MONKIの広告外論(第13講)

「なぜ真面目な学生ほど就職できないのか」

猿山義広(元2年D組らしい、3年生のときに転校、現駒沢大学助教授)

 この時期になっても就職先が決まらないゼミ生が3人もいる。7年前、最初のゼミ生が就職活動をしていた頃はよく企業から研究室に電話があって、「目と耳と鼻と口が付いていれば結構ですから1人まわして下さい」と哀願されたものだが、今となっては嘘みたいな話である。
 そういえば、ゼミ生の1人がクボタに就職が決まり、クボタから海苔のセットを頂戴したことがあった。当時、身分上は国家公務員であり、これは厳密には規則違反になると思い、証拠隠滅のため急いで食べてしまったところ、そのゼミ生が留年してしまい非常に困ったという思い出がある。まあ、そういう幸福な時代だったのだ。

 ところが、状況は一変してしまった。とくに、ここ2年ほどは大変な就職難が続いている。中にはビッグネームに就職する学生だっているのだが、どういう訳か揃いも揃って劣等生ばかりで、これに対して真面目な学生ほど就職先が決まらないという傾向が見られる。そうなると、「真面目に勉強していれば、いい就職ができる」という論法が使えなくなるので、教員としては頭を抱えるしかない。
 例えば、この4月から(最近、不祥事で揺れたプロ野球球団も所有している)某大手流通グループで働くことになるであろうT君などは、なぜ彼が就職できたのか私には理解できない劣等生の代表格である。彼の日本語による自己表現能力は小学生レベルであり、まともな面接をしたらいかなる企業でも採用をためらうと思っていた。それなのに、あっという間に内定を取ってしまったのである。私としては、「Dもいよいよ勝負をかけてきたなあ〜」というしかなかった。ただし、無茶な勝負だと思う。

 そういえば、去年、某大手旅行代理店に就職した学生も出来が悪かった。Jといえば、就職人気ランキングのベスト5には入る超人気企業であり、こんな奴を採らなくてもいくらでも優秀な学生が集まるだろうにと思ったものだ。当の本人からして「なんでオレなんかを採用したんだろう」といっていたのだから、全くひどいものだ。
 こういった強運の劣等生と比べて、数少ない私のゼミの優等生たちは本当に不遇な状況に置かれている。本命の企業に就職できないのならまだしも、どの企業に行っても不採用になってしまうのだから、お話にならない。私自身は6年かかって、やっとこさっとこ優4個で大学を卒業した劣等生だったので、こうした不幸な優等生の心中は正確には分からないが、さぞつらかろうと思う。

 では、なぜ優等生あるいは真面目な学生ほど就職活動に失敗するのか。俗受けしそうな理由としては、「優等生は人とまじわることが苦手である」「真面目な学生は応用力や創造力が乏しい」「プライドの高い若者は使いづらい」「大学の成績は実社会では何の役にも立たない」「勉強ばかりしている人間にはアブない奴が多い」といったところが考えられる。しかしながら、教員の立場から見ると、他人とまじわれない劣等生、応用力も創造力もない劣等生、プライドだけは高い劣等生、役立たずの劣等生、アブない劣等生だって数多く存在するのだ。
 私は日本企業の人材観が変わったのだと思う。有利な身売りをつねに念頭に置く欧米流の企業では、リスクマネジメントは持株会社のトップあるいは投資家(古い言い方では資本家)が行うものであり、組織も個人もひたすらリスクを引き受けることに専心させられる。個人の、それも平社員の分際でリスクを回避するような振舞いをする奴にまともな仕事はない。日本企業もそれに近づいているのではなかろうか。

 何が言いたいのかというと、優等生はリスクをヘッジしたり回避してきたからこそ優等生であり、それ故に必要とされず、劣等生は試験があるにもかかわらず勉強しないという大きなリスクを引き受けてきた経験(筆者注:たんにだらしないだけという見方もあるが)があるから企業社会に好かれる、ということを言いたいのである。
 デタラメな理屈のように聞こえるだろうが、案外当たっているような気がしてならない。私自身、優等生と話していると、彼は彼なりに希望や不安の可能性を拡げて考えることが正しいと思っているのだろうが、「じゃあ、お前の一番やりたいことは何なんだよ」とイラつくことがある。これに対して劣等生は、残された選択肢が少ない分、それに全身全霊をかけるという覚悟が感じられ、応援したくなってくる。
 何はともあれ、可能性は拡げるものではなく高めるものであり、そのためにはリスクを承知で選択肢を絞り込むことも場合によっては有効なのだという論理を、駒大の優等生には学んでほしい。だからといって、私の授業はサボらないでほしいが。

14回目へ続く・・


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