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※この論文に関しては、理由に関係なく、無断転載を一切禁止します。
 何らかの理由で引用を希望される方は、メールにてご一報下さい。





                 1997年度兵庫県立看護大学総合看護






     (表題)

            男子看護学生が母性看護実習を行うことの学習的意義


















                     941002   浅原 佳紀


            1997年12月19日提出







要約
 1989年のカリキュラム改正に伴い、男子看護学生も母性看護実習に
積極的に参加するようになった。
 しかし、未だに男子看護学生が母性看護実習を行うことには問題が多く、
対象である妊産褥婦には、拒絶する人も出てきている。
 現在、男子看護学生による母性看護実習には、受け持ち患者の選定、
実習内容など、様々な配慮が加えられて行われている。
それらの配慮によって、実習がスムーズに行え、男子学生にとって
より意義のある実習となる。
 私自身の実習経験からも、これといった混乱もなく、私にとって非常に
勉強になった実習となり、有意義であったと思われる。
 さらに、そのような配慮がなくても、新生児ケア、夫への指導など、
男性でも問題なく行えるケアもあり、母性看護実習でしか経験できない、
いろいろなことが学べ、意義があるといえる。
 もし、男子看護学生が母性看護実習を行わなかったとしたら、
どうなるだろう。看護基礎教育の十全性という観点からみれば、
看護のある側面が欠けた看護士になってしまうといえるだろう。
 さらに、将来的にみて、助産の免許を男性にも取得できるようになるかも
しれない、母性の領域で活躍する男性が増えるかもしれない、という
現状を踏まえると、より実習の必要性は高まるであろう。
 実習を行わないとすれば、教室での学習のみになってしまう。
教室での学びと実体験における学びとは、違うものであり、実体験でしか
学べないことがある。
 最近の文化人類学的な認知心理学が提起している「正統的周辺参加論」では、
学習とは共同体における、文化的実践への参加であるとしている。
文化的実践つまり、病院という文化の中で実際に体験することによって、
本当の学びが得られるということである。
 私たちは、実習を行う中で、他者との交流を通して、アイデンティティ形成
をするのである。それは、決して教室での学びでは得られない、
実習で得ることができるものであり、それを学ぶことができる実習は非常に
意義のあるものであるといえる。
 また、母性という領域は、非常に特殊な領域であり、母性の実習でしか
学べないという部分も多い。
 妊産褥婦に看護する際の態度の形成や、女性特有の生理機能についての
学習など、教室における母性看護の講義では限界のあることをを学ぶことが
でき、実習は有意義であるといえる。
 以上のように、男子看護学生が母性看護実習を行うことには、
様々な意義があるということができる。




1.序論
2.男子看護学生による母性看護実習の実際と将来
 2.1 男子看護学生による母性看護実習の実際
  2.11 実習の理想と現実とのギャップ 
  2.12 対象の受け入れと男子看護学生に対する印象
  2.13 受け持ちの選定について
  2.14 実習内容について
  2.15 インフォームドコンセント
  2.16 新生児ケアについて
  2.17 夫への指導
  2.18 感謝の手紙
  2.19 私の実習体験
 2.2 男子看護学生による母性看護実習の将来
  2.21 看護基礎教育課程における十全性
  2.22 「助産士」論争
3.実体験における学び
 3.1 文化的実践への参加
  3.11 他者との交流
  3.12 アイデンティティ形成
 3.2 領域固有性〜母性実習でしか学べないこと
  3.21 看護者としての態度形成
  3.22 女性理解
4.結論









1.序論
 1989年にカリキュラムの改正があり、それまであまり行われていなかった
男子看護学生による母性看護実習が行われるようになった。そのことについて、
猪崎ら(1995)は次のように報告している。

 男子看護学生の母性看護実習のありかたは、「保健婦助産婦看護婦学校
 養成所指定規則」の改正(1989年)により、大きな改善が迫られている。
 即ち、新「規則」は、「従来、男性と女性を区別していた教育内容について、
 男女の区別をなくした」と規定し、男女の区別のない母性看護実習を
 求めている。
 改正前は、男子学生の母性看護実習は精神科実習に置き換えが可能であった。
 先行研究によれば、ほとんどの学校では精神科実習やその他の
 成人看護実習に置き換えており、男子学生の母性看護実習に取り組んでいる
 事例は稀であった。
 ところが「規則」の改正にともない、男子学生の母性看護実習を実施する
 学校が全国的に少しずつ増えてきている。

 しかし、なぜ男女の区別をなくす必要があるのだろうか。その点について
触れている文献はほとんどない。
 私も実際母性看護実習を行ったわけであるが、やはり実習前には、
このような実習ははたして必要なのだろうか、対象の人に受け入れて
もらえるのだろうか、など、様々な不安を抱えていたわけであるが、
実習を無事終えて、私の中には何かしら漠然としているが、獲得できたものが
あった。その時私は、「男子看護学生が母性看護実習をするということには
何かしら意義があるはずだ」と感じ取ったのである。
 私は以前にこのような話を耳にしたことがある。「看護士が産婦人科で働く
ことはないんだから、母性看護実習なんて必要ないのではないか」はたして
そうだろうか。仕事のために実習するのだろうか。いや、そうではない。
ケアの概念を広げるために実習するのである。それに、今のところは看護士が
仕事で母性に関わることはほとんどないが、でも将来的に見れば、
ひょっとしたら看護士が母性の領域で働くようになるかもしれない。
よって、そのような理由で男子看護学生の母性看護実習を否定するのは
疑問が残る。
 この論文では、男子看護学生が母性看護実習を行うことにはどのような
意義があるのか、ということを、文献を中心にして、私自身の実習体験を
交えながら考察していく。

2.男子看護学生による母性看護実習の実際と将来

2.1 男子看護学生による母性看護実習の実際

2.11 実習の理想と現実とのギャップ
 1989年の規則の改正により、男子看護学生は女子と区別のない母性看護実習を
するようになった。しかし、改正から8年あまりたった今でも試行錯誤の
状態が続いている。猪崎ら(1995)の報告では、次のように受け入れ側である
病院側の準備が不十分であることを指摘している。

 「宮崎県でも規則の改正後、男子学生の入学を許可する学校が増えてきている。
 しかし、実習受け入れ病院の中には、新生児室での実習以上には、
 男子学生の母性看護実習を許可しないものも依然としてある。このように、
 新規則通り、男女の区別のない実習を実施したいと願う学校側と、
 実習指導にあたる病院側との間に、未解決の問題が数多くあるのが現状である。」

 その点について山内ら(1994)は、次のように事前の学校側と病院側との調整の
大切さを述べている。

 「母性実習では生殖器を露出する機会が多く、異性に対して羞恥心や
 ためらいがあることをお互いが了解した上で、患者が満足のいくケアが
 受けられるように、また、実習がスムーズにいき、学習効果があり、学生にも
 満足感が得られるように、調整を行うことが必要であると感じた。」

2.12 対象の受け入れと男子看護学生に対する印象
 男性が入ることがほとんどないところに突然男性が入っていって、その上、
身の回りの世話をするとなると、現場が混乱してしまうのではないかと
いうことは、誰もが予想することであろう。実際の男子看護学生による
母性看護実習はどのように行われているのだろうか。
 男子看護学生にケアされることに対して肯定的な人もいれば、もちろん
否定的な人もいる。猪崎ら(1995)の報告では、妊産褥婦の男子学生受け入れの
感想として、「いいことだ」という「積極的肯定」の割合は、男子学生から
見学や援助を受けた経験のある群が38.2%、経験のない群が18.3%である。
 さらに猪崎らは、「仕方がない」という意見を「消極的賛成」と、賛成意見の
一部とみなし、その意見を含めると、賛成意見の割合が経験のある群が73.5%、
経験のない群が39.2%であると報告している。
 この経験のある群と経験のない群との違いについて猪崎らは次のように考察
している。
 
 「妊産褥婦の抱く男子学生のイメージの差が考えられる。看護士の存在を
 知らなかったり、男子学生の実習場面を見たことがない妊産褥婦には、
 男子学生と病産院のイメージが合わず、受け入れがたい存在となってしまう。
 一方、看護士が精神科以外の領域で働く姿を見たり、男子学生の実習場面に
 遭遇していれば、より自然に受け入れられる。」

 現状として、看護士の数は徐々に増えつつある。このことは、将来的に
看護士が他の領域に進出していけば、より接触する機会が増え、より妊産褥婦の
受け入れがスムーズにいくということを示唆しているといえよう。

2.13 受け持ちの選定について
 しかし、現在の状況ではやはり男子学生にケアされることに戸惑いを持つ人も
多いので、受け持ち対象を選定するときには充分な配慮が必要である。
 肯定的な受け持ち対象を選定すれば、当然混乱は少なくなるし、実習が
スムーズに行く可能性も高くなる。山内ら(1994)は、次のように受け持ち対象の
選定の重要さを指摘している。
 
 「受け持ちを決める際には、臨床指導者とコミュニケーションがとれている人
 を受け持たせたいと思った。同時に、明るい性格の人、面倒みのよい人が
 よいと思った。また、初産婦でなく、経産婦のほうが病院やスタッフ、
 育児にも慣れており、分娩の経験があるので余裕があってよいだろうと
 考えた。(中略)受け持ち患者の選定、受け持ち依頼の時期、タイミングは
 とても難しいが、重要なので、慎重にする必要がある。」

 山内らはさらに「今回はこれでよかった」と、受け持ちの選定を間違わな
ければ混乱なくスムーズに実習が行えることを示したうえで、「場合によっては
初産婦の方がよいこともあると思う。」と、選定の条件を型にはまったものに
するのではなく、ケースバイケースで慎重に選定しなければならないことも
指摘している。

2.14 実習内容について
 受け持ちの選定がうまくいった後でも、実習内容についても充分に配慮して
いかなければならない。山内らは、実習内容について、次のように、無理に
男子学生にケアを全部実施させるのではなく、スタッフがフォローすることに
よって混乱を回避できるということを述べている。
 
 「受け持ち患者のケアはできるだけ学生にさせるようにしたが、学生が
 出来ない部分は学生に代わって臨床指導者が実施してみせるというかたちを
 とった。臨床指導者は常に患者に必要な援助が適切に行われているか責任を
 持って見ていき、スタッフにも、患者に気を配ってくれるよう依頼した。
 とくに乳房や性器(外陰部)に直接触れるケア、処置は必ず臨床指導者か
 スタッフが同行し、指導者が実施するのを見学させ、可能な場合に限り、
 実施させるようにした。状況によっては臨床指導者がケアを実践するという
 かたちで役割モデルを提示し、学生にはケアを実施させずに見学だけでよいと
 考える。」
 
2.15 インフォームドコンセント
 さらに山内らは、退院後の褥婦へのアンケートの結果として、次のような
 内容のことを報告している。

 「乳房マッサージのときは、看護婦さん(臨床指導者)が説明しながら、
 マッサージしてくれたので、別に恥ずかしくなかったが、『学生さんにも
 マッサージさせてもらえないか』と言われたときは戸惑った。パット交換は
 恥ずかしいので、お断りすると思う。また、当たり前のことなのだろうが、
 学生が恥ずかしがったり、照れたりせずに対応してくれたので、こちらも変に
 “男の子だから”と意識せずに済んだのだと思う。」

 このアンケートの内容からも、妊産褥婦に事前に「嫌なことは断る権利がある」
ことをはっきりと伝えることによって、混乱を招くことなく、実習がより
スムーズにいくようになるということが分かる。
 
2.16 新生児ケアについて
 直接的なケア以外の場として、新生児に対するケアがあげられる。
山内ら(1994)は、男子看護学生の新生児に対するケアについて、次のように、
混乱なくスムーズに行えることと同時に、直接的なケアへの導入にもなり得る
ことを示唆している。

 「新生児の世話については、褥婦はむしろ安心感と信頼感さえ、学生に対して
持っているように思われた。的確な新生児のケアができたこと、熱心に
新生児看護に取り組んでる姿勢が、その他の関わりへの突破口になったようにも
思う。新生児室で男子学生が実習をするのは抵抗ないようであった。」
 
 実習の内容だけでなく、実習の順序についても配慮することによって、
より実習がスムーズに行うことができるといえよう。

2.17 夫への指導

 男性が母性看護の領域で活躍する場として思い浮かびやすいのが、夫への
指導、父親学級への参加などである。
 このようなことは、もちろん教室では学ぶことができないことであって、
実習でしか得られないものである。
 やはり、同じ男性であるが故に、話しやすく、また適切な指導も行いやすい
のではないだろうか。
 河田(1983)は、次のように、自らの体験をもとに、男性が夫に指導する
ときに有利な点を述べている。

 夫への指導は私が男性であったからできたのだろう。男には家事・育児に
 対して(中略)「男がやることではない。やるなんて恥ずかしい」というような
 変なプライドや照れもあり、女から、しかもそれが他人ならなおさら、家事、
 育児について言われることに、「他人の家のことにゴチャゴチャ余計な口を
 はさむな」と反発をもつ心が強くある。私が男だったから、男のそのような
 心理を理解でき、指導するにあたって、抵抗を緩和させることができたように
 思える。

 男子学生が母性看護実習を行っていく中で、母性の理解と同様に、父性の
理解ということも学習目標の1つになるかと思われる。
 もちろん、ただ「同じ男性だから」ということではなく、やはり1人の
看護者として、専門的な知識を備えた上でないと、適切なアドバイスは
できないだろうし、相手からの理解も得られないだろう。

2.18 感謝の手紙
 実習がスムーズにいった例として、矢本ら(1983)は、退院後の褥婦から
男子学生Aにあてた次のような内容の手紙を報告している。
 
 「看護士の卵Aさんに。1週間お世話になりました。毎朝「おはようございます」
 という挨拶とともにAさんが来られると、さて今日も1日赤ちゃんのために
 頑張らなければ、という気持ちになりました。お産の際、痛くて泣きわめく時
 力づけてくださったり、お乳の出の悪いのをくよくよしていた時励まして
 くださったこと、もちろん悪露の交換やマッサージ、シャンプーと快くして
 いただけたこと、感謝の気持ちでいっぱいです。私どもにかわいい赤ちゃんを
 授けてくださったのは神様のおかげだと思っていますが、Aさんが私を担当して
 くださったのも何かの力のように思えますし、看護婦さん、看護士さんの
 お仕事の重要性、ありがたさを私に教えてくださる一つの機会のようにも
 思えます。今夜も40cc飲んでくれて、とても嬉しい気持ちで休もうとして
 います。母乳の続く限り弱音をはかず頑張ります。Aさんも3月の国家試験に
 合格なさって、1日も早く立派な看護士さんになられますことをお祈りして
 います。1週間お世話になり、本当にありがとうございました。
 追伸、先生、もう一人の看護士の卵さんと陣痛室での出会いから、今日の
 退院の日まで本当に本当によくしていただきましたこと、感謝の申しあげようも
 ございません。陣痛室で腰をもんでくださったとき、とってもとっても
 ありがたかったです。お乳もボチボチ出るようになりました。皆さまのおかげ
 です。本当にありがとうございました。お元気で。」
 
 この褥婦は初産婦だったそうだ。このように実習がうまくいくと、男子学生の
学びもよりいっそう深くなるといえる。

2.19 私の実習体験
 さて、実際私も母性看護実習を行ったわけであるが、私の体験はどうだったの
だろうか。
 私が受け持ったのは23歳の経産婦Nさん。私が受け持つと決まったとき、
Nさんは出産後半日しか経っていなかった。男性が受け持つということで、私も
不安は拭いきれなかったが、Nさんは私の予想に反して、とても快く受け入れて
くれた。初めて自己紹介のために顔をのぞかせた時にも、笑顔で答えてくれて
嫌な顔は全然せずに、いつも笑顔で私と話をしてくれた。「男だということは
気になりませんか?」と私から聞いてみたら「そういうのは気にならない」と
笑顔で答えてくれた。
 経産婦ということもあり、前の出産の話とか、いろいろ聞かせてもらったし、
Nさんに教えてもらったことは多い。
 授乳に関しても、授乳室に入ることはやはり最初抵抗があったが、婦長さんが
他の褥婦さんに説明して下さって、了承を得た上で入っていったので、比較的
周りの人の受け入れはよかったのではないかと思う。
 特に私の場合は領域別実習の1クール目が母性看護実習で、本格的な実習の
1番最初が母性実習だったということもあって、戸惑いがあった。母性という
領域は他の領域とは違う特殊な領域なので、ある程度成人実習などで受け持ちを
持った後母性看護実習をしたらよりスムーズにいくのではないかと感じた。
 しかし、私が実習した時には、現場が混乱するとか、受け持ちが決まらない
とか、そのようなトラブルは全くなかったといっていいだろう。
 私は直接的なケアには関わらなかったが、受け持ちもスムーズに決まり、
新生児ケアもでき、沐浴も体験でき、私としては意義のある実習になったと
思う。他の褥婦さんに関しても、男性だからという抵抗感はなかったように
思える。外来実習の際にも、はじめは妊婦さんは戸惑うみたいだが、話をする
うちに次第に受け入れてくれた。
 実習前には心配していたが、その心配もただの思い過ごしだったように思える。



2.2 男子看護学生による母性看護実習の将来

2.21 看護基礎教育課程における十全性

 現在のところ母性の領域に関わっている看護士が少ないことは事実である。
だからといって、それを理由に男子看護学生による母性看護実習は不必要だと
述べるのは、「看護基礎教育課程における十全性」という観点からみれば
間違っているといえる。
 矢本ら(1983)は、次のように看護基礎教育課程の重要性を述べている。
 
 看護基礎教育課程においては幅広い学習が必要であり、(中略)男女学生
 区別のない科目履修をさせるべきである(中略)看護基礎教育課程は、
 看護者としての基礎的能力を得る課程であり、学生は成人、小児、母性を
 対象に看護を要する人々への看護実習を通して、看護者に必要な能力を
 自己のものとしていく。すなわち、それぞれの領域で共通する技術と
 その領域に特殊な技術を、対象の必要に応じ、対象にあわせて適用することで
 看護職に必要な能力を身につけていくのである。

 このように大切な課程において、母性の領域のみ欠けてしまう、ということは、
基礎教育という、その人の看護の、はたまた看護観の土台となる部分が弱く
なってしまう、バランスが悪くなってしまうといえるだろう。
 さらに矢本らは、次のような、男子看護学生が卒業後、看護士として経験した
ことや考えたことを書いた手紙を報告している。

 近所の妊婦が相談に来た場合、私は専門が違うので、話をきくことすら
 できないでしょう。それは、家庭・地域・職場を含めた看護場面を展開する
 場を自らせばめていることに他ならないでしょう。視野の狭い、病院内だけの
 看護者を育てるより、視野を大きく広げられるような看護者を育てることが
 大学本来の姿だと思います。どうか私個人の願いとしても、男性だからという
 ことで将来に不安を残して卒業させるようなことはやめていただきたいと
 切に希望します。

 さらに、将来的に活動範囲が広がり、母性に関わる看護士も増える可能性も
あることを考慮すると男子看護学生による母性看護実習はより意味のあるもの
になるといえる。
 
2.22 「助産士」論争
 現在女性のみに規定されている助産婦職を、男性にも「助産士」の資格を
付与するべきだという論争が起こっている。
 近年、看護職を目指す男性が増えており、さらに1989年のカリキュラム改正に
伴って男性も母性看護実習を行うようになったこともあり、助産職を希望する
男性が増えている。
 石田(1996)は、次のように、母性看護実習を体験することによって、男性が
助産に興味を持つようになることを報告している。
 
 看護士群を母性実習の経験の有無により実習群と未実習群に分け、助産士
 賛否などの相違を分析しました。その結果、(中略)実習群のほうが
 未実習群に比べて、有意に助産士導入に賛成で、受容度が大きく、好感情も
 大きい結果となりました。(中略)看護士の母性実習の体験の有無と、
 助産への興味や助産士希望の相違を分析しました。(中略)実習群のほうが
 未実習群に比べて助産婦の仕事に興味をもつ割合と、条件が許せば、
 助産士を希望する割合が有意に多いことが明らかになりました。
  
 もちろん、そのように助産士を希望する男子学生・看護士が増えてくれば、
助産士を容認するようになる可能性もでてくることが予想される。もし助産士が
認められるようになったとすれば、母性看護実習を行っていない看護士にも
資格が与えられるというのはおかしなことである。そのような点で、
男子看護学生が母性看護実習を行うことは意義があるということができるだろう。

3.実体験における学び

3.1 文化的実践への参加

3.11 他者との交流

 男子看護学生が母性看護実習を行うことに消極的な意見として、
「教室で学ぶだけで十分であって、なにも実習にでることはないのではないか」
という意見が挙げられる。果たしてそうなのだろうか。教室で学ぶということ
には限界がある。教室で学べないことを実習で学ぶのではないだろうか。
 それでは、教室で学ぶことと実習で学ぶこととはどう違うのだろう。
 佐伯(1995)は、「学習とは文化的実践への参加である」と定義している。
「文化的実践」、いわゆる「本物」に参加することによって本当の学習ができる
ということである。つまり、病院という文化の中に入り込み、そこで実際に
体験することによって学ぶことというのは、教室では決して学ぶことができない
ことなのである。
 佐藤(1995)は、次のように「学び」という言葉を定義している。

 学びの活動を意味と人の関係の編み直しとして再認識するとすれば、学びの
 実践は、学習者と対象との関係、学習者と彼/彼女自身(自己)との関係、
 学習者と他者との関係という三つの関係を編み直す実践として再定義する
 ことができるだろう。学ぶ活動は、対象世界の意味を構成する活動であり、
 自己の輪郭を探索しかたちづくる活動であり、他者との関係を紡ぎあげる
 活動である。(中略)学びの実践は、「世界づくり(認知的・文化的実践)と
 「自分探し(倫理的・実存的実践)」と「仲間づくり(社会的・政治的実践)」
 が相互に媒介し合う三位一体の実践なのである。

 「世界づくり」は患者を理解するとか、道具の使い方を学ぶとか、そういった
ことである。教室で「学ぶ」というときは、これを指す。しかし実際に現場で
「学ぶ」というときには、これ以外のものを学ぶことができるのである。
 「仲間づくり」は、「文化的実践」いわゆる「共同体」には、他者がいること
が前提であり、それは患者であり、ナースであり、ドクターであり、指導教員
であったりする。そこで他者との交流を通じて学ぶということである。
教室でも他者は存在するが、交流は存在しない。
 佐藤はさらに、次のように学びにおける他者との交流の重要性について
述べた上で、現在の制度における教室での学びにおいては本当の学びは
得られないことを述べている。

 学びにおける(中略)対話的実践は、他者とのコミュニケーションという
 対話の社会的過程において表現されている。あらゆる学びは、他者との関係を
 内に含んだ社会的実践である。(中略)しかし、制度化された学校に
 おいては、(中略)対話的関係は断ち切られ、三位一体の関係も解体されて
 いる。対話的実践としての学びも、三位一体の実践としての学びも、
 現実には、変革的な実践においてしか実現することはできない。
 
 このように教室での学びには限界があり、実体験によって学ぶという意義は
大きいものであるといえる。

3.12 アイデンティティ形成
 
 佐伯(1995)は、「学習とは、自分探し」である、つまり、
「アイデンティティ形成」であるとしている。
「自分探し」は、実際に患者と接してみて、案外関係がうまくいったときなど、
「自分にもできるんだ」という見通しをたてたりすることによって、自分が
やっていることの意味をはっきりさせることである。
 佐伯(1995)は、正統的周辺参加論を用いて、学習を「実践の共同体への
周辺的参加から十全的参加へ向けての、成員としてのアイデンティティの
形成過程」であるとしている。
 さらに佐伯は、正統的周辺参加論における学習観の特徴として、次のような
ことを挙げている。

 ・学習を個人の頭の中での知的能力や情報処理過程にすべて帰着させること
 なく、常に外界や他者、さらに共同体(コミュニティ)との絶えざる
 相互交渉とみなす。
 ・学習者を知識獲得者としてではなく、全人格(whole person)とみなし、
 学習によって変わるのは獲得される特定の知識や技能ではなく、共同体の
 成員として「一人前になる」というアイデンティティ形成とみなす。
 ・学習を成立させているのは、記憶、思考、課題解決、スキルの反復練習と
 いった脱文脈化した認知的・技能的作業ではなく、他者とともに行う
 協同的で、しかも共同体の中での「手ごたえ」として価値や意義が創発的に
 返ってくるような、具体的な実践活動であるとする。
 (中略)
 ・学習を動機づけているのは、単純な「外的報酬」でもないし、「好奇心」や
 「効力感」のような「内在的な(intrinsic)」動因でもない。むしろ、
 学習者が実践共同体に全人格的に「参加」しつつある実感と、「今、ここに」
 なにかしら共有の場が開かれているという予見によって、引き出され
 展開されていく実践活動の、社会的関係性そのものにある。
 ・したがって、学習を常に「進める」ものは、予見を可能にする共同体の
 十全性活動へのアクセスであり、学習者の参加の軌道に即しての、
 意味のネットワークの広がり、すなわち、「文化的透性」にあるとする。
 
 つまり、実習生は、周辺的に参加しているのであり、いずれは十全的な参加を
するということを視野に入れて共同体の一員として働いているということで
ある。そこで成員として仮に働いて、認められる、ということが、
アイデンティティ形成の最初の仕事であるといっているのである。
  実践共同体の中で、「今自分は現場にいるんだ」という実感をもって、
「ここでいろんな体験をしていくんだ」という予見をもつことによって、
学習が動機づけられているのである。
 そこで「共同体の十全的活動へのアクセス」をする、つまり、「十全的活動」
とはベテランナースの活動であり、それを見習ったり、「ちょっとやってみて」
と言われて実際にやってみることによって、スタッフの1人として、
「ああ、やってるんだな」という実感を持つことによっても学習が常に進んで
いる、つまり、動機づけられているのである。
 
3.2 領域固有性〜母性実習でしか学べないこと

3.21 看護者としての態度形成

 男性が女性を看護することに対しては、女性は抵抗を感じることが多い
ようだ。特に生殖器などを露出する機会が多い母性の領域ではその傾向が強い
ようだ。
 猪崎ら(1995)の報告によると、男子学生が行う実習項目について、褥婦に
アンケートを行ったところ、「悪露交換」は81.0%、「子宮復古観察」は45.0%、
「乳房のケア」は50.0%が絶対にしてほしくないと答えた。
 河田(1983)は、次のように、自分の体験を踏まえた上で、男性側の看護者と
しての態度の重要性を述べている。

 この患者が、私ともう1人の女子学生の受け持ちになった。この患者を、
 以下Aとする。(中略)体重測定をAは照れて、「恥ずかしいからいいわ」と
 やらないことがあった。私もその時は、「まあ、いいや」という気持ちに
 なって、体重計を持って帰ってしまった。しかし、その時、先日のある出来事を
 思い出した。Aの分娩2時間後の悪露交換の途中で、別の妊婦が急に分娩U期に
 入り、スタッフの人たちが慌ただしく動き回り、結果的に私が悪露交換をせざる
 を得なくなったのである。Aはそれに抵抗を持たなかったようだ。それは私が
 看護者としての意識を持って、ためらわず対応していたからであろう。それを
 思いだし、看護者としての毅然とした態度で、体重測定の必要性を説明すると、
 今度は快く応じてくれた。これによって、私は大切なことを学んだ。「患者が
 異性であることを絶えず意識し、配慮して対応していかなければならないだろう
 が、看護者としてそれを表面にあらわすことなく、けじめを持った態度で接して
 いかなければならない。そうすることによって、患者も看護者を異性であること
 は感じつつも、看護する者と認識し、結果として、看護行為は円滑に進む
 だろう」ということを学んだのである。

 このような態度形成は、やはり実践の中でないと不可能である。精神科、内科
などにも女性の患者は存在し、そこでも態度形成は可能であるが、母性という
領域は、それら他の領域と共通するところはあるが、また別の違う領域である。
「母性看護にとっての態度形成」が十分でないと、ある側面が欠けた看護者が
できあがるといえるだろう。
 前にも述べた「看護基礎教育における十全性」という観点からも、母性看護実習
でしか学べない、妊産褥婦に対する態度を実地で学ぶことは意義があることだと
いうことができる。

3.22 女性理解
 女性は、私たち男性にはない「出産」という特殊な行為を行うことが出来る。
もちろん、それに伴って、男性にはない臓器や生理機能を持っている。
 私たち男性にとって、それらのことを理解するのは、非常に困難である。
いくら教科書で勉強しても、いまいちピンとこない部分がある。
 そのような点で、実習によって、実際に子宮の復古の観察や、授乳の観察、
指導などを通して勉強することは、非常に意義のあることだといえる。
 看護展望編集部(1992)の看護士に対するアンケート調査によると、母性看護
実習の必要性について、「女性理解の役に立っている」「直接にかかわりはなく
とも、母性に関する知識、認識、造詣を深めることは必要。教科書による知識だけ
でなく、実習での学習は有意義」という回答を得ている。
 それは実際の私の実習体験からもいえることである。実習で子宮復古を観察する
ことによって、教科書ではいまいちよく分からなかったものが、実際に観察する
ことによって自分のものとなり、そこから勉強していくきっかけにもなった。
また、授乳の観察によって、ホルモンの分泌のことが教科書で勉強したことと
一致し、理解する上で非常に役に立った。
 私たち男性にとって、そのようなことを実際に体験できる機会は非常に限られて
おり、現場に出た後で勉強するということは非常に困難であると思われる。
よって、学生のときに母性看護実習によって体験し、勉強することは、有意義な
ことであるといえる。

4.結論

 以上述べたように、男子看護学生が母性看護実習を行うことには、様々な意義が
あるということができる。
 実際に母性看護実習を行った男子看護学生には、よい印象を持っている人も
多い。看護展望編集部(1992)が看護士に対するアンケートを行った結果、
学生のときの母性実習の体験の感想として、次のような意見が寄せられている。

 ・母親たちの受け入れもよく、他の学生と同じ実習ができ、現在勤務する病院で
 母子関係を考えたり、新生児を扱う場合でも大変勉強になった。
 ・他の科目と違って、妊婦、褥婦とも喜ばしい体験をするところなので、
 一味違った自習ができた。
 ・女子学生よりも充実したコミュニケーションが図れ、実習の効果があった。
 ・自分がしっかりして相手のことを考えて対応すれば受け入れてくれることが
 わかった。
 ・分娩は男には立ち入れない分野だと思っていたが、何かしら男なりの役割が
 あると感じるようになった。 

 男子看護学生が母性看護実習を積極的に行うようになってから、まだ日が浅い
こともあり、男性の役割がまだいまいちはっきりしない部分もある。
 しかし、これからどんどん男子看護学生が母性看護実習に積極的に参加すること
によって、役割がはっきりしていけば、それに伴って、実習の意義も今よりもっと
はっきりしてくるものと思われる。
 そのことによって、次第に妊産褥婦の受け入れもスムーズになり、男子看護学生
にとってより有意義な、より楽しい実習を行うことができるだろう。





引用・参考文献 
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