94japan

1994年8月6日(土)
行程
天王寺8:00(スーパーくろしお1号)11:41紀伊勝浦12:11(南紀82号)15:57名古屋16:20(ひかり44号)17:56新横浜
できごと
「スーパーくろしお1号」は白浜へ海水浴に行くには絶好の列車。 そのためか指定席を取ることはできなかった。 日本一周旅行は生半可なものではないことを十分自覚していた俺は、 体力の温存を第一に考え、この列車には是が非でも座りたいと思った。 禁煙自由席はわずか1両。初日の朝は早起きになった。 5時30分起床で6時出発。 いつも早起きの西村のおっさんとチャドに見送られて三山木寮を出発する。 チャドもだいぶ大人になったとみえて、 もう今では飛びかかってくることはない。2、3度吠えられただけで攻撃は止んだ。

早く天王寺にたどり着きたかった俺は、西大寺から鶴橋の区間を近鉄特急の客となった。 天王寺には7時15分頃到着。目指す2号車にはすでに10人くらい並んでいたが、 この順番なら楽勝で座れる。よかったよかった。 さらに嬉しいことに予想よりも早く7時25分頃に列車が入線してくれたおかげで、 並び疲れることなく車中の人になることができた。 海側の窓際の特等席を確保したのは言うまでもない。 定刻通り天王寺を出発。ホっとしたせいか、発車したとたん迂闊にも眠ってしまった。 半分くらいの客が降りた白浜までの2時間あまりのことはほとんど覚えていない。 気を取り直して車販の弁当を買い遅い朝食をとることにした。 「うな重(1000円)」。ご飯は温かかったが量が少ないので不満。

紀伊勝浦で「南紀」に乗り換え。「くろしお」よりも相当きれいな車両である。 肘掛けの部分まで窓がある変わった構造をしている。 車内は空いていて半分くらいは空席である。 指定された席は山側だったので自由席にしておけばよかったかも。 「松坂牛弁当(1200円)」が昼飯。薄い牛肉2枚ぽっきりでこの値段はちょっと高くないか??。 名古屋からはお馴染みの新幹線なので車窓を眺めることなく雑誌を読む。 それにしても新幹線は速い!!。天王寺名古屋が8時間なのに対し、 名古屋新横浜はたった1時間半。こいつを最大限に利用すれば、 日本一周も、もうちょっとは楽になりそうなものだけど予定ではあと1回しか乗らない。 実家について「雛○」ちゃんと初めての対面。かわいいなぁ〜!!。 「おかえり」と言われたから「ただいま」と返事をしたけれど、 日本一周の旅行者にとっては、実家はただの通加点にすぎないのだ。

費用
大阪市内→名古屋市内乗車券7830円、スーパーくろしお特急券1850円、南紀特急券(指)1730円、 名古屋市内発道南ワイド周遊券32960円、ひかり特急券(指)4610円

1994年8月8日(月)
行程
上野9:00(スーパーひたち7号)11:2612:20(普通)15:05仙台16:02(やまびこ129号)17:08新花巻17:26(陸中5号)18:51釜石
できごと
「たまに帰ったんだからもっとゆっくりしたら」との声をかたくなに拒む俺。 「雛○」ちゃんに何の未練もなく立ち去る冷たいやつ、という誤解を受けるのはいやなので、 仕方なしに日本一周のプランを家族に打ち明けた。 「そういう計画があるなら止めても聞かないわね」さすがに身内は俺のことを良くわかっている。 少し後ろ髪を引かれる思いで実家を出発。日本一周の旅は再開された。 何ということだろう。列車は通勤客でいっぱいじゃないか!!!。 世間の多くはまだ夏休み前なんだということに気づいた。

上野から「スーパーひたち7号で」へと向かう。天王寺から乗った「スーパーくろしお」を筆頭に、 何だか「スーパー×××」って列車が多いような気がする。 明日も「スーパー北斗」に乗る予定だし、15日には「スーパー雷鳥」ってのも待っている。 何が「スーパー」なんだか良くわからないけれど、ちょっとネーミングが安直すぎるぞ!!!。 の駅ビルで「広東ラーメン(650円)」の昼食。

平からの普通列車はウトウトしながら過ごし、仙台からは新幹線に。 七夕の飾りつけが賑やかな仙台駅で「鳥めし(700円)」を買う。 時刻表の路線地図によると、新花巻は新幹線と釜石線の接続駅のように見えるけど、 新幹線から釜石線に乗り換えるためには、改札口経由の連絡ではなく、一度外に出るような感じになる。 案内にしたがって、駅前のロータリーの脇を歩き、地下道をくぐって釜石線用の改札へと向かう。 驚いたことに釜石線の方の新花巻駅は何と無人駅だった!!。 新幹線の無骨なコンクリートの高架橋の下でひっそりとたたずむ「かすみ草」のような、 といえば風流だが、はっきり言って相当貧相な釜石線のホーム。 それとは対照的に、やってきた「陸中5号」は意外にもきれいな列車であった。 座席は上等で「やまびこ」よりもよっぽどまし。 鉄冷えでさびれてしまった釜石へ向かうには、 ちょっと似つかわしくないような瀟洒なディーゼルカーだと思った。 隣のおっさんが話しかけてきた。 小田原で郵便局の配達をしていて、3日しかない休みに有休を引っつけて10日間の家族旅行をしているそうだ。 以前にインドや中国の旅の経験もあり 「本当はこんな暑い時期はやなんだけど、子供がこの時期しか休めないから〜」と声高に話すおっさん一家は遠野で下車した。

釜石に着いたときはもうだいぶ暗くて町は見えなかった。 駅の「みどりの窓口」の看板を目にして、明後日に北海道で乗る「おおぞら」の予約を入れておこうと思い立った。 駅員がキーボードを叩きながら「ラスト1枚だ!!」と言って発券してくれた。すごい幸運である。

費用
スーパーひたち(指)特急券2970円、やまびこ特急券3170円、新花巻→釜石乗車券1590円、陸中急行券360円(乗り継ぎ)

1994年8月9日(火)
行程
釜石6:36(岩手交通バス)9:30盛岡10:44(はつかり5号)12:24野辺地12:30(快速)13:15下北 13:54(下北交通)14:24大畑14:30(下北交通バス)15:33根田内(徒歩) 大間港16:10(東日本フェリー)17:50函館港(タクシー)函館18:45(スーパー北斗19号)20:33東室蘭
できごと
少し早めの朝6時に宿を出て、駅までの道をちょっと遠回りしながら散歩する。 どうやら駅は市街地の外れにあるらしく、かの有名な「新日鉄釜石」の場所はわからなかった。 駅の近くに雰囲気のある巨大建造物があったので記念に撮った。 釜石駅に着いたら、チャリンコ族の皆様が寝袋の集団で横たわっていた。ご苦労様です。

バスは最初のうちは釜石線にそって走るため、昨日来た道を折り返すルートになる。 神話の国をバスからも眺めてやろうというわけだ。 「仙人峠」という、それらしい名のぐねぐね道を過ぎると遠野に入る。 遠野の感想は…。う〜ん、バスの車窓からの瞥見で遠野を味わうなんてことは、どだい無理な話。 盛岡の市街地に入ってから乗客は次々と下車し、釜石から終点の盛岡駅まで通しで乗ったのは俺一人だった。 駅で「カレー(600円)」の朝食。

野辺地まで「はつかり」で快速に飛ばし、いよいよ下北半島に突入する。 下北駅前のラーメン屋で「にらレバラーメン(580円)」を食べる。 うまくはなかったけど、小ライスつきなので結構安い。大畑からのバスで、本州最北端の地を走る。 日本一周の初日に本州最南端の潮岬付近を通ったことは、もう既に懐かしい感じだ。 バスは御丁寧にも最北端の碑のある大間崎も経由してくれた。

さていよいよ北海道への船旅である。乗船名簿に記入して早速乗り込む。 大学の1年の時に北海道旅行をしたときは、往復とも夜行の青函連絡船を利用した。 明るい津軽海峡を見るのは今日が初めてである。1時間40分という時間は長すぎもせず、短すぎることもないという感じ。 この海の下にあるトンネルを歩いて渡ろうとしたアホがいたとか、 津軽海峡を泳ぎきった女性を取り上げた新聞記事のことを思い出しながら、少し船にも飽きてきたなあという頃には、 すでに函館山は目の前に迫り、ほどなくして船は無事に函館港に着岸した。

東日本フェリーの波止場と、JRの駅が離れていることを知らなかったため、ちょっと焦ってタクシー乗り場へと急いだ。 今晩の宿は素泊まりなので列車内で夕食をすませる。 「えび天そば(400円)」だけでは足りそうもないので、さらに「かにすし(800円)」も買った。

「スーパー北斗」発車の頃には夕闇が空を覆い始めていた。飯など食っている場合でない。 久しぶりの北海道の風景をしばし眺めることにした。 駒ヶ岳の稜線が、空と見分けがつかなくなるほど暗くなってから「かにすし」の包みを開いた。 函館東室蘭間は土曜日に再び通ることになっている。東室蘭20:33定刻到着。さて、いよいよ明日は道東だ。

費用
釜石→盛岡バス代2490円、はつかり特急券1650円、野辺地→下北乗車券1090円、下北→大畑乗車券400円、 大畑→根田内バス代1350円、大間→函館船代1000円、函館港→函館駅タクシー代1740円

1994年8月10日(水)
行程
東室蘭8:43(すずらん3号)9:40南千歳10:24(おおぞら3号)14:46釧路15:33(普通)17:05厚床
できごと
昨日は釜石、今日は室蘭。二日続けて新日鉄の街からのスタートになった。 室蘭は本当に奇妙な形をした街で見所もありそうだが、今回は地球岬によることもなく、 目が覚めたら早々に立ち去ってしまう。ちょっともったいない。

駅で「チーズパン(110円)」の朝食を食べながら駅の売店に立ち並んでいるスポーツ紙に目を向けると、 昨日の北海高校の殊勲の勝利をたたえる見出しが躍っていた。 「すずらん」は快適に飛ばす。 南千歳駅のキオスクで「道内時刻表」を目にする。これは便利ということで購入。460円。 チーズパン1個じゃ物足りず。「うに弁当(850円)」を買って「おおぞら3号」に乗り込んだ。 「おおぞら3号」は、釜石駅でラスト1枚の指定券を確保した幸運の列車だ。 車両に乗り込んで自分の席を確認して驚いた。何と1号車の1番前の席じゃないか。 この車両は運転台が片側に寄った構造をしているので、俺の目の前は何の障害物もなく、眺望がめちゃきく席である。 最後の1枚が特上の展望席だったのに興奮して、隣の席の人にそのことを話したらすごい事実が明らかになった。 以下は会話の再現。

俺「ここ、すごい席ですよねえ」
隣「本当ですねえ」
俺「ここの席とったとき、駅員に最後の1枚だって言われたんですよ」
隣「ああ、それは僕の連れのキャンセル分ですよ」
俺「えっ??」
隣「一緒に来るはずだったやつが来れなくなって、一昨日キャンセルしたんですよ」

諸々の状況を勘案すると、一昨日の段階ですでに指定は売り切れていたのだが、 たまたま1枚キャンセルが入り、それをすかさず俺がおさえたというのが事の真相のようだ。 この列車の盛況ぶりからみて、出たキャンセルチケットは、すぐにさばけると考えてまず間違いない。 だとすれば、釜石で何気に緑の窓口に立ち寄ったあのタイミングは、 神技に近い間合いであったことがここに実証されたことになる!!!!!。

せっかくの展望席なので、バス用に持ってきたロードマップを手にしながらパノラマ風景を楽しんだ。 南千歳から4時間あまりで釧路に到着。ここも例年以上の暑さだそうだが、 関西の盆地住まいの人間にはだいぶ心地良く感じる。中途半端な時間だけど、空腹なので食事にした。 鮭とイクラの親子丼に心を奪われかけたが、同じ値段のイクラ丼にした。 メニュー写真の大盛りのイクラのやつが俺を誘惑してきたのだ。「イクラ丼(1000円)」。満足。 厚床には午後5時到着。宿探しで苦労したところだが、スペースがないので明日に。 駅前には郵便局や数軒の商店があるだけ。他にはポツリポツリと家が建っているだけのおもちゃのような街だ。

費用
南千歳→厚床乗車券6180円、おおぞら特急券(指)3170円

1994年8月11日(木)
行程
厚床6:25(根室交通バス)7:30中標津バスターミナル7:50(阿寒バス)8:25標津バスターミナル8:25(阿寒バス)9:30羅臼 9:45(阿寒バス)10:40ウトロ温泉10:45(斜里バス)11:40斜里13:03(普通)13:48網走14:35(網走バス)16:30中湧別 16:41(北紋バス)17:36渚滑四丁目(タクシー)紋別プリンスホテル
できごと
今日はバスを乗り継ぎながら紋別まで向かう。 ここは日本で最も人口の希薄な地域なため、バスの本数が少なく計画を立てるのに苦労した。 日本一周のルートは、今日のコースを最優先にして、前後の旅程はこれにあわせて順次組み上げていくという方法で作成した。 そんないきさつがあったので、何としても厚床に宿泊地を確保したかった。

宿探しのネタ本として準備した「時刻表」やアサヒ出版の「宿泊表」で厚床の欄をさがしてみたが、 厚床がない…。「おい、厚床ってそんなに辺鄙なとこなのか…」泣きたい気分だった。 仕方なしに次善の策として厚床の少し北にある別海の欄の宿に片っ端から電話を入れた。 …がしかし今度はあきがない…。何件目かの宿で聞いてみたところ、別海はマラソン合宿のメッカらしく、クラブ活動の団体で予約は一杯とのことだった。

何とかせねばと今度はJR厚床駅の電話番号を調べて、問い合わせをしてみた。そしたら「実は厚床にも一件だけ民宿があるんですよ」との嬉しい情報が飛び込んできた。 教えてもらった○○旅館にすぐに予約を入れた。○○旅館。特別汚いわけではないが、旅行者はまず利用しない旅館ではないかと思う。 土木作業員たちと風呂に入り、味のない味噌汁をいっしょにすすった。

厚床を出発したバスが別海の市街地を進むころ、早朝練習中のランナー達を大勢見かけた。 市街地といってもわずかな集落。ここは根釧台地である。中標津バスターミナルで20分待ち、羅臼へ向かう。 いよいよ知床半島へ突入である。標津から根室海峡沿いの道になると遠景に国後島が現れる。 それとともに「北方領土返還」の立て看板が多く目に留まるようになった。 羅臼が近づくころから浜辺に昆布を干す光景が目立つようになり、急に塩昆布で茶漬けが食べたくなった。 羅臼での15分間の待ち合わせ時間に辺りをうろついていたら、トドの冷凍肉を売っているのを見つけて驚いた。トドを食べるとは知らなかった…。 羅臼からのバスは観光バスもかねた路線バスのようで、要所要所で観光案内のテープが流れた。 要約すると「知床山知床峠はすごいぞっ!!」っていうことだ。知床峠でバスは10分ほど休憩。 その間に「イカの姿焼き(600円)」を買う。ウトロに近づいた。ウトロという地名は見たことあるものだったけど、 「宇登呂」という当て字は道路標識を見て今日初めて知った。ウトロからは待望のオホーツクの海に沿ったバス旅行になる。 途中の、何というところだったかは忘れてしまったけど、何にもないバス停でひとりのおじいちゃんが乗った。 運転手と親しげに話をしている様子から、どうやらお馴染みのお客らしい。 会話を聞いててわかったのだが、このおじいちゃん、斜里までパチンコをしに行くそうだ。 ちなみに昨日は勝ったらしい。

斜里駅前で「カレー(600円)」の昼食。 国鉄がJRに変わるころの赤字ローカル線廃止により、オホーツク海沿いの鉄道はほとんど姿を消した。 わずかに残ったのは斜里→網走間の37.3kmのみである。この区間は国道よりも線路の方が海沿いを走っていることもあって、 迷わずJRを選択した。1両のディーゼルカーがコトコト走って網走へ。 赤煉瓦の塀に囲まれた網走刑務所に見送られて網走を去ったあとは、能取湖、常呂からのオホーツク海、サロマ湖の一級品の風景を十分に堪能した。 紋別でちょっとしたハプニング。時刻表には紋別というバス停があるかのような表記だったので、そのアナウンスを待っていたら、 いつのまにか紋別の市街地を過ぎてしまった。あわてて下車し、電話でタクシーを呼んで引き返す。 タクシーの運ちゃんに聞いたところ本町六丁目というバス停で降りるべきだったことがわかった。 気をとり直して晩飯は「北海定食(2500円)」で海の幸を十分に味わった。うめ〜〜。今日通ったエリアは冬、よほど冷えるのであろう。 ちっちゃな家でも立派な煙突が目についた。夏もいわゆる猛暑って感じにはめったにならないようだ。 今日の宿にもエアコンはなく、部屋には扇風機が用意されていた。

費用
厚床→中標津バスターミナルバス代1140円、中標津バスターミナル→羅臼バス代2190円、羅臼→ウトロ温泉バス代1200円、 ウトロ温泉→斜里バス代1420円、18切符代11300円、斜里→網走乗車券720円、網走→中湧別バス代2200円、 中湧別→渚滑四丁目バス代記録もれで不明、渚滑四丁目→紋別プリンスホテルタクシー代1380円

1994年8月12日(金)
行程
本町六丁目7:02(北紋バス)8:13雄武8:40(宗谷バス)9:54枝幸ターミナル (タクシー)浜頓別12:27(宗谷バス)15:02稚内 16:06(礼文)16:46豊富17:09(沿岸バス)19:37羽幌
できごと
朝、目が覚めたら6時35分。やばい!!!。慌てて飛び起きチェックアウトした。本町六丁目からまたバスの旅がスタートした。 本町五丁目から乗ってきたおっさんが運転手と声高にしゃべっている。ちょうど俺の父親と同じくらいの年格好のおっさんだ。二人の会話を聞いて驚いた。 このおっさんもバスを乗り継いで稚内まで行くといっているではないか!!!。まさかこの人も日本一周を???。 でもバスの接続について下調べをしている様子はなく、この先のバス路線とその接続について運ちゃんに聞いていたようだ。

「とある思惑」を抱いた俺は、雄武での待ち合わせの間に、このおっさんに近づいた。 話を聞くとこのおっさんは、東京から青春18切符で旅行しているが、この地域だけは鉄道がないので仕方なしにバスに乗っているとのこと。 「とある思惑」を実現するために、 「僕も稚内に向かうつもりですが、枝幸から先の接続が悪すぎて、バスの乗り継ぎだけだと、 稚内にたどり着くのが午後7時になってしまいます。だから、枝幸浜頓別はタクシーに乗るつもりです。 そうすれば午後3時には稚内につくんです。」と説明した。

「とある思惑」とは、おっさんにタクシーに同乗してもらい、タクシー代を割勘にしたいというものだった。 しかしおっさんは「僕は枝幸の街でも見てぷらぷらしてますよ」とそっけなく答え、俺は見事にふられてしまった。 雄武では北見へ行きたいという旅行者にもバスの接続を調べて教えてあげた。 俺はツアコンか?!。冬ならば流氷で覆われているオホーツクの海を見ながら、宗谷バスで枝幸へと向かった。 枝幸。本当に何もないところ。バスターミナルで朝食をとろうとしたときに、 件のおっさんが近寄ってきて「ここ本当に何にもないね。やっぱりお兄さんといっしょにタクシーに乗るわ」と言ってくれた。 ラッキー!!!。嬉しかったので、稚内から先のバスの時刻を自発的に調べて、 浜頓別までタクシーに乗れば明るいうちに宗谷岬まで行けますよと教えてあげた。

バスターミナルの喫茶店で「モーニング(500円)」の朝食。30km余りのタクシーの車中では、 遠距離客に気をよくした運ちゃんがいろいろな地元話を聞かせてくれた。 「海辺の魚の残骸を漁りにきた熊がハンターに撃たれた」「エゾ鹿が増えて、このまえ走行中の車に体当たりした」 「きつねが増えてウサギが減った」などなど。タクシー代7500円、そのうち3500円を俺は払った。 浜頓別で「親子丼(560円)」。今日これまで通ってきたルートは、その昔、といっても5年くらい前までは鉄道が走っていたところで、 至る所にその面影が残っていた。今ではバスの待合所に使われている旧駅舎前にある市街案内図には、鉄道路線を表す白黒の帯がまだ残っているところが多かった。

稚内までのバスで、これまでひたすら北に向かってきたコースともお別れ。 もっと緊張すべきだったかもしれないが、途中1時間半ほど眠ってしまった。 北海道に入ってから多くの牧場を目にしたが、今日は海岸ばたに広がる牧場を見かけた。 海に向かって草を食み、体をなめあうホルスタインの姿は印象的だった。

稚内でおっさんとお別れ。JRで豊富に向かい、そこから今日最後のバスに乗り込む。 バス会社の名前は沿岸バス。最果てを連想させる社名ながら、バスはめちゃめちゃきれいだった。 そして、めちゃめちゃ空いていた。

日が暮れた7時半過ぎに羽幌で下車。バスターミナル近くの富士屋旅館が今晩の宿である。 とっても暖かいもてなしを受け、料理も最高。海の幸が7、8品ほど並んで感激した。 家族でやっている宿で、どこかの家にお呼ばれして行ったかのような錯覚すらした。 近くに目立った見所があるわけでもなく、スケジュールを決める上で機械的に旅の中継地点として選んだだけの羽幌だったのだが、 ここに泊まって本当によかったと思った。あまりにも嬉しかったので、素直に今回の旅の目的について俺の方から宿の人に話をした。

費用
紋別→雄武バス代1080円、雄武→枝幸ターミナルバス代1980円、枝幸ターミナル→浜頓別タクシー代3500円(7500円)、 浜頓別→稚内バス代1890円、稚内→豊富乗車券800円、礼文急行券520円、豊富→羽幌バス代1650円

1994年8月13日(土)
行程
羽幌6:50(沿岸バス)10:35札幌11:15(スーパー北斗10号)14:20函館15:31 (はつかり26号)17:26青森18:19(快速)19:52鯵ヶ沢
できごと
昨晩、富士屋旅館の人と

俺「明日は、朝、6時半ごろ出ます。」
富「あら!、ずいぶん忙しい旅行なんですねぇ」
俺「はい、とっても忙しいです。」

という会話を交わした。宿の朝食は7時からということなので、朝飯抜きのつもりでいたが、 何と俺のためにおにぎりの弁当を作ってくれていたのだ!!。富士屋旅館万歳!!。

羽幌からのバスは特急バス。途中の一部の区間で女性の車掌が乗務した。 乗り込むなり自分のことを「わたくし、コンパニオンの××××です。」と自己紹介した。 「コンパニオン??」首から乗車券の入った「がま口鞄」をぶら下げたコンパニオンってのも風流だ。 留萌を過ぎて増毛の辺りから、道東や道北ではまったく見ることができなかった「田んぼ」が姿を見せはじめた。

札幌に着いた。久しぶりの都会である。札幌からは「スーパー北斗」でいっきに函館まで南下する。 帰省ラッシュのあおりか、自由席は人と荷物で通路まで一杯になった。俺はかろうじて通路側の席を確保することができた。 南千歳→函館間は行きにも通った区間である。三山木付近を除いては、 今回の日本一周でルートが重複するのはここだけ。片道は函館本線経由にしたかったところだが、 特急はすべて千歳線経由になっているので、スケジュール上やむを得なかった。 書き忘れたが、「スーパー北斗」内で「かにめし(800円)」。函館駅で「かに玉焼きそば(570円)」。 函館からは「はつかり」で青森へ。初めての青函トンネル通過とともに北海道ともお別れだ。

北海道まで来たものの、「競馬場」「牧場」「小樽の寿司」のどれとも縁がなかった。

そろそろ青函トンネルに突入って頃合いになって、ふと高校時代のことを思い出した。 高校の修学旅行は九州であり、これが生まれて初めての本州脱出だった。 自分の人生にとって大切なイベントであると自覚していたので、関門トンネルを抜けて九州に上陸した瞬間に、 新幹線の車内でひとりで静かに感動しようと思っていた。新下関を通過してからはかなり緊張して車窓を眺めていたのだが、 山陽新幹線はトンネルがむちゃくちゃ多くて「いったいどれが関門トンネルなんだ」って思っているうちに、いつのまにか小倉駅に到着してしまった。 肩透かしを食らったみたいでさみしかった。今日は親切にも青函トンネルに入る前に「今から入ります」という車内放送が流れたので、 初めての青函トンネルを気合いを入れて味わおうと思って力が入ったが、 いざトンネルに入ったら、ただ暗いだけで面白くも何ともなくて眠ってしまった。目が覚めたらもうトンネルは抜けていた。「まあ、こんなもんさ」

鯵ヶ沢の宿で夕食を食べながらおかみと話した。 「予約が入っていたお客がまだ来ないのよお、せっかくご飯作ってあんのに、裏切られたって感じ!!」 「今度22になる息子の同級生が栃木に住んでいるんだけど、 夏休みでこっちに帰省する途中、交通事故で亡くなってしまったのよ。ほんと、びっくりしちゃったわあ」初対面の俺に対して世間話をし始めた。 どうやら二日続けて宿は当たりのようである。

費用
羽幌→札幌バス代3400円、はつかり特急券(指)2350円、川辺→東能代乗車券2880円

1994年8月14日(日)
行程
鯵ヶ沢6:33(普通)9:43東能代10:03(普通)11:01秋田11:06 (快速)11:43羽後本荘13:19(普通)遊佐 14:25(いなほ12号)16:42新潟17:08(北越4号) 19:10糸魚川
できごと
「何だか最近虫が出るみたいだから、蚊取り線香置いとくね」久々に金鳥の夏を味わった。 寝坊しないようにと持ってきてくれた目覚し時計の音で、午前6時に目が覚めた。 髭を剃って歯を磨き、顔を洗って、いざ出陣の体勢を整えた。6時20分、おかみに挨拶をしようと思ったけど、どこにもいない。 おかしいと思いながら、旅館の中をうろうろしたが見当たらない。もう時間がないので、心残りがあったが宿を発つことにした。 朝食はコンビニで買った「エッグサンド(180円)」。

五能線の鯵ヶ沢から能代にかけての区間は日本海に沿って走る。 リアス式の出入りの激しい岩場の海岸線を、トンネルでショートカットすることなく、地形に逆らわず右に左に揺られながらワンマンディーゼルカーは行く。 全線にわたって無垢の天然海岸が続くものと勝手に想像していたのだが、護岸工事が行き届きコンクリートがかなり目立った。 途中に「驫木」という駅があった。読み方は「とどろき」。珍しい漢字なので写真を撮ってしまった。

能代が近づくと客も増え、岩館で俺のボックスシートに地元のおじいちゃん、おばあちゃんが座って満席になった。 県境なため、津軽弁なのか秋田弁なのかは不明だが、とにかく何を喋っているんだか全くわからない。 韓国語をちょっとまろやかにした感じの話し方だが、会話の中味はまるで理解できない。途中で3人が大声で笑った。なんで笑ったのかがわからなく、俺も笑った。

東能代から先の電車は、およそ秋田に似つかわしくない車両だった。 横向きの座席の並んだ、いわゆる通勤タイプの軽快な電車だ。車窓を眺めるには不便。 五能線の車内で、あまりにも多くの御老人を見続けてきたせいか、その反動で奥羽線に入ってからは、かわいい女の子がやけに目につくようになった。 そういえば、ここは美人どころの秋田である。

羽後本荘で昼飯。気前良く寿司屋に入って「上にぎり(1300円)」をいただく。 お盆で寿司屋も繁盛しているようで、出前用の桶がたくさん並んでいた。当の寿司職人達は、そばを出前で頼んでいて、それを昼食にしていた。 寿司は食べないらしい。

遊佐という駅から特急で新潟に向かう。すでに帰省のUターンが始まっている様子で車内は混んでいる。 後ろの方で電車に飽きた子供が騒ぎ出した。「もう東京??」と聞く子供に対して「もうすぐよ」と答えている。 おいおい、まだ新潟にも着いていないのに…。親もなだめるのに一苦労だ。 あの子供を見て、こういう経験をへて、みんな鉄道の旅行が嫌いになっていくんだなあとしみじみ思った。 今日は糸魚川に泊まる。二日続けて「魚」篇のつく地名だ。もちろん偶然。そういえば新潟で「玉子そば(380円)」を食べた。

費用
いなほ特急券1650円、北越特急券(指)2760円

1994年8月15日(月)
行程
糸魚川8:03(普通)10:34金沢11:05(普通)12:33福井12:41 (普通)14:37長浜14:38(新快速)15:44京都
できごと
当初の予定では、金沢富山から特急で一気に京都まで戻ってくるつもりだったが、 帰省のUターンラッシュで特急は込みそうだったので、鈍行列車を乗り継いで帰ってきた。 調べてみたら、鈍行でもむちゃくちゃ時間がかかるというほどでもなくて、結果的に窓側の席に座ってこれたのでよかったと思っている。 ただし、途中で抜かされた「雷鳥」や「しらさぎ」の車内をちらりとみたところ、特急も結構空いていたように見えたのだが、まあこれは目の錯覚としておこう。

親不知(おやしらず)」「石動(いするぎ)」「倶利伽羅(くりから)」「動橋(いぶりはし)」などの難読・珍駅名もあって、 結構退屈しなかった。こういった駅名の標識をじっくりと眺められるのも鈍行列車の醍醐味である。 各駅停車の電車ではあるが、走りだせばかなり高速で飛ばす北陸路。「越中」を過ぎ、「加賀」を越え、「越前」を抜けると懐かしの関西も目前である。 おっと、西尾に言わせれば、「加賀」はすでに関西なんだよなあ。 敦賀で特急に抜かれるために19分も停車した。 その間を利用して駅弁で昼食。「鯛ずし(800円)」。そう言えば、朝食は「モーニング(500円)」を食べていたことを遅ればせながらここに記します。 木ノ本高月などのなじみの地名を聞けば長浜はもう目の前。 14時37分定刻に長浜に到着した。わずか1分という抜群の接続で新快速に連絡しているため、急いで乗り換えた。 席をさがしているあいだに列車は発車し、座ったころにはもうとっくに駅構内を過ぎていたので、久々の長浜との対面もあっけなく終わってしまった。 俺の持っている道南ワイド周遊券は名古屋発のものであるため、米原→京都間は区間外になる。 そこで車掌から別途乗車券を購入した。長い間お世話になった周遊券の旅は、米原で終止符を打ったことになる。ご苦労さん。

京都から近鉄に乗って三山木に帰ってきた。帰ったというより、寄り道というのが正確か?。 部屋に入るなりすぐに洗濯。あれ??、おかしい。靴下が一組残っていた。間違えて同じやつをはいた日があるということだ。 今日の晩飯は、旅の途中であることをしっかりと自覚するために、京都駅で買ってきた駅弁ですませることにする。「さんまの柿の葉すし(1030円)」。 今は午後7時50分。いつもなら宿のちゃぶ台で書き記すこの旅日記も、今日は部屋の机でテレビを見ながら書いてます。

費用
米原→京都乗車券1090円

1994年8月16日(火)
行程
京都8:40(新快速)10:16姫路10:53(ひかり35号)11:18岡山11:28 (普通)12:45尾道13:27(普通)15:35岩国15:46(普通)18:58下関
できごと
今日の旅程にはどうしても気合いが入らない。 京都から山陽本線で西に行くというルートが俺にとって馴染みのものだから、という部分も多少あるかもしれないが、本当の原因は別にあるのだ。 一言でいって「緊張感」がないのである。今日の旅程は下関まで西進するものであり、青春18切符で乗り継いでいけば確かに一日がかりである。 でも、新幹線という奥の手を使えば、昼過ぎに三山木を出ても、じゅうぶん明るいうちに下関に着けちゃうので、 この必殺技があるために、早起きに気持ちが乗っていかないのである。思い起こせば、厚床の朝は6時25分発と早朝のスタートであったが、 明るいうちに紋別に行くためには、そのバスが最終バスでもあった。絶対に朝寝坊は許されなかった。それに比べると今日は何と楽なことよ…。

言い訳を終わります。今朝は予定よりも出発が遅れました。本当なら8:20発の新快速に乗りたかったのだけど、乗り遅れて次の新快速になってしまいました。 たかだか20分の違いであるけど、姫路からの接続の善し悪しがあるので、どこかで新幹線に乗らなければならなくなりました。ちゃんちゃん。 毎度のことながらチャドに吠えられながら三山木寮を出発する。なぜかしら荷物が軽く感じる。この1週間で力がついたのだろうか。 京都駅で18切符に日付印を押してもらう。速いぜ速いぜ新快速!!。須磨の浜辺もひとっ飛びー!!。 姫路で「カレー(550円)」。もっともっと速いぜひかり号!!。吉備の国までひとっ飛びーー!!。

岡山から再び山陽本線で18切符の旅を再開する。 2時間半で岡山まで来てしまった。新幹線の威力はさすがで、当初の予定から30分ほどスケジュールの余裕ができてしまった。 せっかくなので「一美の家」を見ておこうと思う。尾道は通り道。素通りするのはもったいない。 岡山から1時間20分ほどで尾道に到着。今年の夏の渇水の象徴となった高松市は、高知県にある水がめが台風のおかげで潤ったため、 今日から断水時間が大幅に短くなった。今、一番大変な場所は、ここ尾道である。1日4時間しか水が出ないそうだ。 そんな乾いた街を俺は歩いた。小学校を右に曲がったところという情報を得ていたので、楽勝でわかるかと思ったのだが、見つからない。 あほらしくも同じところをぐるぐると2周してしまった。猛暑に坂道はこたえる。「これでもう諦めよう」と思って最後に少し高いところまであがって下を見た。 「あった…。」ついに見つけた。目標物に向かって急ぐ。下りは楽だ。「あれ?、玄関に行けない!?」家は見えるけれども玄関に通じる道がわからない。 さらに一回りしてしまった。暑さで意識が薄れかけてきたころ、小学校のグランドの脇に石の棒みたいなのが立っている通りを見つけた。 私有地のように見えて、ちょっと入りにくいその通りをちらっと覗き込んでみた。ついに「一美の家」を発見した。

尾道を後にして、ひたすら西へ進む。定刻通り本州最西端の下関に到着。ホームには東京行きの「あさかぜ」が停まっていた。 夕方にはこんなところにいるのか!!。ブルートレイン。一度乗ってみたいものだ。夕食はホテルの最上階にある居酒屋で。 いろいろ食べて4000円ちょい。最後はエビ雑炊。

費用
姫路→岡山乗車券1420円、ひかり特急券1650円

1994年8月17日(水)
行程
下関7:07(普通)7:25小倉7:40(普通)9:26鳥栖9:55 (普通)11:09肥前鹿島11:24(かもめ9号)12:06諫早 12:20(島原鉄道)13:38島原外港(徒歩)島原港14:10(九州商船)15:15熊本港(産交バス)熊本17:05(普通)19:20出水
できごと
青函トンネルを歩いて渡ると捕まるが、関門海峡には歩いて渡れるトンネルが通っている。 所要時間5分、料金260円という船の便もある。両方とも興味ある九州入りの方法だが、今回は時間の都合で割愛。 JRで関門海峡をくぐり、3度目となる九州の旅が始まった。

小倉からの電車は8両の比較的長い編成。この列車は朝の通勤電車であり、博多方面へ向かう客で車内は混み合っている。 夏休みが終わった会社も多いようだ。隣のボックスの集団は夏休み中の旅行の話をしていた。 中のひとりが北海道旅行をしたらしい。帰りに広島空港で降りて寄り道をしたとのこと。このルートと一部重複している。

吉塚博多でかなりの客が降り、車内は空いた。 列車も後部4両を切り離し、ローカル線の電車に様変わりして博多を出た。鳥栖駅で朝食。「かしわそば(280円)」。 鳥栖で長崎本線の列車を待っている間、地元の女の子達が駅で偶然に出会ったという光景に出くわした。 そのときの彼女たちの「何かおかしか〜」という森高弁を耳にしたとき、九州にいることを実感した。

長崎本線は単線区間が多く、上下線の待ち合わせでしばしば長時間停車する。暇だなあと思って、これまで書いた旅日記を読み返してみた。 けっこう面白くて、懐かしがりながら読みふけってしまった。 JR九州は特急に力を入れているようで、変わった外形の電車が多い。 肥前鹿島からの「かもめ」もそんな電車で、車両の真ん中に出入り口がついているという変わり種。

諫早からの島原鉄道については、今どこまで復旧しているのかよくわからなくて、行き当たりばったりのつもりでやってきた。 駅員に聞いたら「島原港まで走っています」とのことだった。そこから先はバスが代行しているそうだ。 「切符はどこで買うの?」と聞いたら「車内でよかとですよ」との返事。1時間ちょっとで外港到着。船を待ちながら「冷やしソーメン(350円)」。

この後の行程は、島原湾を船で渡って熊本港に向かい、バスで20分でJR熊本駅へ。 そこから電車に乗って夕方6時過ぎに出水入りする予定であった。 このスケジュールはかなりきつきつのもので、言葉を変えれば、絶妙な乗り継ぎの連続であったわけだけど、こういう時はどこかが崩れてしまうのが世の常。 今回は船にやられてしまった。そろそろ熊本港に着くというころ、船が速力を落とした。 船内放送が入り、それによると「熊本港が今つまっております」とのこと。「そんなのありか??」って思ったけどやむを得ない。 港の外では、じっと停まって待っているものかと思ったけれど、ぐるぐるその場で回りながら待機していた。 船室にいると、景色がどんどん変わっていって愉快だったけれど、外から見たら結構あほっぽいのではないだろうか。

結局30分遅れで着岸し、乗る列車は当初の予定よりも1時間遅いやつになってしまった。前回の旅行で駅寝した熊本から再びJRの客に。 鹿児島本線で八代を通る。内田百閧ェ何度も訪れたところだ。 八代からの単線区間で、上りの団体列車とすれ違った。ドアのところの札によると、鹿児島県にある樟南高校の甲子園応援列車のようだ。 これからはるばると神戸まで向かうのである。 午後7時20分に出水着。この時間でもそこそこ陽が残っていて、さすがに西へ来たなあと感じる。 夕食は熊本駅で買った「あやめ弁当(700円)」をホテルの部屋でとった。

最後に有明海に浮かぶ船の上から見た雲仙普賢岳の感想。かなり離れた位置からも、土石流のトレースをはっきりと肉眼で見ることができた。 海辺まで押し寄せた土石の固まりは、ニュースでよく見かける立体模型のごとく、そのまま残っていてスケールを感じさせた。 一応写真を撮ったけれど、迫力は伝わらないだろう。

費用
肥前鹿島→諫早乗車券800円、かもめ特急券600円、諫早→島原外港乗車券1170円、島原港→熊本港船代580円、熊本港→熊本駅バス代410円

1994年8月18日(木)
行程
出水6:43(普通)8:44西鹿児島9:12(快速)10:01指宿10:25(普通)10:31山川10:50(JRバス)11:25開聞駅 11:47(JRバス)12:21山川12:35(普通)12:42指宿(徒歩)指宿港14:45(南海郵船)16:05鴨池港 (徒歩)郡元(鹿児島市交通局)西鹿児島17:14(普通)18:06国分
できごと
一番最初に立てた日本一周のルートでは鹿児島はさっと通り過ぎるだけであった。 が、予定を組んだあとでそれでは桜島に対して失礼ではないかという思いがよぎり、後からつけ加えたのが今日の行程である。 結局素通りするどころか、今日は一日中鹿児島県内を移動することになった。

出水駅で18切符に日付印をもらう。ところが、駅員が間違えて1ヶ月後の9月18日の印を押してしまった。 日付印ってここではめったに使わない印なんだろうか…?。ホームに立つと山の方からラジオ体操の音楽が聞こえてきた。今日もすがすがしい一日でありますように…。 今日の予定はJRで伊集院へ行き、バスで枕崎に抜ける。 枕崎からは薩摩半島の南の縁に沿った道をバスで走り、指宿からは高速艇で桜島に挨拶しながら、鹿児島市内へと入るという結構面白そうなルートになっている。 以前駅寝でお世話になった枕崎駅との再会も楽しみである。

ところが……である。すがすがしい朝を迎えたはずだったのに、出水からの列車の中でウトウトしてしまった。 はっと思って目が覚めた瞬間に見たものは、無情にも遠ざかっていく伊集院の駅名標であった。 「さあて、どうしようか」鞄の中から時刻表を取り出した。隣の薩摩松元で降りて、伊集院に引き返しても枕崎行きのバスには間に合わない。 このバスに乗れないと後の日程がガタガタに崩れてしまうので、大幅なルートの変更が必要であることがわかった。 とりあえずこのまま西鹿児島まで行くことにして、その間に行程の組み直しを試みた。 残念ながらうまく枕崎まで辿り着く方法が見つけられず、枕崎駅のベンチとの再会は諦めることにした。 悲し〜い。結局、開聞岳の麓までの往復し、薩摩半島の東側を巡ることにした。

指宿までの快速はきれいな列車。JR九州って車両の改善に相当力を入れているようで感心する。 窓が汚れていたのがちょっと不満な点ではあるけれど、桜島の火山灰が降りつける土地柄では仕方がないことなのかもしれない。 指宿駅のホームで、西鹿児島で買った駅弁で朝食。 「幕の内弁当(800円)」忍者の合い言葉のような山川という名の駅からはJRバスに乗る。

バスは長崎鼻という景勝地を経由して開聞岳の麓の北側を進む。 長崎鼻ではちょっと降りてみたい衝動にかられたけれど、そういった余裕ある計画になっていなかったので諦めた。 JR開聞駅でバスを降りた。指宿枕崎線は指宿までは運転本数も多くて、なかなか賑やかであるが、 そこから先は運転本数がぐっと減り、ローカル色がさらに濃密になってくる。ここ開聞駅も廃虚のように静まりかえっており、 レールの表面も赤褐色に錆びていた。開聞駅のそばで20分ほどぶらついてから、枕崎方面からやってきたバスで山川に戻る。 こいつは伊集院で寝過ごさなければ枕崎から乗っていたはずのバスなのである。

開聞岳は薩摩富士と呼ばれるだけあって、さすがにきれいな円錐形をしている。 今日は気持ちの良いくらい晴れわたっているため、てっぺんからすそ野まで丸見えである。 晴れの日でもどこかに雲がかかってることが多いそうで、ここまでくっきりと姿を見せるのは珍しいとバスの運ちゃんは言っていた。

指宿で昼飯。さっきのバスで鰻池というバス停があったので、名物かもしれないと思って鰻屋で「うな重(1200円)」を食べた。 鰻池って鰻がとれる池っていう意味だろうなあ。単に形が鰻みたいに細長いってのが由来だったらショック!!。

指宿駅前のロータリーにちっぽけな石碑が立っていた。そこには、指宿駅と稚内駅が最北端と最南端の縁で姉妹駅になっていると記されていた。 「稚内は6日前に通ったんだとなあ」と指折り数えながら、ちょっとした感慨にふけった。指宿枕崎は3074km離れているそうだ。

指宿港の待合室は、樟南高校のミニ応援団と化していた。 客待ちのタクシーの運ちゃんと、数人の船を待つ客が、待合室でテレビを見上げながら熱心に声援を送っている。 「打った」とか「取った」などの単純な応援ではない。「守備位置がどうの」とか「次のカーブを打て」などとなかなか細かい。 さすがに野球熱の高い土地柄だと思った。結果的に樟南高校の決勝点となった2点目が入ったころ、 港に屋久島、種子島からの船が着岸したため、運ちゃん達は名残惜しそうに仕事に戻った。

西鹿児島から日豊線に乗り宮崎方面に向かう。西鹿児島から2つ目の駅は竜ヶ水である。 竜ヶ水といって思い出すのは、昨夏の大雨で崩れた土砂が列車を飲み込んだシーン。 あの土砂崩れを起こした区間はまだ工事中で、列車は徐行運転をしていた。昨日の島原といい、何だか被災地巡りをしているみたいだとちょっと思った。 せっかく船まで乗って桜島見物をしたけれど、日豊本線から見た姿が一番美しかった。夕飯「じゃんじゃん定食(950円)」。牛肉。

費用
山川→開聞駅バス代380円、開聞駅→山川バス代380円、指宿港→鴨池港船代1390円、郡元→西鹿児島路面電車代160円

1994年8月19日(金)
行程
国分6:30(普通)7:18都城8:29(えびの2号)10:24人吉11:11(くまがわ鉄道)11:55湯前(JRバス)停留所不明 (徒歩)湯前12:40(くまがわ鉄道)13:25人吉13:33(普通)14:46八代15:00(普通)15:40熊本 15:49(普通)17:29宮地17:51(あそ5号)19:25大分
できごと
今日、ついにこの日がきた。「高原(たかはる)」との対面である。 都城での待ち時間に食べた「ジャムパン(90円)」もなかなか喉を通らないほどに緊張している。時間がきて「えびの2号」は出発した。 最初の停車駅である高崎新田を出ると、つぎはいよいよ高原だ。 車内放送が告げる。「つぎは、たかはるです」キャ〜!!恥ずかしい〜〜〜!!!。駅に停車する直前に駅名標がちらりと見えた。 漢字はともかく、ひら仮名とローマ字が照れくさい。ホームに降りてじっくりと写真を撮りかたったのだが、1分停車では深呼吸するくらいの時間しかない。 発車の際にホームの先の方に、もうひとつ駅名標があるものと思って、窓越しにカメラを構えて準備していたが、残念ながらもうなかった。

吉松で進行方向が逆になるため3分停車。ホームの駅弁売りから「栗めし(700円)」を買う。栗の形をしたかわいい容器に入った弁当だ。 肥薩線の吉松→人吉間はスイッチバックやループ線がごちゃごちゃとあって面白い。 4個のスイッチバックに1個のループ線が組み合わさった中に3つの駅があるという複雑さだ。 スイッチバックやループ線を駆使したおかげで、相当の標高まで登りつめたようだ。こんなところからも桜島を拝むことができて驚いた。

人吉に定刻に到着。人吉駅のホームは、球磨焼酎の看板で埋め尽くされていた。でも、俺は焼酎は苦手だ。 ここからは、くまがわ鉄道で湯前に出て、霧島の秘境をバスで抜けて宮崎入りする予定である。

湯前でJRバスに乗り込む。よほどの急カーブでも途中にあるからか、駅前で待機していたのはかなり小型のバスである。 運転席の左上にある料金表に不思議な注意書きがあった。「6は六、9は九です」これどういう意味??。しかし、そんなことを面白がっている場合ではなくなった。 発車直後、バスの運ちゃんが「念のため」といった感じで「宮崎までの道に、土砂崩れの不通箇所があるので、村所までの折返し運転をしている」と放送したのだ。 「なに!!!!」俺はすぐさまバスを降りた。椎茸栽培とかをやってそうな村所は、宮崎の秘境って感じでどんなところか行ってみたい気もするけれど、 夏休みは明後日まででもう残り少ない。時間のやりくりを考えると、村所までの往復といったような寄り道はしてられないのだ。 バスを降りて湯前駅まで戻り、次善の策の検討に入った。昨日に続いてのルート変更である。

高千穂方面に抜けられないかとも思ったが、この辺は交通網が希薄で無理であった。結局、熊本まで戻り、阿蘇を突き抜けて大分に出ることにした。 くまがわ鉄道で再び球磨焼酎の人吉に戻り、肥薩線で八代に抜ける。人吉→八代間は、球磨川沿いを列車は走りなかなか見ごたえがあった。 スイスにいるような錯覚をしたほどだ(うそ)。内田百閧フ八代、駅寝した熊本を通り、熊本からは豊肥本線で大分方面に向かう。 そういえば、八代の駅名標を見ていたら八代亜紀を連想し「雨雨ふれふれ」が頭をかすめたのだが、 そう思ったうちに本当に雨が降り出して、熊本に着いたころには本格的な夕立になったのには驚いた(ほんと)。

豊肥本線にも、阿蘇に向けての登りの途中にスイッチバックがあった。宮地からは特急「あそ号」の客になる。 ここからしばらくは、阿蘇の厳しく刻まれた崖の縁を列車は走る。すごい崖だ。世界一のカルデラ火山の貫禄を感じることができる。 車を使ってしかるべきところに行けば、さらに雄大な阿蘇を見ることができるのであろうが、鉄道の車窓からでもこれだけ楽しませてくれれば満足である。

19:25分大分着。ここでも駅寝をした思い出がある。あの時は、大分で殺人事件がおきたばかりだったので、ベンチで寝ていたら職務質問を受けたものだ。 もう駅寝は卒業したので、今日はホテルに泊まる。ビジネスホテルなのだが、各部屋まで温泉の湯がきているホテルだった。 大分にはこういったホテルが結構あるようだ。ニュースで柳ヶ浦高校ベスト4進出を報じている。 行く先々の高校が勝っている感じがする。晩飯は「チーズバーガー、ベーコンレタスバーガー、ポテトS(700円)」

費用
都城→人吉乗車券1760円、えびの急行券720円、人吉→湯前乗車券640円、湯前付近バス代130円、湯前→人吉乗車券640円、宮地→大分乗車券1760円、あそ特急券900円

1994年8月20日(土)
行程
大分8:42(普通)8:54別府(徒歩)別府国際観光港9:45(宇和島運輸)12:15八幡浜港(伊予鉄バス) 八幡浜13:04(宇和海9号)13:37宇和島14:24(普通)16:43窪川16:55(南風16号)17:22須崎17:43(普通)19:11高知
できごと
「モーニング(500円)」の朝食をとって大分を後にする。大分を出た日豊本線の各駅停車の列車は別大マラソンのコースである大分湾沿いを走る。 西大分東別府と停まり、約10分で別府に到着。大分別府は隣り街である。 温泉の別府らしく、別府の駅名標には温泉マークが添えられていた。

別府国際観光港というしゃれた名前の港から、宇和島運輸の船は豊後水道を渡って愛媛県八幡浜へと向かう。 これで九州ともお別れだ。

九州まで来たものの、「小倉競馬場」「博多の屋台」「長崎ちゃんぽん」のどれとも縁がなかった・・・。 あれ?どっかで聞いたようなセリフ!!。

船では、ちょっと景色を眺めたものの、大半の時間は二等客室のカーペットの上でゴロリと寝っころがっていた。 ウトウトしていたので2時間半の船旅はあっという間であった。時計を見たらすでに正午。 朝がいつもよりも遅かったせいもあるが、今日は何にもしないうちに昼になってしまった気がする。 八幡浜の港からJRの駅までバスで移動し、特急「宇和海」で宇和島入りを果たす。 腹が減りまくっていたので、駅前のラーメン屋で「ラーメン&餃子(850円)」うまくなかった。

四国のJRの線名は、またがる旧国名の漢字を1文字ずつとって組み合わせたものが多い。 例えば、「伊」&「岐」で予讃線、「佐」&「岐」で土讃線など。 これらは特急が走るような幹線であるが、それに対してこれから乗る「伊」&「佐」の予土線は、かなりさびれたローカル線である。 バスのような1両編成のワンマンカーが、76.3kmを2時間半近くもかけて走るのである。宇和島江川崎間はわりと退屈な田園風景を行く。 江川崎で16分停車。運ちゃんが「トイレはここですませて下さい」と言う。この列車にはトイレがないのに気がついた。

江川崎から先は、懐かしの四万十川を十分に楽しんだ。昨年、西やんと車の中から眺めた「最後の大河」を、今日は一段高い鉄道の車窓からのぞむ。 昨年は、大雨のため濁流と荒れていた四万十であったが、今日の流れは澄んでいる。 昨年ここを通ったとき、子供が激流に呑まれた事故がおきて、サイレンが鳴り響いたのを思い出した。 四万十川はなかなか気まぐれな川で、時折シケイン並みの蛇行をする。そういう場所で川に沿ってレールを敷いていては、ぜんぜん前に進めない。 こういうときは、金はかかるけど、鉄橋とトンネルの連続で直線で突き抜けてしまうのだ。 何度も続けて川を直角に横切ってくれるので、車窓風景は風変わりで面白くなる。

窪川から「南風」に乗っていけば、6時前には高知に着けるのだが、18切符を有効に使うために須崎で乗り換えた。 須崎高知間は特急だと30分ちょっとだが、鈍行だと1時間半近くかかる。 この差は、停車駅数の違いによるものもあるが、単線によるすれ違いのための待ち時間の分がかなりあるようだ。 特急と鈍行がすれ違う場合、先に鈍行が到着して、特急のお通りを待つというタイミングになるようにダイヤが組まれているらしい。 普通列車は5分、10分当たり前で停車する。高知で夕飯。「よさこい御前(2500円)」最後の夜は少し贅沢をした。

費用
別府→八幡浜船代1740円、八幡浜港→八幡浜駅バス代130円、八幡浜→宇和島乗車券560円、宇和海特急券500円、土佐くろしお鉄道180円、窪川→須崎乗車券470円、南風特急券500円

1994年8月21日(日)
行程
高知8:00(高知県交通)11:15甲浦12:14(阿佐海岸鉄道)12:24海部12:26(うずしお14号)14:00南小松島 (バス)小松島港14:20(南海フェリー)16:20和歌山港(南海電車)難波
できごと
いつもと同じように目が覚め、いつもと同じ食欲で「朝食(500円)」をとり、いつもと同じすがすがしい気分で宿を出た。 でも何かが違う。そう、今日は日本一周旅行の締めくくりの日。旅は今日で終わりである。今までは気分に任せてその日の宿泊地を選ぶことができた。 でも、今日は帰らなければならない。三山木寮に向けてのラストスパートが始まった。

高知からのバスは、室戸岬を経由して徳島と高知の県境の甲浦(こうのうら)まで走る。 四国の南東部を海に沿ったコースどりは、まさに俺のために走ってくれているかのようである。 ここら辺は、昨年の四国旅行で行きそびれた部分なので、このバスの存在は二重の喜びである。 高知から室戸岬へ向かうコースで、しかも今日は日曜日。観光客が多いかと思っていたけど、ほとんどが地元の客であった。 途中乗り降りがあって、室戸岬まで行ったのは4人だけであった。室戸岬で2人降りて、室戸岬ホテルで従業員と思しきおばちゃんが下車したら、 客は俺ひとりになってしまった。まともな利用者はいなくなってしまったことになる。 室戸岬って先っぽは崖になっているんだろうと勝手に想像していたけれど、実際は単なる岩場の磯といった感じで、足摺岬と比べるとその景観は地味であった。 好みは別にして、これが国立公園と国定公園の差なんだなあと思った。

甲浦からは特急「うずしお」号で、小松島港の最寄り駅である南小松島まで行く。 この甲浦南小松島間は、列車を乗り換えることなく一本で行けるのだが、 鉄道の経営の方は甲浦から2駅先の海部までは第三セクターの阿佐海岸鉄道で、そこから先がJR四国になっている。 阿佐海岸鉄道とJR四国は仲が悪いのであろうか、甲浦では海部までの切符しか売ってくれない。

それにしても、ここ甲浦駅の周りにはまったく何にもない。ここが鉄道敷設の目的地であるとは到底考えられない。 阿佐は「波」&「土」を意味することから、 最終的には今バスで通ったルートで高知まで延長しようという野望のもとに敷設されたいうことは容易に想像できる。 もうお昼なのでお腹が空いた。駅のお守りをしているおばちゃんに「近くに食事するとこないですか?」と聞いたら「ないんだよねえ」というさびしい返事。 しょうがないので、腹つなぎのために駅の売店でバームクーヘンを買ったら、おばちゃんがお茶を入れてくれた。 実はこのおばちゃんは、駅の売店店員、切符売りの駅員などの駅の仕事のすべてをこなしているのであった。 ついでだから、暇を持て余している日本一周旅行者の話し相手もやってもらうことにした。

俺「この鉄道って、この先まで伸ばすんですか?」
お「行かんと思うよ、はっきり言って」

明快な返事である。ここまで乗ってきたバスの乗車率を考えれば充分に納得がいく。 発車時刻が近づいたのでホームにあがった。3両編成のディーゼルカーもはみ出してしまう、短いホームの甲浦駅であった。

南小松島に「うずしお」が着く時刻と、小松島港から船が出る時刻の間に20分しか時間がなかったので、乗り継ぎにちょっと気をもんでいたのだが、 バスがきちんと接続していた。フェリーは南海系列なので、四国から難波までの切符が通しで買えたのにはちょっとびっくり。 フェリーの中の2時間は、高校野球の決勝戦を船内のテレビで観戦して燃えさせてもらった。「鯛ずし(1000円)」の昼食。 難波で「カレー(570円)」の夕食。三山木寮に戻ったときには、すでに日は落ちていた。

終わった…。でも、まだ何の実感も湧いてこない。 この16日間、あっけなかったような気もするけれど、初日の紀伊半島を迂回して実家に帰ったあの頃のことは、もうずいぶん昔の思い出のような感じでもある。 まだ体の中に、バスや鉄道や船の余韻を抱え込んだままでいる今、旅の総括をするなんてどだい無理な話かもしれない。 でも、曖昧な印象の中でもはっきり言えることは「行ってよかった〜〜〜本当に」。 日本一周は終わっても、そんなこととは無関係に、朝6時25分厚床発のバスは無人の根釧台地を行き、 6時50分羽幌発の沿岸バスはコンパニオンを乗せて走り続ける。当たり前のことなんだけれども、それがとても不思議な感じがしてならない。 (完)

費用
高知→甲浦駅バス代3900円、甲浦→海部260円、海部→南小松島乗車券1260円、うずしお特急券1130円、南小松島駅→小松島港バス代130円、小松島港→難波2940円