平野先生へのインタビューです

平野先生インタビュー 98年7月26日 日吉駅前にて

hirano sensei [恩師を訪ねて]コーナー第1回はA組担任の平野先生です。

 7月26日、例年になく長引く梅雨空の下、平野先生と48netは先生のご自宅近くの東急日吉駅前で待ち合わせ、駅ビル内の喫茶店に入ってさっそくインタビューです。平野先生はお好きなワインを片手に約2時間、本当に楽しそうにお話して下さいました。

平野先生:インタビューだって言ってたから多分尋ねられると思って教師になってからの履歴をまとめてきたよ。

48net:恐れ入ります。

平野先生:11中には昭和39年の4月に来たんだよ。オリンピックの年。それから11年間居たんだよね。そのときに君ら卒業生を出したんだ。昭和50年からは、大田区立の矢口中に移って、4年後にまた11中に戻ったんだけど、君らの後には1回だけ卒業生の担任になったかな。僕はあんまり担任持つの好きじゃなかったから(アハハハ)。それにね、美術は僕一人だったでしょ。授業数がどうしても多くなるじゃない。そうすると担任持つのが煩わしかったのよ。だからできるだけ持たないようにしていたの。よくないなー(ハハハッ)

48net:平野先生が担任の卒業生はめったにいない貴重な存在なのですね。

平野先生:そういう事になるね。そういえばこの前の同窓会の出席はA組が一番多かったね。数えてみたら22人いたよ。クラスの半分以上が来るなんてたいしたもんだよ。会場に入って、あんまり人がいるんでびっくりしちゃったもん。エー!よくこんなに集まったなーって。

48net:実は幹事はもっと集まると思っていたのですが。

平野先生:いやー、あれだけ来れば立派なもんですよ。ほんと。と、僕は思うんだけど。幹事もやり甲斐があっていいね。

48net:同窓会の後も二次会、三次会までたくさんの人が来てくれました。

平野先生:何年かぶりで会うからさ、やっぱり楽しいのさ。それだけ君らの学年は一致団結している感じがあるよ。当時は君らのお母さん方がそうだったな。あの時ね、先生同士が良くまとまってたんだよ。例えば修学旅行の先生の役割分担なんか「これは俺がやる、これは私が」ってパパッと10分ぐらいで決まっちゃうんだ。で、その様子がお母さん方にも見えるわけ。それが結局、学年委員のお母さん方の協力につながっているんだね。先生がバラバラだと絶対に学校はうまくいかないんだよ。

48net:先生が私たちに教えていらしたときのお年は40歳前後なのですね。当時から今と変わらぬ貫禄があったように思うのですが。

平野先生:そうだよ、今の君らの年齢だ。僕はね、30そこそこの頃からふけて見られてたね。
(アハハ)あのとき藤田先生が僕より若いだけで、あとの先生はみんな年上なんだよ。 40歳前後の年代ってのは一番充実しているよね。絵描きでもね、絵そのものに非常に活気があるね。勢いとかが全然違うんだよ。

48net:先生は今も絵を描いていらっしゃるのですか。

平野先生:絵はずっと描き続けているよ。大学を卒業して、昭和31年に大田区立の糀谷中に赴任した最初の2年間ぐらいだけは忙しくて描けなかった時期があったけどね。当時は夜間中学なんてのが週1回あったり、僕は自炊生活をしてたから家で絵を描く暇が無かった。そのとき以外は、そうだな、君らが卒業した少し後まで、毎年、上野の公募展に出展してた。会の分裂なんかがあってからはいやになっちゃってしばらく展覧会やグループ展には出展しなくなったんだけどずっと絵は描いてた。

48net:カルチャーセンターで絵をならっていらっしゃると伺ったのですが。

平野先生:昭和59年に2度目の11中から10中に移って、平成4年に定年退職(60歳)したんだけど、その年の春から、元11中で理科の先生をしていた田中泰道さんに誘われたのがきっかけで、横浜のアサヒカルチャーに通い始めたんだ。周囲からは「何を今更、おまえ、絵の専門やってんのに、カルチャー行って勉強することないじゃないか」って言われたのよ。でも、まてまて、初心に返って勉強しょうと。もう今年で7年目になるよ。田中さんとはそれ以来、2回の連立個展(先生は「二人展」「割り勘個展」とおっしゃっていました)を開いてるんだ。

48net:次回の二人展はいつ頃のご予定ですか。

平野先生:いつやろうかと、二人で相談しているところ。この春に2回目を開いて、前回とは2年ほどあいたから。2年くらいないと作品のアレが決まんないのよ。僕は仕事が遅い方だから(エヘヘ)。焦らないの。例えば、賞を取ろうとかさ、売れるような絵を描こうとか、そんな野心は持たない。好きなテーマを決めて描こうかなって思ってる。
 今、考えているテーマは「居酒屋」なんだよ。煙モウモウでね、煤だらけってやつ。それでね、ねらいは居酒屋にやって来る人間の面白さ。社長風の人もいれば女性も含めていろんな人間がいるでしょ。僕はときどき自由が丘で君らの11中の10年くらい先輩のおやじさんがやっている「とりへい」っていう焼き鳥屋に行くんだけど人間を見てると飽きないよ。この頃はそういう居酒屋や焼き鳥屋が少なくなってきてるね。最近の奇麗なお店じゃ絵にならんよ。

48net:二人展を楽しみにしています。先生の最近の暮らしぶりを教えていただけますか。

平野先生:退職してからの5年間は、3中と7中で嘱託の教員をしていたんだけど、去年の春からはすっかりのんびり過ごしているよ。そうだな、朝、早い時は5時半に起きてまずアサメシのセッティングをするわけ。掃除機かけて。だいたい朝はパン食だから、僕はコーヒー専科なんで豆を挽く。(その間に奥様が食事の用意をなさる)で、それが終わるじゃん。あとは絵を描くか庭いじり。
 午前中はサンケイ新聞を日吉駅に買いに行って丹念に読む。午後からは「影の軍団」かなんかを観る。テレビは大好き。午後4時頃には日刊現代をまた買いに出かける。その帰りに東急デパートでその日の夕食に合わせたお酒を買う。肉料理だったらワイン、お刺し身だったら日本酒。毎日そうやって散歩する。なるべく歩くようにしているんだ。
そうそう、明日からカルチャーセンターの先生と田中さんの三人で秋田の渓流へ岩魚釣りに出かけるんだ。釣りは若い頃から大好きなんだ。

48net:先生は私たちが卒業したあともずっと中学生を見てこられたわけですが、今の中学生はいかがですか。

平野先生:最近の深夜番組でね、元大関の小錦が日本の教育について話をしていたんだけど、自分の両親は自分を大切にしてくれているし、自分も両親や家族を大切にしている。家庭がすごく大事だって。そんな中で育ったから他人に優しくできるんだって。彼が日本に来て、日本にはそういうものが無いって感じたんだって。そんな中で学校の先生は大変だって事を言うんだよ。
 僕はね、これ、当たってる気がするんだ。そうじゃない? 社会の一番小さな単位ってのは家庭なわけだよ。親と子の会話が無ければだめだよ。今、そういうことがわりと希薄じゃない。お互いに理解するっていう場が無いとしたら、そういう事がいろんな事に波及している。他人を思いやるとか、気配りとかは家庭の中で育つものだと僕は思うんだ。それが欠落している。
 今日、昼のテレビに中華料理の鉄人、陳建一が出てて、彼の幼少時代の話をしてたんだけど、当時、彼の父親の陳建民はNHKの[今日の料理]に出演していて「料理は愛情」と言ってたんだ。息子の建一はそれを幼い頃から聞いて育ったんだって。あれですよ!彼はそんな父親を非常に尊敬しているって。今、父親を尊敬している子供はいったい何人いるんだろう。 48net:最後に、子供を育てる世代の私たちに先生からのメッセージをください。

平野先生:僕は君たちは大丈夫だなって思ってるの。ほんと。あのときの君たちの親御さんの君たちに対するあり方、あれをそのまま、君たちは自分の子供にもやってると思うの。「親の背中を見て育つ」って言うでしょ。そういう確信を僕はもってるわけ。要するに君たちを信頼しているわけ。そうでなければ同窓会にあんなに集まらないよ。僕はそう思ってる。

48net:平野先生、なんだか僕らを励ましてくれてありがとうございます。二人展はきっと見にいきます。今度は「とりへい」で会いましょう。