MONKIの広告外論(第7講)

「Laugh at Kazushige」

猿山義広(元2年D組らしい、3年生のときに転校、現駒沢大学助教授)

たかし、おまえには黙っていたが
父さんたちはずっと「からくりTV」のファンだ。
すまんが、今夜から始まる
おまえの番組は見られそうにない。
まあ、せいぜいがんばれ。
(番組ディレクター神原孝の両親 父‥康59歳 母‥京子60歳)

 上のコピーは11月1日から始まったフジテレビの新番組「トロイの木馬」の新聞広告(『朝日新聞』11月1日)からの引用だが、ここまで自虐的な番組宣伝は滅多にお目にかかれない。これを認めたスポンサーの三菱電機は本当に偉い。

 “Laugh at me”というフジテレビの新路線は、アイデアとしては決して悪くないものだと思う。しかしながら、個々の番組を見るかぎり、過去のフジテレビ番組の縮小再生産でしかないという印象は拭えない。タレントのトークに預けきった番組作りの方法論は、結局、破綻するだろう。
 意識的にか無意識的にかは不明だが、“Laugh at me”という方向に関していえば、意外にもTBSが過去の路線を上手に修正したように思える。その兆候はあった。
 鳴物入りで東京に迎え入れた「吉本新喜劇」(身体の一部がハッ!ハ!)をバッサリと打ち切ったのがそれ。この一件でTBSの現場は、「笑わせよう」という意図が「笑おう」とする視聴者にとって鬱陶しい以外の何ものでもないことを学んだものと推察される(あくまでも推察ですよ)。

 学習効果は2つの定番ドラマに見て取れる。
 まず、橋田寿賀子作「渡る世間は鬼ばかり」についていうと、これはもう橋田寿賀子が「笑っていいとも」のレギュラーになったことが大きく影響している。観覧者が入ったスタジオでの生放送というシビアな状況において、橋田寿賀子は「TVにおける予定調和を無意識的に、かつ予定通りに破壊する存在の必要性」を痛感したのではないか。そうでなければ、予定調和の優しき象徴であったはずの主人公(山岡久乃)に代えて青山タキなる人物(野村昭子)を登場させるなどという英断が下せるはずがない。青山タキは「私は奥さまの代わりに云々」といいつつ、結局のところ亡くなった主人公がそれなりに円満に、それなりに麗しく、そしてなあなあに築き上げてきた人間関係をブチ壊し、明示的なルールを設定しようと動き回るのだが、これが大いに可笑しい。彼女が登場するだけで、画面に緊張感が走るのだから素晴らしい。

 もう1つの東芝日曜劇場「なにさまっ!」についていうと、これはもう長嶋一茂というキャラクターを抜きには語れない。新時代の森田健作+アーノルド・シュワルツネッガー的可笑しさに満ちている一茂は、このドラマの最大の見所であり、断言してもいいが担当プロデューサーは当初の構想より一茂の出番を増やしているはずだし、共演者たち(岸谷五郎、渡部篤郎、渡辺いっけい)は「一茂おそるべし」と感じているはずである。
 付け加えておくと、最近の私の日曜の夜は一茂とともにある。夜7時からの「からくりTV」、9時からの「なにさまっ!」、深夜の「プロ野球ニュース」と続けざまに見ている。3つとも「何でおまえがここにいるんだよ」的緊張感に満ちているのだが、中でも一番面白いのは「プロ野球ニュース」であり、これこそ“Laugh at me”と呼ぶに相応しいと思う。
 この番組は、誰よりも野球を愛し、かつ誰よりも実績がない存在の一茂が、饒舌なアナウンサーや解説者によって仮構された予定調和的スポーツ感動の世界を破壊しつづけるドキュメンタリー番組として観ると、よりいっそう面白い。とりあえずお仕事だからやっている的雰囲気が濃厚な中村江里子アナウンサーに、「君、本当にわかっているの?」としつこく聞く一茂は、現代のスポーツ報道に対する本質的な批判者として位置づけられよう。

 それにしても、デビューの年、巨人のガリクソンから打った一茂のホームランは、そりゃもう見事なものだった。あの一発だけで一茂の野球人としての素質は証明されてしまったといってよい。当時のガリクソンからあれ以上のホームランを打てる打者は、おそらく存在しなかったのではないか。早い引退が本当に惜しまれる。

8回目へ続く・・


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