キャラクターグッズ・リポート●●
vol.6
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2000.6.5掲載●●

text by Toshio Mizuno●●
Illustration by Harumi Mizuno●●
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●データ●
藤子・F・不二雄のまんが技法
2000年3月4日発売
 (小学館文庫/
552円+税
●藤子・F・不二雄 著

藤子・F・不二雄先生が
漫画創作の秘密と極意を公開!



マンガ家になりたいみなさんへ!
藤子・F先生著作の教科書
「まんが技法」

将来マンガ家になりたい!とは、誰もが一度は思う夢ですよね。漫画は好きなんだけど絵が描けないし…とか、絵は自信あるんだけどストーリー作りが下手で…とか、どちらも自信ないけど漫画が大好きだから…漫画家になりたい!と、多くの人が思い、悩んだ事と思います。
小学生・中学生ぐらいの子が、「将来、漫画家になりたい!」と思った時って、とても悩むと思うのですよ。今だからこそ世間もある程度認知している「漫画家」という職業も、ちょっと前までは低俗に見られていた職業ですから、親や学校の先生の理解が必ずしもあるとは限らないし、反対する大人の方も多いでしょう。「漫画なんか描いてないで勉強しなさい!」「漫画で食べてくなんて、夢みたいな事言ってるんじゃない!」とかね。確かにそれは真っ当な大人の意見で、決して間違ってはいません。漫画家を目指したって、成功するのは運と才能・技術を持った一握りの恵まれた人々だし、努力すれば必ず成功するという訳ではない職業である事も確かです。しかし、夢を持って努力した子供達の中から人気漫画家が生まれているのも事実な訳です。今小学生・中学生・高校生であるあなたが、あるいはあなたのお子さんが、人気漫画家になる可能性はゼロではありませんよね。そんな子供が「漫画家になりたい!」と思った時に最適な教科書が、この藤子・F・不二雄著の「まんが技法」なのです。

漫画家になる為の教科書って、結構良いものがないんですよ。一方的に絵の技法だけにこだわった物や、やたら難しい言葉を並べて「漫画論」だか?を語っているものだとか、そんな偏った教科書はあるんですが…。
漫画はよく「
総合芸術」だと言われます。映画とも似ているのですが、絵だけでも、ストーリーだけでも、演出だけでもない。多くの要素が重なりあった、とても奥深い物なんですよね。これを子供に理解させるという事はとても難しい事で、漫画家自身だって人に説明するのは難しい訳です。この「藤子・F・不二雄のまんが技法」は、これを子供にも解りやすく、一つ一つ丁寧にマンガの描き方を説明してくれます。

この本は1988年発行の「藤子・F・不二雄まんがゼミナール」という本と、コロタン文庫「藤子不二雄のまんが大学」(なつかしい!)の一部を改変収録した再構成本です。藤子・F・不二雄先生御自身が、まんがの描き方アイデアの練り方こつテクニックを丁寧に文章で解説されている、貴重な本です。
この本を改めて読んでみると、藤子・F・不二雄先生の「
漫画家」に対する、とてもクール冷静な、客観的な考え方に驚かされます。

〜「まんがをかく」という作業は、情報やアイデアをいろいろと取り入れ、そしてはき出すということのくりかえしといってよいでしょう。つまり、この世の中に、純粋の創作というものはありえないのです。
 けっきょく、まんがをかくということは、一言でいえば「再生産」ということになります。
 かつてあった文化遺産の再生産を、まんがという形でおこなっているのが「まんが家」なのです。どんどん取りこんで、どんどんはき出していくという、視野を広く持ち、柔軟な考え方をしなければなりません。〜(藤子・F・不二雄のまんが技法-P197より引用)

このお話を読んだ時は、ちょっと頭を殴られた様なショックを受けました。「純粋の創作作品などという物はない」という言葉は、いままでも多くの人々が語っている事ですが、まさか藤子・F先生からそんな御言葉を聞こうとは…。人間が作り出す物というのは、その作者が今まで経験してきた出来事他者の作品などが、必ず無意識のうちに滲み出ているものです。作者が「この作品は俺の全くのオリジナルだ」と主張したとしても、その作品は必ず誰かの影響を受けて作られているのです。それを理解して、日常生活の中でも他者の作品よく見、分析する事は、漫画家のみならず「物づくり」をする人にとってはとても大事な作業なのです。

〜まんが家としてスタートラインに立ち、やはりプロをめざす以上、ぜひとも人気まんが家になりたいものです。〜(中略)〜プロのまんが家になるということは、何万、何十万という単位の読者を相手にしなければなりません。まんが家は、自分の頭の中で作りあげたフィクションの世界を、紙面にうつしかえて読者に伝え、その共感をえたいと思って一生懸命にまんがをかきます。読者を喜ばせたい、楽しませたい、感動させたい、という気持ちがあるからこそ、プロのまんが家になるわけです。そういうことであるならば、対象となる人数は多ければ多いほどいいことになります。
 大勢の読者が支持してくれるまんが、すなわち、人気のあるまんがということになります。それは、やはり、まんが家のひとつの目標なのです。〜(藤子・F・不二雄のまんが技法-P187-188より引用)

多くの方々が「作りたい物を好きなように創る、それが作家」と考えていると思いますが、絵画や彫刻などを除くほとんどの表現メディアは、「その作品を見る観客」がいて成立しています。創られた作品が観客を意識していない作者自身の中で完結している個人的なものであるなら、わざわざ印刷して人に見せる必要はない訳です。しかし、多くの「作家を目指す人々」は、この点のバランスをなかなか巧くとれません。映画演劇小説などでも同じですが、独りよがりの作品が時々ヒョッコリ世の中に出てきてしまう事がありますが、それが世の中に認められる事はほとんどありません

これらのお話は、藤子・F・不二雄先生自身の作家とその作品に対する考え方がよく解るお話ですね。「おもしろい作品」「人気のある作品」を作るには、世の中の多くの物・出来事を見て吸収する事、それを創意工夫して読者に伝えるという事を大事にした作品なんですよね。その努力こそが、「まんが技法」の基本なんです。

最後にマンガと、その時代性について語られた次のお話も興味深かったです。

〜また、この「人気」は、時代によってさまざまに変わります。ぼくが子どものころから、おもしろくて夢中になって読んで育ってきたまんがが復刻されて出ることがあります。ぼくは、それをひとつのノスタルジーから、あるなつかしさをもって読むわけですが、今の子どもたち(読者)が読んで、どううけとるのかと考えてしまいます。
 その作品は、その発表された時点では、日本全国の子どもたちを熱狂させたのです。それが、十年、二十年、と、年月がたつあいだに、資料的、骨董的な意味が、むしろ強くなってしまうことがあるのです。
 このように見てくると、絶対的に、これが「人気まんが」の条件ということが、なかなかいえなくなります。それでも、それぞれの時代時代には、その時代なりの人気を集める作品というのがあります。まんが家は、やはり、それをめざさなければならないのです。〜(中略)〜
「人気まんが」というのは、読者の求めるものと、まんが家が表そうとしているものとが、幸運にも一致したものなのです。いいかえれば、まんが家の体質(個性)というか、からだ全体からにじみ出た結果としての作品が、読者の求めるものにあった時こそ、それが「人気まんが」となるわけです。〜(中略)〜
プロのまんが家としてデビューする時には、それまでのまんがにない新しい面がひとつでもあれば、しばらくのうちは、もてはやされてかいていることができます。たいていの場合、読者は新しいものに弱いものです。新しいものが出ると、その印象が強ければ強いほど、ひきずられてしまう傾向があるものです。
 しかし、それだけでやっていけるほど、まんがの世界はあまくありません。一年、あるいは二年ほどもたつと、いくら自分を新しいと思っていても、あきられてしまうことになります。そこから先は、その人の内面的なものが充実しているかどうかということの勝負になってくるわけです。〜(藤子・F・不二雄のまんが技法-P192-196より引用)

このお話は、決して漫画家だけにあてはまる事ではありません。テレビ映画小説音楽演劇などに関わる多くのクリエーター、あるいはクリエーターのたまご達すべてにあてはまる、非常にクールな分析であり、真実だと思うのです。
 その他にも「
遠心力(自信)と求心力(劣等感)」のそれぞれの大切さや、「時代を越える普遍的作品」には、人間が生きていく上でいちばん本質的なもの、それを触発するような秘められた力がある事など、「物づくり」全般に言える重要なお話も収められています。

この本の後半のまんが実技編では、「のび太の恐竜(中編版)」を参考に、一ページずつ、頁の隅々の技法意味テクニックを説明されていて、本当に先生に「漫画技法」を教わっている様で嬉しくなります。

藤子・F・不二雄先生のプロとしての仕事への真剣さプロを目指す若者達へのやさしさが感じられ、別に漫画家を目指していない一ファンでも十分楽しめる、先生の人柄が滲み出ている一冊ですね。

漫画家・里中満智子さんの巻末解説も納得・感動のお話です!



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