(妄想上の)沿革
(Sorry, Japanese language only)


 明治5年(1872年)の新橋〜横浜間開業以来、鉄道は人や物の移動手段としてなくてはならないものとして発達してきました。
 明治の末には日本全国の主要幹線はほぼ開通し、物資の輸送を通じて近代日本の発展に寄与したのみならず、数々の特急・急行列車が遠隔の地へ人々の夢を運びました。
 また、特に昭和初期以後、「電車」は都市内の手軽な交通手段として人々に親しまれ、都市の風景の一部としてなくてはならないものになりました。
 鉄道会社のほうでも、期待に応えるべく速さや快適さなど、サービスの向上に努めて参りました。そこには決して「営利目的」にはおさまらない、血の通った想いがありました。これは胸を張って誇れるところです。
 第二次世界大戦後の高度成長も鉄道が支えました。というより、このときも鉄道は人々と、時代とともにありました。高加減速・大量輸送を実現した通勤電車、「湘南電車」や「特急こだま」などの長距離電車、いずれも以前にもまして身近な人々の足として親しまれ、活躍してきました。
 昭和50年代(1975〜)ごろになり、多くの名車が引退の時を迎えました。昭和30年代の車両は寿命をむかえ、また戦前製の車両は丈夫につくられていましたが性能的・機能的に通用しなくなりました。
 これは鉄道車両が実用を旨とする工業製品である以上しかたがないことです。また、その頃から自動車や飛行機による輸送が盛んになり、鉄道は唯一の主役ではなくなり始めました。これもある程度は仕方がないことです。


 とはいえ、それらの鉄道車両は日本がたどってきた足跡を物語る文化財でもあります。これを残すことは意味のないことではありますまい。それも静態で「剥製」として保存するのではなく、相応しい環境の中で生きた状態で動かして保存することが必要でしょう。走る電車(列車)に実際に乗ることで感じ取れるものがあるはずです。
 鉄道会社を母体とする当鉄道としては別の目論見もあります。
 今の若い人達の中には物心ついたときから家に自動車があり、鉄道が移動手段として選択肢に初めから入っていない場合があるようです。鉄道の旅を経験してもらうことで低下してきた(部分的には政策的に低下させられてきた)鉄道の地位を取り戻すことができたらうれしいことです。


 そんなわけで、時代をつくった、もしくは彩った鉄道車両を保存する目的で当鉄道は設立されました。(長い前置きでごめんなさい)
 何せ古い車両達ですから、現代の輸送の最前線で働かせるのは無理があります。とはいえ、誰も来ないところで走らせるのでは意義が半減してしまいます。そこで、横浜方面から富士五湖地方への観光路線を兼ねた鉄道博物館として、当奥相模観光鉄道が発足致しました。以後の足どりはおよそ次のようになっています。

 1985年(昭和60年)7月15日
      海老名線(海老名〜三ヶ木)営業運転開始。
 1987年(昭和62年)3月20日
      道志線(三ヶ木〜平野)営業運転開始。
      急行運転開始。
 1987年(昭和62年)4月25日
      橋本線(橋本〜相模中野)営業運転開始。
      京王線からの直通急行(新宿〜平野)運転開始。
 1990年(平成2年)9月20日
      新横浜線(新横浜〜海老名)営業運転開始。
      新横浜〜平野直通特急(相鉄線経由)運転開始。

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