NIKKOREX F


   後期タイプの裏蓋はフイルムインジケーターが
無くなりシンプルなルックスになっている

ニコレックスFは、それまでのニコレックスとは異なり恐らくニコンとしては初めて社外から調達(いわゆるOEM)したものであろう。当時のニコンはFのような高級機を作る技術には長けていたが安く作るノウハウが不足したらしい。だが、市場からはFの廉価版(発売当時50ミリF2付きがFの67000円に対して、こちらは39800円)でを求める声が多く、それに応えるべくマミヤからボディーを調達したようだ。
では、何故マミヤから調達したのかというと、その背景には米国の代理店の力が働いていたようだ。1957年8月マミヤはエーレンライヒ社と代理店契約を結んでいるが、ニコンも米国内の販売においては同じく同社と契約を結んでおり、ニコレックスの生産は同社の強い要望でもあったという。それらのことからニコレックスがマミヤから供給される運びとなったものと思われる。なお、当時マミヤは米国内においてシアーズやアーガスのブランドでもOEM供給している。



当機に搭載されているコパル製縦走り金属膜フォーカルプレーンシャッター、コパルスクエアI型は当時コニカ、マミヤ、コパルの3社共同で開発されたらしいのだが、前記のようないきさつでニコレックスに初めて搭載されることとなったが、他にはコニカFSにしか搭載されておらず、なぜかマミヤ製カメラには搭載されていない(こちらの謎については良く分からない)。単純な推測をするとコスト的にマミヤブランドしては搭載が見送られたのかも知れない。私がそう推察するのは、ニコレックスの意匠をみるとけっして安物を作ったと感じないからだ。巻き上げレバーにしろセルフタイマーのレバーにしろ複数の行程を必要とする加工になっているし、誰でも分かる部分としては裏蓋にフイルムインジケーターまで付けられている事だ。以上のことからなるべく高級感を出す仕様で作られたのだと思う。
しかしながら、ニコレックスの販売は振るわなかったので、ここに紹介する後期の生産品ではFに似せるべく裏蓋のインジケーターを省き、レバーも形状を似せたらしい(でも、実質的にはコストダウン)。


他のニコン機と大き異なる特徴としてレンズ着脱レバーの位置が
唯一マウント右下にある


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 製 造 国
 日  本
 形式・タイプ
 35mm 一眼レフカメラ
 画面 サイズ
 24x36mm 
 シャッター
B, 1, 1/2, 4, 8,15,30, 60,125, 250, 500,1000 
M, X接点(1./125以下同調)、セルフ付き

コパル スクエア I型
 ファインダー
 ペンタプリズム式一眼レフ
 製造年度
 1962年
 メーカー
 Mamiya
ニコンのサイト によると、当機は後期生産バージョンになるようだ。その特徴として、上の写真のように裏蓋にフイルムインジケーターがない。またフイルム巻き上げレバー、セルフタイマーレバーの形状も異なる。一説にはFに似せようとしたとも言われるが、加工の度合いからみるとコストダウンの一端ではないかと思う。

いずれのレバーも初期型では指のあたる部分に段差があり、その部分がクローム仕上げになっている。後期モデルではご覧のようにフイルム巻き上げレバーは指当て部分に多少の滑り止めのギザギザがついているものののぺっとしている。一方のセルフタイマーレバーも前期と比べると安っぽくなっている。
ただ、生産量は後期の方が少ないようでニコンのサイトの筆者は見たことがないと記している。

 なお、同じくマミヤ製の兄弟機としては他にリコーシングレックスがある。当時のリコーはまだ技術的にフォーカルプレーンシャッター機が作れなかったが輸出向け需要からマミヤに発注したらしい。要するにニコレックスもシングレックスも海外マーケットからの要請でOEM生産されたものの結果的には失敗に終わったよい例である。

ただ、ここで唯一光っているシャッターだが、これは当時世界的に見ても画期的な技術であった。そして、これを初めて搭載したカメラが共同開発した3社ではなく、このニコレックスというのも興味深い。
なお、当時この技術に着目したのが旧ソ連で1964年にコパルは対ソ連シャッタ技術輸出契約調印している。