ドラムスキンロゴB-tones結成秘話ドラムスキンロゴ


謎に包まれたB-tonesの生い立ち
4人を良く知るサー・マーチン・ウォーラス氏が語ってくれました


(彼らの不思議)
ポール小原・ジョン広瀬・ジョージ樋口・リンゴ宮本
4人の出会いは、まさしく目黒であった
目黒生まれのポール小原・ジョン広瀬
新潟から来たジョージ樋口
練馬からで来たリンゴ宮本
若い4人は、多摩川砧の川面に集いグランドで汗を流したと聞いている
結局、仕事場で出会うという非常に単純な世間一般的な出会いのようである
しかし、4人で誰一人抜けることなく、ここまで長い付き合いができることが不思議である
ただ「良い友」という言葉だけでは済ませられない何かが、この4人にはあるようだ

(野球からの脱皮)
野球を続けていたこの4人が、土曜リーグ(編集部注−土曜日の午後に行われていた対抗試合。全盛時には事業所内の8チームが参加)も無くなり、いつしか野球を止め、考えついたのが、旅行会だと聞いている
しかし、長続きはしなかった
そこで思いついたのが、各家庭周りの焼肉パーティーだったらしいが、1ヶ月1回の焼肉にも限界を感じ長続きせず、懲りずに思いついたのが、おでんパーティー。これも家庭に迷惑がかかると取り止めとなる
4人の付き合いはこれで終わりかと思われた
そんなときである

(結成秘話)
ある日、ポール小原がジョン広瀬と会ったとき、ジョン広瀬に自分の体力の限界やこれからの野球部(編集部注−土曜リーグのチームではなく、事業所を代表する伝統あるクラブ)での自分の立場などを話したようだ
そんな会話の中から、ポール小原がジョン広瀬に体力が無くとも続けられるバンド結成を持ちかけたのである
それも、ビートルズのコピーバンドということで、ジョン広瀬も、初めはびっくりしていたが、すぐに同意しメンバー選びを始めたのである
まず、リンゴ宮本がギターを練習していると聞いていたこともあり、メンバーに誘った
リンゴ宮本からも入りたいとの返事がきた
やっと3人である
残りの1人を誰にするか非常に悩んだことを聞いている
というのも、ジョージ樋口は当時スキーに非常に情熱を傾けていたため、バンドに興味を示さないのではないかと、断られた場合には、違うメンバーにも声をかけようと考えていたらしい
しかし、要らぬ心配でジョージ樋口も賛同しメンバーが決まり4人となった
これで、ビートルズのコピーバンドのメンバーがそろった
まったく楽器を持ったことのない4人が、音楽という新たな挑戦に旅立ったのである
あまりにも無謀な挑戦ではあったが、知らないということは、4人にとって、むしろとても大きな勇気を持たせたのだろう
1993年12月・彼らB−TONES結成となる


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