました。みなさん、タフです。
駐車場に到着し、バスから降りるとそこはマチュピチュの入り口です!
遺跡の中にはトイレがなく、この入り口付近にあるのみ。一回入ると1ソル(30円くらいです)かかります。
念のためにもちろん入りますが、ここまで来ないとトイレがない、というのはきついなぁと不安が募ります。朝食を食べてトイレにはいったけど、歩くと出たくなるんだよね。

さて、不安はいっぱいでしたが、まず登山を済ませてしまおう、と登山口に直行します。
山の名前はワイナピチュで、「新しい山」という意味だそうです。ちなみに、マチュピチュは「古い山」という意味だそうです。良く、マチュピチュの写真で遺跡の向こうに見える三角の山がありますよね?それがワイナピチュです。250Mを登る登山なのですが、行きに40分かかるとガイドブックには書いてあります。
ワイナピチュまで遺跡の中を歩いていくのですが、ちょうど朝もやの中のマチュピチュ、なかなかいい雰囲気です!

行ってみると、すでに行列が出来ています。こんなにみんな登るのか。1日に入れる人数は500人と限られているそうなので、午前中に殺到するんですね。一人ひとり、名前を書いて登山に入るというのですから、本格的なものです。
でも、そのおかげでただでさえおなかの調子が危ういのに長々と待たされることになりました。
ここで、やめればよかったんですけど、ご存知のとおり止める人がいない。そして、旅行記読んでいる人はわかるでしょうが、わたしは無鉄砲を絵に描いたような女でございます。
というわけで、30分ほど待たされてからようやく山に入りました。

ワイナピチュははんぱじゃなかった.....!(泣)

ブータンの登山と同じくらいだろうと思っていたのですが、ブータンと違ってすべてインカ道の階段なのです。今までの登山の中で、間違いなく最高難度。階段の一段一段がかなり高い(40センチ以上が平均)。しかも、場所によっては、鎖を頼りにしないとよじ登れないような階段まである。
インカ時代の人って、こんなの毎日登っていたのか!?(呆然)
というわけで、ものすごいきっつい登山です。初めは少し下るのですが、それから一気に登り階段だけになります。

※ インカ道について
マチュピチュを作ったインカの王様パチャクティは、今のペルーのほとんどと、チリ・エクアドル・ボリビアなどにまたがった大国を治めたのですが、この広大な領土はインカ道という道で結ばれ、交易が行われ、地方の情報を知らせる飛脚などが利用したのだそうです。
このインカ道は、今でもアンデスの山々にたくさん残っています。山の中を走るインカ道とインカの遺跡は良くみかけました。

階段で疲れるだけならまだ良かったのですが.....知らないでいる間に高山病にもかかっていたらしく、とにかく体がしんどい。しかも、恐れていたとおり、運動したおかげで調子が悪かったおなかがグルグルいいだしました。半分も登らないうちに完全にエマージェンシーです。本当にもらすか!?とまで真剣に考えましたが、さすがにそれはいやだ。
「ジミーさん、トイレに行きたいです。我慢の限界です。(脂汗)」
「え、もどりましょう!」
「ムリ!!!」
引き返すといってもたぶん30分はかかります。絶対もらしちゃうよ。
わたしは、覚悟を決めました。幸いなことに、岩で作ったインカ遺跡ですが、少しは土が見える部分もあるのです。そのわずかな部分に目星をつけ、
「お願いですから、少し上で人が来ないようにブロックしてください!用を足してしまいますからっ!」
ジミーさん大パニックでしたが、したがってくれました。
下を見ると、幸いにして日本人の女性があがってくるのが見えました。大声でお願いします。
「すみません!おなかの調子がどうしても悪いので、用を足したいんです!なんとか人があがってくるのを止めてくれませんか?!」
「あ、はい、わかりましたー!」
ううう、よかった、それ今だ!もう恥だのなんだの言ってられません。万が一を考えてリュックに入れておいたトイレットペーパーを取り出し、本当にわずかな土面で用を足します。終わった後はトイレットペーパーでなんとかごまかします。すぐ下は急斜面。50センチ中に入れば遺跡。もう、究極の選択でしたね。
ブロックは長い時間できなかったので、何人かにはお尻を見られたような気がしますが、もうそんなの構ってられない。ぐったりしてジミーさんと合流。

それにしても、本当に究極の選択でした.....ガイドさんいなかったらどうなったことか。今後は、「危ない」と思ったら絶対大人のオムツにしようと思いました。トイレ対策で生理用のナプキン(本来の使い方ではない)は念のために使用していましたが、そんなもので下痢には対処できない。オムツがいい、うん。

こんなことがあったので、山を登るかどうか迷ったのですが、ここはほら、わたし無鉄砲だから。
何度もいいますが、止める人もいなかったので、登山続行(爆)。幸いにも、これ以降はおなかが少し落ち着いたので、トイレ危機はなかったのですが、とにかくきっつい登山にへろへろです。
途中すれ違う日本人に、
「あとどれくらいですか〜」
「まだ半分ですよ〜」
と確認しながらのぼります。自分で言うのもなんですが、良く登ったよ。
「あと少しですよ〜」
とジミーさんやすれ違う人たちに励まされながら、その少しがえらく遠かった。

それでも、なんと登山成功!マチュピチュ遺跡全体を見下ろす場所にたどりつくことができました。
もう、感無量。遺跡に感動じゃなくて、登山できて良かったという安堵でいっぱい。
景色もすばらしかったですけどね。コンドルの形をしているという遺跡の全体像が良くわかります。
ワイナピチュへの登山ですが、マチュピチュに2日くらい滞在するならオススメですけど、1日観光なら登らなくてもいいかも。マチュピチュ遺跡の中をゆっくり見るだけでも、ものすごい充実感があるからです。
わたしのように、征服欲旺盛な人にはオススメですが(笑)。

さて、少しゆっくりした後は、体力があるうちにすぐ下山。ワイナピチュ山頂までは普通40分とかかれていますが、わたしは休み休み行ったので、1時間30分かかりました。下山は、それほどではなかったのですが、やはり足場が急な階段を今度は下りるので、やはり1時間ほどかかりました。途中のトイレ事件の場所は、気づきませんでした。自分で気づかないくらいだから、普通の人は気づかないかも。そのうち自然に消えるだろうし。

下山した後は、とにかく昼休憩です。レストランでビュッフェなのですが、おなかの調子もあるのであまり食べられません。具合が悪いという感じはないのですが、とにかくばてている。
正○丸を飲んでいたのですが、さっぱり効きません。
後から失敗したなぁと思ったのですが、この下痢は食あたりではなく、高山病と過労からくる過敏性大腸炎だったのです。旅行ではなくとも、仕事で疲れたりすると良くなるのですが.....胃腸薬を飲むべきだったんですよね。
ジミーさんのオススメで高山病対策のコカ茶(コカインのコカとは違いますが、同じ種類です。それに熱湯をかけるとコカのハーブ茶のできあがり。高山病に効くらしい)を飲み、少し落ち着いたような気がしたので、午後の観光を開始します。

午後はジミーさんの案内で、遺跡内観光です。リュックサックは邪魔なので、預けて出発です。
まずは墓地にのぼります。ここから見るマチュピチュが、良く写真で見る風景と一緒です。うっとり。
ここでは、多くのミイラが発見されたのだそうですが、なぜか女性ばかりだったのだそうです。だから、「太陽の処女たちの特別な都市」だと言われたときもあったとか。今では、男性のミイラも多く見つかっていて、王の居住地だったという説が有力なようですが。


これぞマチュピチュ!向こうに見える三角山がワイナピチュ。

景色にうっとりとした後は、太陽の門。ここが、居住区域に入る正門になっています。

その後は、石切り場。マチュピチュは山を切り崩して作った都市で、インカの特徴である石組で組み立てられているのですが、ここはその石の切り出し場だったようです。大きな石を切り出すために楔を打ち込んだ後があるものや、コンドルの絵が描いてあるものなどがあります。硬い黒い石で柔らかい石を削ってツルツルに表面を加工していたとのこと。

三つの窓の神殿の、この窓は夏至の日の出の位置にあわせてあるのだそうで、ここでもインカの天文学が使われていますね。
ジミーさんは虹色の神殿、と言っていたのですが、ガイドブックなどを見ると主神殿となっています。インカの石組が素晴らしいです!

途中の石組ですが、良くみると二種類あることがわかります。
カミソリも入らないような精巧さで積み上げているのが、もともとのインカの石組。それらしくつみあげているけれども、土が間に緩衝材として入っているのが現代の復元した石組です。現代の技術でも、インカ時代の精巧な技術を再現するのは難しかったことを意味していますね。
また、ところどころにある入り口で、段差がある場所があるのですが、それは二重扉になっていた部分なんだそうです。二重になっている場所は、それだけ重要だという意味だとのこと。
また、壁面や扉の形などは、台形だったりまっすぐではなく傾斜していたりします。地震に強い石組にしてあるのだそうです。細かい!

さて、ここまでは順調だったのですが、ここでまたエマージェンシー!
慌てて遺跡の外までもどります。それにしても遠かった!ジミーさんは「すぐ」だと言うのですが、下痢の身には辛い。 過敏性大腸炎はいきなり発作のようにおなかに来るのです。
後から地図を見たら確かにすぐ側なんですが、遺跡の中はまっすぐ行けない(インカのつくりはアップダウン)ので、大変辛かった。

何とか無事、トイレで用を済ませて、またまたぐったりしてジミーさんと合流。
少し休んだ後は、また観光開始。そうです、わたしは意地っ張り。

まずは、王女の宮殿。これは唯一の2階建てなんだそうです。そのあと、陵墓を見学。もともとはミイラの安置場所だったみたいですが、この石の加工は見事ですね。

そして太陽の神殿を外から見学。前は中に入れたそうですが、心無い観光客により、内部の遺跡が壊されたのだとか。それ以来、中には入れないようです。

遺跡の中には水路があり、今でもアンデスの山々から流れてくる水が流れています。この水汲み場の石の加工もすごいです!

このあと、さきほどの広場にもどってさらに奥の遺跡に入ります。神官の館では、24角の石組が見られます。クスコの石組で12角の石というのが有名ですけど、ここのはもっと細かいのです。
また、「声が響くんだよ」というので、壁にあるくぼみに頭を入れてみると.....
「聞こえますか〜?」(ジミーさんは、まったく反対側のくぼみでささやいているだけ)
おおお、良く響く!神官の神事にでも使っていた仕掛けだそうです。石の共鳴を使った見事な仕掛けです。

そのあと、インティワタナと呼ばれるインカの日時計の場所へ。これも、夏至や冬至などを計測するためのものだったのだとか。さわることはできないのですが、手をかざすとパワーがもらえるよ、というので試してみます。
「ビリビリしない?」
「.....しない。」
信じてないとだめなんだろうか?後は体調不良すぎて感じないのかも。ジミーさんは残念そうでした。ごめんよ。

それから下に降りて、コンドルの石を見学。ここは、拷問場所だったんですね!何気なく通ってしまったが。

さて、これで説明つきの観光は終わりです。まだまだ遺跡はたくさんあるのですが、全部を見るのはなかなか時間がかかります。インカの造りなので、アップダウンが激しいし.....何もワイナピチュに登らなくとも、いろいろ見るところがあったなぁ、とちょっと思いました。
アメリカ人などは、ゆっくり遺跡の中で寝そべったり、時間をかけて観光するみたいです。マチュピチュは大変広い遺跡で、たくさんの人がいても混んでいる感じはまったくしないので、登山しなくとも十分楽しめると思います。

マチュピチュがコンドルの形をしているというのは前に書きましたが、ワイナピチュの脇の山々は、人の横顔に見えるのだそうです。神の顔というわけです。そういう地形を見つけて、わざわざ都市を築いたんですね。

まだ時間はあったのですが、とにかく疲れたので、山を下ることにしました。有名な「グッバイボーイ」は出ませんでした。

※ 急斜面をかけぬけてバスを追い越し、曲がり角でグッバーイ!と手をふるらしい。最後にバスに乗り込んでチップをねだるのだそうだ。ジミーさんいわく、今の時期(乾期になると出てくる)はまだ早いのだとか。

さて、マチュピチュ観光が終わった後は、まだ時間があったのでおみやげ探索です。
ふもとの市場が結構大きかったので、いろいろ探します。アルパカはやはり、気に入ったものがなかなか見つからなくて断念。可愛い手刺しの刺繍のなべ敷きを見つけたので購入することにしました。ジミーさんにディスカウントしてね!といわれていたので、さっそく交渉です。
「これだけの数買うから、少し安くして?」
「んー、どれくらいならいいの?」
「.....60ソル」
「.....手縫いだから、100ソル」
速攻、落ちました(苦笑)。だって〜、確かに凝ってるんだもん!
後から追いついてきたジミーさんに、「高いよ!」と言われたけど、まぁ市場の人にも生活があるしね。1つ600円くらいなら、どっちみち安い。
その後、可愛い編みぐるみの指人形を購入して、満足。これでだいたいのおみやげは揃った。あとは、アルパカかぁ。

帰りの電車は、とにかく疲れていたので、爆睡モードだったのですが、電車に乗ってしばらくすると、音楽が鳴り出しいきなりファッションショーが始まりました。
しかも!モデルは電車のスタッフさんたち。さきほどまで制服で働いていた人たちがいきなりアルパカ製品を着て電車の中を練り歩くのです。結構、笑えます!
お姉さんはノリノリでしたが、お兄さんは恥ずかしそうでした。せっかくやるなら、ノリノリでやればいいのに。
この企画、結構好評みたいで、売り上げもそこそこあるんだとか。しかし、電車の中でファッションショーを見るとは思わなかった。そして、お姉さんの露出が少しずつ高くなるのにドキドキした。

電車を降りてからは、また専用車でクスコに向かいます。今日は、標高3400Mのクスコに宿泊です。さすがに、空気が薄い。ただでさえ過労でげろげろで高山病併発、マチュピチュのハードな観光でへとへとという三重苦のため、もう体力限界です。
ホテルは、日本人経営ということで感じが良かったのですが、なぜかわたしの部屋はレストランのすぐ隣で、しかも二部屋続きだった。
まぁ、清潔で従業員が親切だったので満足でしたが。でも、とにかく寒いです!オイルヒーターをつけて、コカ茶を飲みながら夕飯を食べたら(相変わらず食欲はない)、シャワーを浴びて速攻ダウン。
明日は、さらに標高が高くなります。

ところで、ペルーの人って、トイレットペーパーをすごく凝って折るんですよ。三角になってる日本とは違い、屏風たたみだったり、リボン風だったり。すごいなぁ。