text by Toshio Mizuno●● ●データ● 多くの作家・漫画家に影響を与えた傑作 ○第1巻「ミノタウロスの皿」7月27日発売 ○第2巻「定年退食」8月下旬発売予定 ○第3巻「俺と俺と俺」9月下旬発売予定 ●全巻予約特典は
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大人向けと児童向けの 今回全8巻で発売される「藤子・F・不二雄 SF短編集PERFECT版」は、1968年より「ビックコミック」や「SFマガジン」などに読み切り掲載された藤子・F・不二雄先生のSF短編作品を全て集めてみようという企画です。 一般的には「ドラえもん」や「オバQ」など、児童向け作品で有名な藤子・F・不二雄作品ですが、多くの児童向け作品を連載する傍ら、藤子先生は青年誌などに、大人向けの多くのSF短編作品を単発読み切りという形で発表していました。 これらの作品は今までの「児童向け作品」とは異なり、人間の奥底に潜む欲望や狂気、社会の矛盾や絶望的現実を、時にクールに、時にブラックな視点で見つめ、そこにSF(すこしふしぎ)的な味付けを施して描いた、正に大人向けの作品群だったのです。 以前から中央公論社などから短編集として刊行されていたのですが、今回は小学館より発行。今まで単行本等に収録された事のない作品も含め全112話を全て収録します。(全8巻・毎月1冊づつ発行) 藤子・F・不二雄SF短編の魅力は決して一言では表現出来ないのですが、手塚治虫先生の晩年の作品群を見ていただければ解る様に、大人になった漫画家が本当に自分が描きたかった作品を描いた時、多くの傑作が生まれ、そこにはその作家の本性とも言えるものが現れてくる。そんな事実が確認できる作品群が「藤子・F・不二雄 SF短編」なのかもしれません。 商業的な漫画家としては、最後まで「児童向け」という舞台を自ら替えなかった藤子・F先生ですが、作家的な創作意欲の中には、また別の描いてみたいジャンルが存在していた訳です。 「ドラえもん」で描かれていた、人間の多くの「正」の部分は、決して全面肯定されるべき物ではなく、大人の世界に足を踏み入れれば見えてくる「負」の部分の存在、人間の「欲望」「狂気」「悪意」を認める事、それが「本当の人間の姿」という事を、藤子・F・不二雄先生が語りかけている。「オバQ」や「ドラえもん」で育った読者に対しての「大人への脱皮」へのメッセージだったのではないか? そう思えてくる作品群なのです。 実際、藤子・F・不二雄先生がSF短編を描き始めたのが昭和44年(1969年)の「ミノタウロスの皿」(今回の本に収録された「スーパーさん」は1968年の作品ですが、少女コミック掲載作品の為、対象外とします。)からです。翌年1970年に「ドラえもん」の連載がスタート。当時の編集者に先生は次の様に語られていたそうです。 元ビックコミック編集者・平山隆氏「ビックコミックでSF漫画を描くようになって、児童漫画だけを描いていた時と比べ、他の好きな世界を自由に描けることで、作家としての精神的バランスが良くなったそうです。SF作品を描いている時に「ドラえもん」のアイデアが浮かんだり、逆に「ドラえもん」を描いている中でSF作品のアイデアが出てきたりしていた。その意味ではビックコミックでSF作品を描いていたから、あれだけ長く「ドラえもん」を書き続けることができたとも言えると思います。」(小学館/ビック作家 究極の短編集 藤子・F・不二雄・巻末特別インタビューより一部引用) 「ドラえもん」と、それ以降の作品が、今までの藤子児童向け作品とはひと味違う展開をしていったのは、この「SF短編」の存在が大きく影響していったという理由があったのです。先生が好きだったSF世界、古代恐竜や超常現象、日常に突然訪れる非日常世界など、「SF短編」に見られる作品世界は「ドラえもん」にも多くの影響を与え、キャラクター達の光と影の部分は、より「ドラえもん」のキャラを親しみやすい、奥深い存在に育てていったのだと思えるのです。 大人向けとして描かれた「SF短編」と児童向けとして描かれた「ドラえもん」は、この様に影響しあい、お互い無くてはならない存在だったのです。そして「本当に描きたい物を描き続けた」以降の藤子・F・不二雄漫画は、多くの傑作SF短編と傑作児童漫画を、大人と子供達双方に残してくださったのです。 「ドラえもん」の裏側にあった「SF短編」。まだ読んでない!という方は、ぜひこの機会に読んでみてはいかがでしょう?新しい藤子・F・不二雄の世界が見えてくると思いますよ。 |