text by Toshio Mizuno●● ●データ● 藤子・F・不二雄先生が
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マンガ家になりたいみなさんへ! 将来マンガ家になりたい!とは、誰もが一度は思う夢ですよね。漫画は好きなんだけど絵が描けないし…とか、絵は自信あるんだけどストーリー作りが下手で…とか、どちらも自信ないけど漫画が大好きだから…漫画家になりたい!と、多くの人が思い、悩んだ事と思います。 漫画家になる為の教科書って、結構良いものがないんですよ。一方的に絵の技法だけにこだわった物や、やたら難しい言葉を並べて「漫画論」だか?を語っているものだとか、そんな偏った教科書はあるんですが…。 この本は1988年発行の「藤子・F・不二雄まんがゼミナール」という本と、コロタン文庫「藤子不二雄のまんが大学」(なつかしい!)の一部を改変収録した再構成本です。藤子・F・不二雄先生御自身が、まんがの描き方、アイデアの練り方、こつ、テクニックを丁寧に文章で解説されている、貴重な本です。 〜「まんがをかく」という作業は、情報やアイデアをいろいろと取り入れ、そしてはき出すということのくりかえしといってよいでしょう。つまり、この世の中に、純粋の創作というものはありえないのです。 このお話を読んだ時は、ちょっと頭を殴られた様なショックを受けました。「純粋の創作作品などという物はない」という言葉は、いままでも多くの人々が語っている事ですが、まさか藤子・F先生からそんな御言葉を聞こうとは…。人間が作り出す物というのは、その作者が今まで経験してきた出来事や他者の作品などが、必ず無意識のうちに滲み出ているものです。作者が「この作品は俺の全くのオリジナルだ」と主張したとしても、その作品は必ず誰かの影響を受けて作られているのです。それを理解して、日常生活の中でも他者の作品をよく見、分析する事は、漫画家のみならず「物づくり」をする人にとってはとても大事な作業なのです。 〜まんが家としてスタートラインに立ち、やはりプロをめざす以上、ぜひとも人気まんが家になりたいものです。〜(中略)〜プロのまんが家になるということは、何万、何十万という単位の読者を相手にしなければなりません。まんが家は、自分の頭の中で作りあげたフィクションの世界を、紙面にうつしかえて読者に伝え、その共感をえたいと思って一生懸命にまんがをかきます。読者を喜ばせたい、楽しませたい、感動させたい、という気持ちがあるからこそ、プロのまんが家になるわけです。そういうことであるならば、対象となる人数は多ければ多いほどいいことになります。 多くの方々が「作りたい物を好きなように創る、それが作家」と考えていると思いますが、絵画や彫刻などを除くほとんどの表現メディアは、「その作品を見る観客」がいて成立しています。創られた作品が観客を意識していない、作者自身の中で完結している個人的なものであるなら、わざわざ印刷して人に見せる必要はない訳です。しかし、多くの「作家を目指す人々」は、この点のバランスをなかなか巧くとれません。映画や演劇、小説などでも同じですが、独りよがりの作品が時々ヒョッコリ世の中に出てきてしまう事がありますが、それが世の中に認められる事はほとんどありません。 これらのお話は、藤子・F・不二雄先生自身の作家とその作品に対する考え方がよく解るお話ですね。「おもしろい作品」「人気のある作品」を作るには、世の中の多くの物・出来事を見て吸収する事、それを創意工夫して読者に伝えるという事を大事にした作品なんですよね。その努力こそが、「まんが技法」の基本なんです。 最後にマンガと、その時代性について語られた次のお話も興味深かったです。 〜また、この「人気」は、時代によってさまざまに変わります。ぼくが子どものころから、おもしろくて夢中になって読んで育ってきたまんがが復刻されて出ることがあります。ぼくは、それをひとつのノスタルジーから、あるなつかしさをもって読むわけですが、今の子どもたち(読者)が読んで、どううけとるのかと考えてしまいます。 このお話は、決して漫画家だけにあてはまる事ではありません。テレビ・映画・小説・音楽・演劇などに関わる多くのクリエーター、あるいはクリエーターのたまご達すべてにあてはまる、非常にクールな分析であり、真実だと思うのです。 この本の後半のまんが実技編では、「のび太の恐竜(中編版)」を参考に、一ページずつ、頁の隅々の技法や意味、テクニックを説明されていて、本当に先生に「漫画技法」を教わっている様で嬉しくなります。 藤子・F・不二雄先生のプロとしての仕事への真剣さ、プロを目指す若者達へのやさしさが感じられ、別に漫画家を目指していない一ファンでも十分楽しめる、先生の人柄が滲み出ている一冊ですね。 漫画家・里中満智子さんの巻末解説も納得・感動のお話です! |