98正月・帰省
山陰経由で熊本へ
前年の広島経由で味をしめてしまいまして。^^;;
新幹線ってのも、結局箱詰めにして運ばれてるだけですからね。
切符は「津和野・秋吉・萩フリー切符」と、はみ出し部分の
「長門市〜上熊本」「上熊本〜厚狭」、それに自由席特急券4枚.。
素直に新幹線で往復するより1万円近く高くついています。^^;;;;

富士山っ!

 1997年大晦日。夜7時半に家を出る。前年より1時間早いが、やはり街はがらんとしている。中央線もガラすきである。
 8時40分ごろ東京駅着。駅構内のカレー屋でコロッケカレー。すぐに出てきたがコロッケが見本通りに大きく、かつ、揚げたてのようにかりっとしている。ちょっとうれしい。これが1997年最後の食事である。

 10番ホームから、出雲3号は21時16分発。車両は14系。2段式だが、3段式から改造した痕跡がありありと見える。引き戸付きの4人部屋。5号車5番上。6番下では50ぐらいのオバサンがベッドメーク中。この人と2人だと気詰まりだな....などと思っていたら、やがて5番下に若者がやってきた。筋弛緩剤(*1)を流し込み、横になる。横浜で6下にも乗客が。
 10時10分頃、「お休み放送」。

 変な夢を見たりしたあと、ハッと目が覚めたが、まだ4時。

 うつらうつらしたあと、本当に起きたのは7時前の「おはよう放送」でのこと。浜坂到着を告げている。有名な鉄橋のある余部の少し先である。線路は左右に曲がり、車体は左右に揺れる。窓から見える国道はもっと曲がっている。

 そのうち線路の左右が少し平らになってきた。あまり遠くないところに雪を被った山が見える。「伯耆富士」大山か?いや、富士山より会津磐梯山に似ている。....でも位置からして大山なんだよなあ。
 形は納得いかないが、中国山地の準平原を背景に、ひときわ存在感のある山だ。「大山」とはよく言ったものだと感心する。
 列車が進行して西側に回り込むと…。あっ!「富士山!(*2)」

(*1)エタノール水溶液。
(*2)こう叫ぶのは「お約束」でしょう。雪も被っていることだし。


出雲大社へ

 「お客様にご案内致します。右に見えている湖が宍道湖です。海水と淡水が入り交じり…」。放送をききながら、あらかじめ買い込んだコンビニおにぎりで朝食。これが1998年最初の食事である。

  出雲市到着10時46分(*1)。接続する快速「石見ライナー」が発車して行く。旧国鉄急行色の、原型をとどめたキハ58系。実はこれが今回の隠れた目的だったりする ^^;;;。
 それにしても、DMH17って、あんなに静かだったっけ。ディーゼルカーってのはもっとうるさい乗り物だった印象があったのだけど。

 出雲市駅の改札を出、まず一畑電鉄の駅へ。駅の入口、見落とすところだったよ。アルミサッシの片引きの引き戸があるだけなんだもん。オマケに中は薄暗いし。

 次の電車までだいぶ間があるのでバスで行くことに。こちらは臨時便大増発で10分間隔。10事50分発は「出雲3号」から下車したお客さんで満員。11時発に乗る。いすゞの中型車。

(*1)あやうくスリッパで出そうになった。(爆)


出雲大社と一畑電鉄

 出雲大社にはずっと前に一度来たことがある。高校生の時だったかな。一番の印象は、駅前のそば屋が無愛想だったこと。他には…印象ないや ^^;;;。

 バスは参道をパスし、神楽殿のわきに着く。勝手口から入るようでなんだか落ち着かない。拝殿にお賽銭を上げて拝む。裏の本殿に、もう一度お賽銭を上げて拝む。「今年一年、よい年でありますように」。あっけない初もうでである。有名な神社だからといって、必ずしも境内が広かったり、建物が豪華だったりするというものではないらしい。

 帰りは正面へ。参道は広く長い4列の松並木である。こっちから入らなかったのは反則だったのかもしれない。

 そば屋やみやげ物屋をパスし、一畑(いちばた)電鉄の出雲大社駅へ。おもちゃみたいな駅舎である。チャチではないが、かわいらしい。次の電車まで20分。蕎麦は危険だな。すでに入っている電車に乗る。
 松江温泉行きの電車は、元京王5000系。ワンマン対応などの改造は行われているが、原型をよくとどめている。
 木の枕木、見るからに細いレール。ふと「都落ち」などという言葉がよぎる。しかし電車は意外に早いスピードで走る。そして意外に揺れない。一畑電鉄、よく頑張っている。

 川跡(かわと)で出雲市行きに乗り換える(*1)。片引き2扉、ずらりと並んだ1段窓、その窓上と天井の4列の室内灯。…これ、どこかの特急車だったやつじゃないの?

(*1)川跡には「デハ1型」なる、見るからに古そうな電車がいた。
 現役には見えなかったが、みすぼらしくなっていない。ちゃんと手入れ
 されているらしい。


小倉まで

 「いそかぜ」は14時40分発。1本早い14時21分の各駅停車で太田市まで行っておく。表向きの理由は「特急料金の節約」である。
 出雲市に駅弁はみあたらない。仕方ない。あんぱんを買い込み、ホームへ。

 えっ?キハ120?そんなぁ…(;_;)。
 ワンマンのレールバスの車内はガラガラ。居眠りをしているうちに太田市着。一旦外に出て売店を見るが、昼飯になりそうなものはない。上熊本までの乗車券と「いそかぜ」の特急券を買って中に入る。

 3両編成の「いそかぜ」3号車(自由席・禁煙)は空席がぱらぱらある程度。

 あっ、この音だ!ギュロロ、ギョロロロロ、ギロロロロロ…。
 私の記憶にあったのは、大駄作エンジンの誉れ高いこのDMF-15/DML-30の音だったのだね。
 一旦8Cに座ったが、益田で家族連れが降りたため、空いた9A,Bに移る。で、気付くと9C,Dと10C,Dに二人組の「鉄」。めざわりである。

 長門市。黄色いキハ23と旧急行色の58.28の3両編成の下関行きが見える。「いそかぜ」のあとに出る列車である。乗りたいけど、あれに乗ってしまうと熊本到着が1時間遅くなってしまう。我慢するしかない。
 終点小倉まで車販もなし。腹減ったよ。

 小倉で駅弁発見。「かしわめし」(\680)。ところで、小倉の跨線橋が工事中だったけど、去年も工事していたような気がする。(気のせいだろうか)

 小倉からは485系の「にちりん」。やっぱり電車は静かでいいね。座り心地のよいバケットシートに交換されている。シート地は黒字に原色をばらまいたもので、たぶん「ソニック」と同じ色だよね、これ。

 博多からはハイパーサルーンの「有明」。予定通りに21時11分上熊本着。すでに父が迎えに来てくれていた。


熊本周辺の交通に関する諸問題(1)

 2日。父の運転で周辺観光。まず菊池方面から空港へ。

 熊本電鉄の線路上を走る見覚えのある電車とすれ違う。あれはたしか都営6号線の車両だよね。左右に大きく揺れながら、2両編成でのろのろと走っていた。
 菊池までの路線が短縮され、今また廃止が取りざたされている路線だ。地元の新聞には、少し先にある農業公園(*1)まで延長したら…などというアイデアが投書されたりもするらしい。イベントがあるときには道路がかなり混雑するのだという。

 空港からは、「空港1号線」「空港2号線」「空港3号線」と呼ばれる道路が各方面に通じている。現在さらに、国道57号方面へ「空港4号線」が建設中で、57号と九州道の交差地点に「熊本南I.C.」を建設中という。
 さらに熊本南I.C.の近くには、道路の便が良くなることを見越して見本市会場を建設しているとのこと。….あれ?空港線の混雑緩和は大丈夫なのか?


熊本周辺の交通に関する諸問題(2)

 5日。母の用事で矢部方面へ。この日は運転は私、父は乗客。(*2)

 市電に最近登場した「LRT」(低床電車)を見かける。ところが外国から来た視察団が「これでは意味がない」と言って帰ったとのこと。
 たとえば「プラットホーム」である安全地帯に段差があるため車椅子では上がれない、また上がったとしても幅が狭くて向きが変えられない、など、車両を取り替えるだけでは解決しない問題が山ほどあることを指摘されたのだそうで。

 元日の新聞に、市内中心部の電車通りを歩行者天国にし、ヨーロッパ式のショッピングモールにする計画が動き出したような記事があった。地下に自動車道を作るのだと書いてあった。難関はたくさんあるように思うが、果たして実現するのだろうか。

(*1)正式名忘れた ^^;。
(*2)毎度のことながら、人の車を運転するのは疲れる。
 車のキモチがさっぱりわからん。


再び富士山

 6日。出勤する父に回り道してもらって上熊本駅へ。熊本工大前駅でもよかったのだが「幸い道がすいてるし、有人駅まで行ってやろう」ということで。「信号にも全然引っかからないなあ」などと言っていたら、なんと熊本電鉄の踏切に引っかかった(^◇^)。

 8時47分の大牟田行きは水前寺始発の「赤いDC」キハ200系。音は少々大きいが、それほど耳障りな音質ではなく、また結構速い。乗り心地もいい。
 大牟田で小倉行き快速に乗り換える。少し時間があるので駅前に出てみる。まだ店はほとんど閉まっており、これといって面白いものは見つからなかったが、西口に出たとき、風にかすかに海の匂いがした。海が近いのだろうか。

 博多。東京行き「ひかり」自由席には長蛇の列。そこでとりあえず新大阪行きの「こだま634号」に乗る。こちらはガラガラ。
 博多で買った「明太弁当」(\700)は、たらこがやたら塩辛いのと、ボロボロで食べにくいのに困った。

 広島にて下車、広島始発の「ひかり141号」に乗り換える。自由席にも立っている人がぱらぱらいる程度。4号車8Eをゲットしたが、迂闊であった。4号車は喫煙車であった。
 喫煙車だから煙草を吸う人がいること自体は仕方ないのだが、通路に立っていても吸う人は吸うんだねえ。なんだか「お菓子の袋を抱えて、歩きながら食べている子供」を連想する眺めである。副流煙でも吸って我慢しててくれないかな(←暴論)。

 姫路の手前で虹が見えた。気付いた人は少なかったようだけど。

 E席(一番左)を取ったのは、富士山を見ようと思ったからだった。大山を見たあとで「ほんもの」の方も見ておこうと。ところがそのころにはすっかり日が暮れて、何も見えなかった。残念。
 東京駅の例の店で、今度はハヤシライスを食べ、夕食とする。中央線に乗って帰宅。「深夜特急」の冒頭30分を見逃してしまった。^^;


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