MONKIの広告外論(第1講)

「湯川専務は尻か」

猿山義広(元2年D組らしい、3年生のときに転校、現駒沢大学助教授)

 困難に直面したとき、とりあえず尻を出せば、あるいはケツをさらせば問題が解決するのではと考える癖がある。先日も「芝松」で幹事の方々と同席する機会があり、そこでこのHPに立ち寄る人が少ないことが話題になったとき、「ここでみんなが尻を出している写真を撮って、それをトップページに掲載したらいいんじゃないか」と提案した。もちろん、「猿は変わんねえなあ」という冷笑とともに、その場で却下された。
 たしかに40男の尻は綺麗なものではない。幹事の方々が品位とか美意識とかを重んじて却下したことについては、十分に理解できる。しかしながら、戦略的に見て、「尻を出す」という行為がまるっきりのデタラメであるかというと、一概にそうとはいいきれないように思う。

 「尻」に比較的近い部分として「背中」という箇所があり、両者が暗示するところには類似した要素も異なる要素もあるのだが、じつはその中に「尻を出す」ことの本質が潜んでいる。
 話を具体的に進めると、「背中で泣く」「敵に背を向ける」という慣用句と、「ケツをめくる」「尻に帆をかけて逃げる」という慣用句を比較してみてほしい。第三者から見れば、いずれも敗北を意味する表現ではあるが、前者「背中」が当事者もその敗北を認めているのに対し、後者「尻」は当事者自身は敗北したと深刻に考えていないところに大きな違いがある。いいかえれば、「背中」は明らかに敗北であるかもしれないが、「尻」は戦略的な一時撤退にすぎないのである。

 このあたりで話を強引に広告に移すと、最近のSEGAのCM、あれって相当思い切って「尻」を出している広告表現ではなかろうか。何といっても、明らかにシェアではプレステに大きく水を開けられていることを認めながらも、さほど深刻ではなさそうに振る舞っている点が素晴らしい。本当は社内ではもっと深刻なのかも知れないが、専務自らがキャラクターになって深刻ぶっている姿をさらしていると、かえって「まだ余裕があるんだな」と感じてしまうのだ。そしてこの余裕は、私たち消費者に、コンピュータ・エンタテインメントの世界には売り上げや利益やマーケットシェアよりも大事なものがあることを、強く訴えかけてくる。そういう意味では、このCM は期せずしてSEGAの企業広告としての役割も果たしている。

 逆に「尻を出す」べき状況であるにもかかわらず、尻を出さずにいる企業は無様であり無惨である。実名を挙げればキリンビール。あのモニャモニャウニャウニャとしたテレビCMを見ていると、「もっと思い切って尻を出せ」といわずにおれない。
 例えば、次のようなCMだったらどうだろう。

シーン1:
 キリンビール東京営業の江頭部長が部下を飲みに誘うが忙しいからと断わられる。

シーン2:
 1人で飲みに行く江頭部長。久しぶりに馴染みの居酒屋に入ってラガーを注文すると、「うちは先月からスーパードライしか置かないことした」といわれ愕然とする。

シーン3:
 「何でこれがシェア1位なんだよう」といいながら、スーパードライをやけ飲みする江頭部長。お座敷にふと目をやると、そこには楽しそうにスーパードライを飲んでいる部下の顔が。

シーン4:
 部下に気づかれないようにそっと店を出る江頭部長。千鳥足で駅前を歩いていると歩道に車座になってスーパードライを飲んでいる若者たちに遭遇する。「人の通行の邪魔になるだろ!おまけにこんなものを飲みやがって!」といいながらビールを取り上げるが、逆にボコボコにされ古びたラガーの看板にたたきつけられる。

シーン5:
 そのとき伝説の麒麟が光をまとって空から降りてくる。呆然とする若者たち。「麒麟だ!伝説の麒麟が来てくれたんだ!」涙と鼻血でくしゃくしゃになった江頭部長のアップ。

 何だかSEGAとペプシマンがごっちゃになったようなアイデアだが、このくらいのことはやっていいように思う。シェア1位を奪回できるかどうかは別として。

 2回目へ続く・・


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