MONKIの広告外論(第8講)

「失われたフリーダム」

猿山義広(元2年D組らしい、3年生のときに転校、現駒沢大学助教授)

 そこにいるときは何も感じなかったけど、「自由が丘」という名前はとてもいい名前だと思う。まず、「渋谷」「代官山」「二子玉川」あたりと比較すると、「丘」という言葉は希望に満ちている。しかも、その前にくるのが「自由」である。多少センチな表現をするなら、40男にとっての「自由が丘」は、失われた自由と残された希望の土地であるかのように思える。

 私は現在、某大手電気機器メーカーの依頼で、その会社のブランド資産価値を再評価するという仕事を引き受けているが、そこでわかったのは名前(企業名、ブランドネーム)というのは非常に大事な無形資産であるということだ。

 例えば、私が仕事も家庭も捨てて、島根県の玉造(たまつくり)温泉に逃げて、どこぞの旅館で働くとしたら、もう「猿山義広」という名前は使わないだろう。その名前は、少なくとも自分にとっては、どう考えても三流の研究者にこそ相応しく、旅館の仕事をするにはひ弱すぎる。
 だから、まかり間違ってそんなことになったら、私は玉造玉造(たまつくりたまぞう)と改名して、亭主に先立たれた美人の女将と無愛想だが腕はよく、しかも秘かに女将に惚れている板前と、変質者的に玉造を虐げる(海水浴に行けば引潮の時間帯を狙って玉造を砂に生き埋めにしたり、スキーに行けば無理矢理ジャンプ台に玉造を立たせ後ろから押したりする)女将の一人息子に囲まれながら生きていこうと思っている(ちなみに玉造さんの口癖は「やめてくだせえ」「勘弁してくだせえ」「滅相もねえ」の3つ)。何だか書いているうちに、こういう人生もそれはそれで楽しそうに思えてきた。

 話を強引に「自由が丘」に引き戻すと、自分にとって「自由が丘」のイメージは、「失われた自由と残された希望」という言葉に象徴されるように、けっこううらぶれたものである。たしかに文化の香りはするが、それはいわゆる学生街的なものではない。私は神田やお茶の水とかいった学生街に漂う文化の香りが好きになれない性分なので、これは非常に好ましいことと考えている。
 では、自由が丘の文化の香りとは何かというと、おそらくそれは住民の生活信条に根ざした文化であるように思える。中3のときに渋谷に引っ越した人間として、それをより具体的に表現するなら、自由が丘の文化とは「お金」というものに対する醒めた視線あるいは距離の取り方だと確信している。

 思春期を渋谷で過ごした人間としていうと、渋谷という街はある意味では非常にハングリーな街だった。そこは基本的に盛り場であり、そこに来た人々からいかにして効率的にお金を巻き上げるかが重要な価値観になっていた。そのためか、いいにくいことだが、セックスビジネスが主要な産業になっており、2時間いくらのホテルがフル稼動しているような場所だった(いいにくいことだが、すぐに染まった)。
 自由が丘は、そうしたハングリー精神とは無縁の場所である。一見すると、たくさんのお店が並び、商業主義的な街のようだが、決して発情していない。つまり、何が何でも消費させようという雰囲気が希薄なのである(多少発情が感じられるのはピーコックぐらいだ)。その代わりに感じるのは、街に子供とお年寄りがほどよい具合に配合されていること。住んでいる人には申し訳ないのだが、これって地方都市によく似ている。例えば、私が6年間住んでいた松山市に。

 だが、地方都市的でありながら、自由が丘にはすでに「自由が丘」ブランドともいうべき追加的な価値が公認されている。それは女性向け雑誌の特集や、週末における人出の多さを見ればわかる。一時期その近くに住んでいた人間として不思議なのは、なぜ自由が丘は、その非商業主義的なメンタリティーにもかかわらず、ここまで商業化を超えてブランド化したのかということだ。
 1つの仮説として考えられるのは、そこにはやはり古くから自由が丘に住む人々の生活信条が影響しているのではないか。ブランドの価値が「お金」を超越したところにあるとするならば、自由が丘人の「お金」に対する醒めた視線あるいは距離の取り方こそが、自由が丘商業にいい意味でのブランド価値を与えたのではないだろうか。相続税の問題とかを考えると、実際に住んでいる人は大変だとは思うが。

 なお、ブランド価値についての専門書としては、最近増刷された日経広告研究所発行の『最新ブランド・マネジメント体系』がお薦め。第20章(私が書いた)を除けば内容も充実しているし、関心のある方は本屋で拾い読みして下さい。

9回目へ続く・・


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