[恩師を訪ねて]コーナーの第2回はB組担任の黒田先生です。
お忙しい時間を割いて「48netの為ならば」とインタビュー会場へ足を運んでくださった黒田先生。
聞き手は五十嵐宰です。
同席者は栗山、猿山、広瀬。
相澤が後からひょっこり顔を出しました。
インタビューの様子
五十嵐:先生、ここにいる栗山君がホームページを開いたのですが、もうご覧になりましたか?
黒田先生:自宅にパソコンを持ってないからまだ見ていないんだけど、今いる世田谷の教育センターにはパソコン教室のために置いてあるから、見ようと思えばいつでもでも見られるんだ。これを機に覗いてみるよ。
黒田先生:えーとね、60歳の定年退職を迎えたのは目黒5中。5中には7年間いた。平成3年の春だね。その後は10中で嘱託として5年間勤めたんだ。平成8年の春に嘱託ともオサラバ、いよいよこれで「サンデー毎日」であると。そうなると「こりゃほっとくともう退屈でどうなっちゃうかわからん。なんかやんなきゃいけないな」と思って新聞のカルチャーセンター広告で見た「男にもできる料理教室」に申し込んだ。そうしたらその翌日に、昔目黒7中でいっしょだった理科の先生仲間の方から「世田谷のプラネタリウムに来て欲しい」という連絡があって、今の仕事に飛び込んだわけ。「男にもできる料理教室」はキャンセルしてね。
世田谷の教育センターってのは、世田谷区の弦巻にあって、我が家も弦巻だから徒歩7分。通勤にはとても恵まれたところにあるんだよ。
猿山:アーそうだその時の写真が残ってるよ。(すごく嬉しそう)
鈴木:黒田先生がトランシーバー持っていて、先頭の別の先生から「黒田先生、一番後方の正ちゃんの状況はいかがですか?」なんて連絡が入ると「エーこちらは最後尾。現在○○を通過しました。正ちゃんは頑張って登っております。ドーゾ」なんてやってた。(ものすごく嬉しそう)
黒田先生:「大丈夫、生きてるから心配するな」なんてね。(一同爆笑)
鈴木:あれはね、きつかったけど、いい想い出です。それからね、宿舎で夜騒いでいたら先生の一喝があってみんな「シーン」としちゃたことがあった。あの時は息をすることもできなかったんだ。
黒田先生:確か「恥を知れ!恥を!」と怒鳴った記憶がある。翌日は二つの班に分かれて行動する日で、きつい登山をひかえた班の仲間は早く寝ておく必要があったんだ。それを考えずに自分勝手ではいかんと怒ったんだ。そうだよあの頃はそんな事が言える時代だったんだな。ハハハ
五十嵐:おっと、話がだいぶそれてしまいました。先生、プラネタリウムの事をお話ください。
黒田先生:そうだね、世田谷のプラネタリウムはドームの直径が16m、天井までの高さが10mで170名が入れる。みんなが良く知っている渋谷の五島プラネタリウムは200名収容。日本全国には今、約300のプラネタリウムがあるんだけれど、世田谷のはドームも機械も大きい方には入る規模なんだ。
このプラネタリウムを使ってする事業は大きく分けて2つあって、一つは有料で開いている一般投影の事業。ともう一つは学習投影と呼ばれる世田谷区立の小学5年生と中学1年生を対象にして学校の授業の必修として投影、解説をする事業。
僕はこの学習投影の方を仲間と3名で担当しているんだ。
五十嵐:教師としての経験が長い黒田先生ですが、ご苦労もおありでしょう
黒田先生:最初はいや、参ったよ。解説と操縦の両方をやれと言われてね。すべて初めての経験だからね。
一般投影はプラネタリアンというプロが解説をしているんだけど、僕らがやっている学習投影の方もプラネタリアン級にやってないと生徒達はすぐに飽きてしまうからね。
それから、ドームの中は暗くて生徒達の表情が見えない。まして操作をするコンソールは席の後ろにあるからなおさらに生徒の反応が判らない。その面でやりにくいこともあるね。でもなるべく面白くやってみようといつも工夫して解説しているよ。
五十嵐:1年に何回くらい投影するのですか?
黒田先生:世田谷区は広いでしょ。小学校が64校、中学校が32校あるんだ。それに大きな学校だと2回に分けたりするから年に96回じゃ済まない。
小学生が夏休み前後の4・5・9・10月、12月から今度は中学生になるわけ。
五十嵐:先生はずっと中学生を教えてこられましたが、小学生を相手にしていかがですか?
黒田先生:話にくいね。冗談を言っても通じないからね。(笑い)
五十嵐:先生は以前から天文に興味をお持ちだったのでしょうか?
黒田先生:僕は大学の専門は天文学だったんだもの。天文、気象、地学っていうかな。
五十嵐:そうでしたか。そういえば中学時代先生の授業で先生が録音したテープを聞き取って天気図を書いたことを憶えています。あの時まじめにやっていれば気象予報士になれたかもしれません。
黒田先生:だからね、ずっと理科教師の仕事をしてきたし、プラネタリウムを動かしてみたかったな、と思っていた矢先の話だったんだ。
五十嵐:話は変わりますが、先生の授業は黒板に字を書くよりも、例えば「酸素君と水素君が結婚して、そこに鉄の原子君が現れて三角関係」とか、良く絵で教えてくれた記憶があります。
あれは解りやすかったです。
黒田先生:先日、荒川区の中学校で教えていたときの同窓会があって、皆55歳になっているんだけど、五十嵐君と同じ事を言ってくれたんだ。「先生は字を書かないで絵を書いてくれた」「何となく入りやすかった」と。教えるってことはその場では結果が判らない。20年30年が経って、今回は「良かった」と言ってくれたけど、「あれが駄目だった」って言われる事だってあると思う。だから逆に、教えるって事は恐いなぁと思ったね。
五十嵐:先生から見て私達同窓生はどんな生徒だったのでしょうか?
黒田先生:難しい質問だね。僕が目黒区立の中学校に赴任したのは昭和39年だから、君たちが入ってくる6年前だね。その頃の目黒の中学は、生徒達が皆おとなしくて「いい子(いい子ぶってた)」だったんだね。
目黒に来る前にいた荒川区は下町の心意気というのか、とてもいい雰囲気があった。高校受験合格の挨拶なんかで言えば、目黒の親御さんは訪問着を着て来たりするけど、荒川ではエプロン姿のお母さんが下駄履きで「先生ありがとうよ!」って来る感じ。
その違いが何となく嫌で、目黒に移った当初は面白くなかった。その後、丁度みんなが入ってきた頃からか、そんな風潮、雰囲気が無くなってきてすごく僕は気楽になった。
平野先生なんかもそんな風に感じてたんじゃないかな。「オイ、この頃住みよくなったなここは」って。あの頃から、こちらにも気持ちのゆとりが出たせいか、学年担当のメンバーがすごく良かった。結束して「とにかく、あいつらのためにこういうことやってみよう」といろいろ画策していた時代が君たちの時だった。運良くか運悪くは知らないけどね ハハ
五十嵐:最後に40歳を迎えた僕らへ先生からのメッセージをお願いします。
黒田先生:こんなこと言うと生意気に聞こえるかもしれないけど「芸は身を助ける」。
芸というのは、「これなら俺にも出来るんだよ」っていうもの。まだ40ならこれからでも間に合うから身に付けておいて欲しいな。それが60、70になって役に立たないこともあるかもしれない。でも「これなら俺にも出来る」っていうチャンスがひょっと生まれるかもしれないから。その時に生きがいを感じることもあるだろうから。
photo.text&html by N.Hirose