MONKIの広告外論(第14講)

「リスクと利回り」

猿山義広(元2年D組らしい、3年生のときに転校、現駒沢大学助教授)

 そう思ってもらえないことが多いのだが、私は会計専門家、別名アカウンタントである。アカウンタントであるから、当然、利回り計算は得意である。ただし、リスク計算は苦手である。できないといったほうが正確だ。
 でも、それは私だけではない。公認会計士だって苦手のはずである。公認会計士だけではない。どんなに優れた経営者、コンサルタント、アナリストであっても、リスク計算は苦手のはずだ。極論ではなく、実際、リスクは「神のみぞ知る」領域なのである。

 だから、リスクマネジメントとかリスクヘッジとか、一度は聞いたことがあるかもしれないが、あれは嘘だと思っている。リスクを他人に押し付けることはできても、コントロールすることは不可能だと考えている。また、どんなに利回りが高くても、リスクを吸収することはできないと信じている。例えば、生命保険という商品。死亡時に3,000万円でようが、6,000万円でようが、死亡する確率には何も影響しない。

 絶〜っ対に活字にならないことを書かせてもらうと、私は金融商品や不動産投資の広告が大〜っ嫌いである。なぜなら、それらの広告は利回りの高さについては目一杯書いてあっても、リスクについてはおざなりな注意書きですましているからである。私なら次のようなコピーで勝負する。
 「ノーロープバンジーに匹敵するこのスリルと興奮!円高になればわややでも、円安に振れれば濡れ手に粟。外貨建投信があなたを待っています」
 「いつまで続くかこの低金利。金利が上がれば利益はパ〜。不動産価格の下落がさらに追い討ちをかけます。それでも退屈な定期預金よりマシだと考えている冒険好きのあなた。ワンルームマンションを買ってみませんか」

 私の本音は、「リスクの高い商品を買うことはスリルと興奮を買うことなのだ」という意識を欧米なみに定着させるような広告でなければ、結局はトラブルの種になるだろう、というところにある。だから、金融商品や不動産投資自体を批判するつもりは毛頭ない。遊園地だって、風俗産業だって、スリルと興奮を売っていることに変わりはないのだから。ただ、本来スリルと興奮を売っているのに、「これで老後は安心だ」みたいなコピーを見ると、「違うよな」と感じてしまう。
 でも、もしかしたら、金融商品や不動産投資、あるいはタバコのようにリスクがわかりやすい商品のほうがまだいいのかもしれない。リスクが見えにくい商品のほうが問題は多いという見方だってありうる。例えば、保険。保険はリスクに備えてのもの、という見方が一般的なのだろうが、保険だって商品である以上、それ自体何らかのリスクを背負っているはずである。極端な話、毎月保険料を支払えるうちはいいが支払えなくなったらそれでパ〜、というのも一つのリスクだろうし、保険会社がつぶれることだって実際にある。多額の保険金は殺人事件だって生みかねないし。
 ついでにいうと、私は例の「私の入院費、主人のガン保険で払っちゃった」というCMが嫌いだ。「要するに特約だろ」と突っ込みたくなる。自動車保険の新聞広告もあやしい。事故後や修理後の保険料のほうが、現実には重要ではないのか。

 そんなふうに考えていくと、すべての商品CMがいかがわしく思えてくる。パソコンのCMを見ても、「どうせもっとよい性能のものを3ヶ月後には出荷するに決まっている」と思ってしまうし、洋服のCMを見れば、「来年には流行遅れさ」と思えてくる。じつに精神衛生上よくない。
 分相応という言葉があるが、これってお金のことだけではなくて、リスクについても当てはまるのではなかろうか。財の購入に当たって予算という枠があるように、人にはそれぞれ、自分が背負えるだけのリスクの上限があって、その範囲内でモノの売買が行われているのではないか。

 こんなことを考えるようになったのも、両親が自宅を建て直したいから金を出せ、などと私に言うからである。親の言い分は「大地震がきたら大変だから耐震構造の家にするのだ」ということなのだが、私の推定によれば、大地震がくる確率よりも彼らがボケる確率のほうがはるかに高い。ならば、ボケることに備えて少しでもお金を貯えるべき、というのが私の意見であり、現在激しく対立している。
 年寄りはリスクに鈍感だからモノを売りやすい、という傾向は否定できない。それがトラブルに発展しないように、広告はリスクについてもっとわかりやすく書くべきだと思うが、なかなか業界の賛同は得られないだろうなあ。

15回目へ続く・・


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