text by Toshio Mizuno●●
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いい歳して、 なぜ、28才にもなってドラえもんファンなのか? 僕は小学生の頃から今まで、ずっと漫画ドラえもんを読んできたわけではありません。ドラえもんという作品と再会し、また改めてドップリ浸かったのは、会社に入社してからの事です。 僕がドラえもんと出会ったのは、小学1年生として小学校に入学した昭和52年(1977)。 子供の頃の僕は、まさにのび太でした。 実はこの、のび太に近かったというのはポイントでして。後々解った事ですが、「ドラえもん」という漫画が嫌いな人というのは、どちらかというと自分は「ジャイアン」だったり「スネ夫」だった、というひとが多いようなのです。「のび太」のような存在が良い目に会うストーリーは納得いかない。世の中そんなに甘くない!と思い、漫画「ドラえもん」が嫌いになった、という人が多いようなのです。 小学生の僕はその後、自分が絵を描く事が好きなのに気が付きます。図画工作の成績も良く、実際絵を描いている時が、とても楽しい時間に感じていました。「将来、藤子先生みたいな漫画家になりたい!」と、真剣に考えていたのもこの頃でした。 そのうち「ドラえもん」はテレビアニメがスタート(1979)。そして映画シリーズもスタート(1980)します。 中学生になってもまだ、僕はコロコロコミックを読んでました。しかも個人で漫画らしき物も描き貯めて、漫画家を夢見ていました。しかし、この頃から他の藤子不二雄作品に興味を覚えます。 僕はだんだん「ドラえもん」から離れて、大人向けの藤子作品や他の作家の漫画・小説を読むようになり、高校以降は全くドラえもんを見ませんでした。 漫画家志望だった将来の夢も、映画監督、テレビ番組制作、イラストレーターと揺れ、美術大学を受験。2浪し、失意の底でデザインの専門学校に入学。そしてグラフィックデザインの面白さを知り、デザイン会社へ入社。絵についての職業に就いた訳ですが、元々の原点は「ドラえもん」だったのかもしれません。 会社に入社が決まり落ち着いた頃、書店にあったドラえもんの新刊を立ち読みしていて、懐かしい想いと、新しい漫画を読んだ様な衝撃を受けたのです。「これが、あの子供の時読んだドラえもんなんだろうか?」。 大人になって読み返すドラえもんは、また違った部分が見えてくるのです。子供の頃は見えなかった、人間関係の描き方や、大人社会への疑問、父親としての藤子先生の子供達への眼差し。 そして、僕はまた「ドラえもん」という作品を愛読する事になったのです。 1996年9月、原作者の藤子・F・不二雄先生がお亡くなりになった時は、とてもショックで悲しかったです。それはまるで親父が死んだ様な気持ちでした。またこれからドラえもんの新作が楽しめると思っていたのに…。 ドラえもんが嫌いな人というのは、のび太のような、人間が誰しも持っている弱い部分や、コンプレックスを否定し、強く生きるべきだ!という思いから、ワンパターン的イメージでの「弱虫のび太を助けるドラえもん」を毛嫌いする方が多い様です。 しかし、実際社会に出て働き、多くの方々と会うと、自分の弱さや小ささ、社会で生きる事の難しさを実感する事になります。若い時に信じていた自分の才能や強さを否定された時、多くの人々は崩壊しそうになります。そんな時、身近にいて助けてくれるのが、ドラえもんにあたる「友人達」なのです。 実際、後期の漫画ドラえもんには、成長し、強くなったのび太、自分の生き方に悩むのび太が描かれます。ドラえもんという友人に支えられ、強く成長したのび太には、明るいイメージの未来を暗示する最終回なども用意されていたのかもしれませんね。 人間誰もが持っている弱い心。またそれをドラえもんの様に見守り、一緒に生きようと思う友人達との関係。これらを理解する事が出来れば、「ドラえもん」という作品を理解し、好きになれると思うのです。多くの人が…。 |