私と八ヶ岳には3つの出会いがあったと思っている。 |
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このころの八ヶ岳に関する最大の思い出といえば、美し森の駐車場(交差点脇ではなく売店があるところ)で車を停めて泊まっていたらパトカーが来て職務質問されたことであろうか。 |
第2の出会いはその5年後。 |
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(あとから思うに、きわめて狭い範囲だけを深く深く掘り下げて行くことに違和感を感じたのであろう。もちろん、それだから化学の最先端は地学と違ってかなり深いところに達していて、だからこそ目に見える成果がいろいろあがっているのだけど、深井戸の底を掘り下げるのはどうも私には性にあわないらしい。浅くても広い池のほうが泳ぎやすそうだ。ということだったんだろう。) |
「山ごもり」でもしてみようか、そんなことを思いついた。ほんの思いつきである。じゃあ、少しは様子のわかった八ヶ岳にしようかな、あそこなら単独で入ってもクマに食われる心配もないはずだし。その程度の考えで、7月初旬の八ヶ岳に向かった。 |
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松原湖から八千穂にのぼる道で、道路の真ん中に出ているシカを見掛けた。ゆっくり近づくと、20mぐらいのところで逃げていった。シカがこんなに簡単に見られる動物だとは思っていなかった。 |
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山道を歩きながら、こんなことも考えた。自分は何をするべきなのだろう。何をしたいのだろう。何ができるのだろう。もちろん、そんなことを考えるために来たのだけれど、最後の「何ができるのだろう」ということについてはそれまでよく考えたことがないことにも気づいた。 |
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とはいえ、一度は放棄した仕事である。どの面下げて戻れるか、という躊躇があった。ところが、八ヶ岳からは離れるが、以前一緒に仕事をしていた先生が結婚し、2次会に出た時のこと。会う先生は皆、私がいずれ教職に戻ると思っているようなことを言うのだった。なんだ、気にしているのはわたしだけだったのね。 |
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第3の出会いは2年ほど前、ポール・ラッシュ先生との出会いである。 |
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もちろん、部分的には賛同できない部分もある。それにしても、多岐に亘る情熱的・献身的な活動は常人に真似のできるものではない。そのような人物はどこか遠い、私とは無縁の世界にしかいないもののように思っていたが、意外と身近なところにいたことを知り、目の覚める思いがした。若い頃は決して聖人君子ではなかったという点も、手の届かない存在ではないと感じられる要因かもしれない。 |
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