オーディオ独り言

なぜこんなページを作ったか
・機器を冷やすより、頭を冷やした方が良いのでは?
・今の時代に鹿皮偏重というのはどうか?
ビスコロイドって何者だ(その正体をさぐる)?
・ウェスタンの箱って、そんなに凄いのか?
音楽的ってどんな音なんだ?
電源の強化というが、元は大丈夫なのか?
振動は悪か
抵抗は少ないほど良いのか?
オーディオ趣味の衰退
音に包まれたい?
部屋もエンクロージャーじゃ
・ローファイだっていいじゃないか
周波数特性って重要ですか
ベストバイは本当に良いのか
真空管の音は温かいか?
もっとも進歩していない音の入口と出口
・いまさらながらデジタルvsアナログ
・CDの音は出し切れているのか?

なぜこんなページを作ったか
私の中学・高校時代に学生が欲しがるものの上位にはステレオが入っていたものだが今ではランク外だそうな。そのせいか最近ではオーディオというと低価格のミニコンポが主流になっているようだ。だが、一方ではマニア層が高齢化したことと関連があるのだろうか、単品オーディオは目が飛び出るほどの金額のものが売れているそうだ。かつて自分がオーディオに夢中になっていたころから四半世紀、その間の技術の進歩は凄まじいはず、さぞや凄い音が聞けるのではないかと期待して久しぶりにオーディオショップに出向いてみた。どうせ聞くならとハイエンド・コーナーにて総額1000万円ほどのシステムを聞いてみたのだが、期待は見事に打ち砕かれた。いや、けして負け惜しみではなく酷かった。後日、友人にその話をすると彼も私と同じような経験を他の店でしたそうだ。しかも彼は、あちこちの店を回って聞きまくったそうだ。しかし、好みの音はどこでも得られなかったという。もしかすると僕らの耳が懐古主義になっているのかも知れない。それにしても、いまの製品では好みの音を得られないことは事実のようだ。
そんな時に、ふと思い出したのが「40万の法則」という理論である。ご存じない方もいらっしゃると思うので簡単にご説明しよう。最初に誤解のないように申しあげておくが、これはけしてハイファイの理論ではない。人間がどのように音を認知するかという実験を行った結果である。結論からいうと、再生する周波数帯域の下限と上限を乗じたものが40万に成る時に人間はその音を心地よく聞けるというものだ。言い換えるなら受け容れやすいということが言えよう。例えば20〜20000ヘルツならちょうど40万、また50〜8000ヘルツでも40万になる。この理論に依ればどちらも心地よい音になる。何を言いたいかというと、数値上どんなに優れた装置でも生の音には叶わない。逆に数値的にはたいしたことがなくても実に心地よい音というのもあるということだ。事実、前述の最先端高級機は僕らの耳には心地よくなかった。
そこで、古いオーディオを再びセットし直して聞いてみたら、やはり自分にはこちらの方が心地よかった。ただ、CDはさすがに衰えがきているのか盤により読みとれないものがあったので新しいものを購入した。すると、どのCDを聞いても高域がいまいち心地よくない。巷で評判の機種なのにどうしたことか、やはり安物はだめなのか。買い換えようかと思いながらネットを検索していたら、なんと同じ機種を改造する記事が2つもあるではないか。そして、内容を見ると改善効果というのが正に僕が望んでいるものではないか。早速試してみたところ、見事に改善されたではないか、かかった費用は千円以下で時間はわずか10分だ。これだからオーディオは面白い。
そうこうするうちに、スピーカーに興味が湧き、そしてフルレンジが一番だと確信した。そういえば自分がメインで使用してきたスピーカーもフルレンジが多かった。ところが、現行品のフルレンジでそこそこ鳴る製品といったらタンノイくらいしか思い浮かばない。それならば、ユニットを探してきて自分で箱を作ったらよいではないかとなり、気が付けばユニットだらけということになってしまったのである。そこで、せっかくだから同じような趣味をお持ちの方がいらしたら、少しでも参考になればとHPにて紹介することにしたわけである。勿論、評価はすべて個人の好みであるので僕にとって心地よい音が貴方にとっても心地よいかはわからない。だが、ポピュラーな機種も取り上げているので、それらに対する僕の評価とその他の機種を相対的に見ていただければ、ご自身の好みに対してどうかが多少はみえてくるかもしれない。
なお、どれも古い製品なので資料が少なく分からないことだらけの現状のため、もしこのサイトをご覧の方で詳しい資料をお持ちの方がいらしたらご一報下さると非常にありがたい。
・機器を冷やすより、頭を冷やした方が良いのでは?

グレードアップという言葉があるが、大きく分けると上位ランクの製品に買い換える方法とパーツやアクセサリーを交換する方法の二つがあるように思う。当然ながら、前者はお金こそかかるが効果は大きく確実だ。一方後者は、効果をあげるのは難しいがプロセスを楽しむという意味では楽しみは前者よりもむしろ大きいかも知れぬ。
ところが最近この世界がかなり怪しくなってきているように思う。最近に限らず怪しいものは昔からあったのだが、最近のものは価格が冗談では済まない額になっている。そのひとつにクライオ処理というのがある。線材を作る工程で行われるのならば理解できるが、製品になったものを処理するというサービスがある。しかも、プラグやコネクターだけでなくアンプからプレイヤーに至るまで何でも処理すると言うから驚きだ。そんなもの超低温で冷やしたら壊れてしまうのではないか? と思ったら、処理温度は企業秘密とやらで明らかにできないという。まあ、クライオの定義自体も曖昧なのである程度の低温状態におけば処理したと言ってもよいのかも知れぬ。だが、製品の物性まで変化するというのは詐欺紛い商法としか言えまい。ちなみに、処理したかどうかは見た目には全く分からないし証明することも不可能だ。業者は音を聞けば一目瞭然と言うが、ぜひとも公開でブラインドテストを行って欲しいものだ。
そんな怪しい製品が巷に溢れており、価格も目の玉が飛び出るほどの金額で売られているが、不思議と被害者というのは居ない。故に詐欺は成立しないのである。当然ながら私のような者は購入しないし、逆に購入された方々は満足しているのだろう。これ以上高いものは無いというほどの超高級品を手にして、更にお金が余っている方が更なるグレードアップを狙う場合には、このようなアクセサリー(サービス)に手を出さざるをえないのかもしれぬ。しかし、雑誌などの読者訪問記事などで、そこそこの製品に製品総額に匹敵するほどのアクセサリーを繋いでいる人を見かけることがある。それは、まるで軽自動車に本体価格以上のお金をつぎ込んで改造するのとよく似ている。たとえ100万円つぎ込もうとも、けして普通車のスポーツカーには敵わない。
何事にもバランスというのが肝心だと思う。アクセサリーに手を出すときは、クライオならぬ自分の頭を冷やしてから考えた方が良さそうだ。

今の時代に鹿皮偏重というのはどうか?

ここで改めてスピーカーエッジの役割について整理してみよう。まずは、振動板をフレームの中心に保つ支持機能があげられる。また、振動板の前後運動を円滑に行い、同時に横方向の揺れを制御するサスペンションとしての役目。これらは、振動をしやすくするための機能だが、一方で不要な振動を制御するという意味ではダンパーの役目も担う。そして、最後はキャビネット内の空気が不要に漏れないようにするためのシールドの役目も担う。このようにエッジには複数の機能を同時に満たすことが期待されている。
これだけ多くの役割を担い、もっとも負担のかかる部分なだけにスピーカーの破損で最も多いのがこの部分である。特に70年代後期から80年代中期にかけてのウレタン製のものは、所謂加水分解を起こして、ボロボロになってしまうので厄介だ。そこで、修理にあたってはこの部分を張り替えることになるのだが、その素材として一部で鹿皮が礼賛されていると聞いて驚いた。なぜならば、かつて鹿皮が用いられた時代(戦前のことだ)のスピーカーとウレタンエッヂ全盛期のスピーカーでは、設計が全く違うということである。大まかにいうと後者の方がストロークが大きいものが多く、これらのスピーカーと鹿皮の相性は良いとは思えない。それが証拠に現行品では鹿皮を使っているメーカー製品など見たことがない(職人さんのハンドメイドによる少量生産品を除く)。それなのに、鹿皮に換えることで音が劇的に良くなる、鹿皮こそがベストだ、などという宣伝文句は誤解を招く。 確かに、鹿皮に交換すれば、劇的に音は変わる。それを「変わる=良い」「劇的に変化=劇的に改善」と謳うのはいかがなものか? もし、元の音が気に入っていて(修理してまで使うのだから普通はそうだろう)、その音を復活させたくて修理したいというのなら、止めるべきだ。そうとう大昔のユニットでオリジナルが鹿皮ならともかく現代のユニットに鹿皮は合わない*注。概ね音の傾向としては、豊かな低音が貧弱になることであろう。その理由は、現在売られている鹿皮の殆どは非成型品でエッジのスタイルとしてはストレートエッヂにならざるをえない。更に、鹿皮自体は多少の伸縮性があるが、ウレタンのロールエッヂと比較したら殆どリジッド状態となり、振動板の運動を制限してしまい当然ながら、f0も上昇する。唯一、メリットとして考えられるのは、エッジ自体の固有振動が少ないので不要な付帯音が少ないことくらいか。この特性を取り上げて、低音がスッキリとして自然な響きになると称しているようだが、設計時の音とはかけ離れたものになることは確かだ。もしも、オリジナルの低音がだぶつき気味で、もっと締まりのある低音を望んでいるとしたら、試す価値はあるかも知れぬ。
元通りに修理したいのであれば、メーカーに修理に出して純正部品に交換するのがベストだ。しかし、既にメーカーが消滅したり、製造終了から時間が経っているので部品が入手できないものが多いのも事実だ。だが、最近ではサイズを伝えればほぼピッタリのウレタンエッヂが入手できる。エッヂを交換する際は、音の変化することに留意して素材を選ぶことが肝要だ。

*注:戦後まもない、まだ国産スピーカーの殆どがフィックスドエッヂだった頃、エッジ部分をナイフで切り取って鹿皮に換えるというのが流行ったそうです。当時は、エッジ部分を薄く漉く技術や、そこに塗るダンピング材も良いものが無かったのでしょう。ほぼリジッド状態のエッヂを鹿皮に交換することでエッヂは柔軟性に富み、f0は低下し豊かな低音を再生できたと言われています。

ビスコロイドって何者だ(その正体をさぐってみた)?
まさか、お菓子のビスコ(なつかしいな)を思い浮かべる者はいないだろうが、後半のコロイドから多少は察しがつくかも知れない。ところが、これほど有名なものなのに、調べてみると正体についての記述はどこにも見つからない。もともと外来品なのだから英語で検索するにもスペルがわからずにいろいろ思いつくスペルで検索したあげくに辿り着いたのはViscoloidという社名で米国化学メーカー大手デュポン社に1925年に買収され1977年までデュポン・ビスコロイド社として存在していたことがわかった。前身となったビスコロイド社は当時米国最大のセルロイド製品メーカーとして有名だったようだ。そこで、買収側のデュポンは、ビ社が生産するセルロイドの主原料ピロキシリンが目的で同社を吸収した。ここから、話が少々ややこしくなるがピロキシリンという名にピンときた方が少なからず居るかも知れない。以外と身近なところにある物質で接着剤の原料の他に最近では液体包帯(コロスキン、サカムケアなどの商品名で流通)の主原料として用いられている。ピロキシリンは別名ニトロセルロースと言い、一種の化学繊維である(詳しくはネットで検索すればいくらでも出てくる)。このピロキシリンをエタノールとジエチルエーテルで溶かして出来るのがコロジオンで前述の液体包帯の主成分だ。ちなみに、このコロジオンとはフランス人化学者メナール(Louis Menard) が1850年ころに発明し、1860年代には戦場において液体包帯として活用されたそうだ。
さて、これがどうしてエッジに塗られたビスコロイドと結びつくのか? 原料の検索とは別にアルテックの資料を紐解くとコーン紙張り替えのマニュアルが出てきた。そこには、この塗布剤の部品番号が記されており、その説明に有機溶剤ベースのドープ材とあった。そう、あの塗布材は何なのかとあちこち探した挙げ句に見つけたのがドープ材というキーワードだったのだ。始めはダンプ材などで探していたが、いまいち目的の情報に辿り着けず、あるところで見つけたのがドープというキーワードであった。ドープ材ですぐ思い浮かぶのは航空機に塗布するあれだが、同じようなものである。スピーカーにおける塗布の目的は、大きく分けると2つあり、一つはダンピング、そしてもうひとつは密閉性を保つことだ。まだウレタン等の素材が無い時代には所謂フィックスドエッジか布エッヂが主流であった。ご存じのように布は通気性があるので特に密閉箱などにおいては都合が悪い。そこでビスコロイドを塗って密閉性を上げるのである。また、フィックスドエッヂにおいては、所謂コーン鳴きを防ぐ意味でのダンピング材として使用された。なるほど、ドープ材とはよく言ったものだ。
そして、とある古いラジオの修理に関して書かれたサイトに、それはあった。エッジにドープ材としてコロジオンを塗布との記述だ。かなり遠回りをしたが、想像するにアレはビスコロイド社のコロジオン(もしくは、それに類するもの)で社名がその代名詞になったのではないかと想像する。その使用目的からいってコロジオンはその性質が当時の素材の中で最も適していたのであろう。もっとも、その後に色々な化学物質が誕生し、今やビスコロイドを塗布したスピーカーなど見かけないのは言うまでもない。エッヂ部分を薄く漉いたフィックスドエッヂが破れてしまった時は、コロスキンを塗って直して(治しての方が似合うか?)やると良い。事実、米国のある掲示板でアルテックの古いスピーカーのエッヂ補修に液体バンドエイドを使用したら調子が良かったとの記事があった。なお、乾ききって硬化してしまったエッヂは溶剤で溶かすのもよいが、思い切って切除して最新のエッヂに張り替えると低音再生が蘇ることだろう。
ウェスタンの箱って、そんなに凄いのか?

755に始まり、403A、409Bと一連のアルテック20cmユニットを鳴らすのに最適?と言われているエンクロージャーにウェスタンエレクトリック指定箱とか標準箱と呼ばれているモノがある。ウェスタンは小型のエンクロージャーは売っていなかったようなので、実際はアルテックが販売していた箱だが、アルテックファンはウェスタン直系という表現が好きなようだ。某専門店の復刻版などはペアで10万円近くもする品物だ。私は10萬も出して買う気はさらさらないが、もしも買ったとしたならば、そのありがたい金額に嫌でも良い音と評価せざるをえないのではないか?なんて思ってしまう。その箱だが、元となったのはアルテックの可搬型PA用エンクロージャー(詳しくは、こちらhttp://www.voiceofthetheatre.com/utility.cabs.1.jpg とhttp://www.voiceofthetheatre.com/utility.cabs.2.jpgを参照ください)として用意された箱の内のひとつで618という型番のものである。当時のカタログによれば、30cm、20cm兼用で使用するユニットによりBタイプとCタイプが用意されていた。それゆえに20cm用の箱としては大柄で内容積は約65リットルもある。
見かけは何の変哲もない密閉箱で、昔の学校の天井の隅に設置してあった構内(校内)放送用のアレを想起させる。実際に、そういう目的の箱なのだから当然といえばそれまでだが、コノ箱にノウハウ(秘密)がぎっしりと詰まっているというのが売り文句である。それでは、その秘密とやらを探ってみよう。
材質は米松合板である。まあ、米国の昔の箱はおしなべて米松合板でできていた。それで、米松でないとダメだとか、米松こそが最良などとよく言われたものだ。ちなみに、日本では米松と呼ばれているが日本の松とは違い実際はトガサワラというものらしい(詳しくは、http://www.fuchu.or.jp/~kagu/mokuzai/56.htm をご参照ください)。なお、現在の米国製スピーカーの箱は殆どがパーチクルボードなどの材質に変わってきている。当時は合板がもっとも適した材料であり(いまでもアマチュアの自作派はそうだが)米国で合板といえば米松合板が一般的だったというだけのことで、これが日本ならラワン合板になっていたかもしれない。板厚が薄いのも、別に秘密でも何でもなく天井や壁に据え付けたりする際に軽い方が良いというだけの理由だ。
それでは、使用されている紙製の吸音材はどうだろう?この材料はキムスルという名のキンバリークラーク社製の充填材でクレープペーパーを重ねてアスファルトを染ませたもので、本来は冷蔵庫の断熱材などの目的で1933年に開発されたものだ(詳しくは、http://www.kimberly-clark.com/aboutus/kimsul.asp 参照)。こちらも合板同様に当時手に入る吸音材として最良であったというだけのこと。もちろん、その後のアルテックもグラスファイバーや最近では化学繊維を用いた吸音材を用いていることは誰もがよく知るところだ。当然ながら、キムスルは現在では製造されていないし、今ではその存在すら知る者は少ないだろう。
さて、こんなことを書いているとウェスタン・ファンからは「うだうだ言ってないで、一度聞いて見ろ、目から鱗が落ちるぞ」というような声が聞こえてきそうだ。誤解のないようにいうと、そのように満足している方達を否定しているのではない、それはそれで幸せなことだと思う。
だが、前述したように、自分はとてもじゃないが10萬も出す気にはなれない。だが、試さずに過ごすのも我が性分として納得しない。それでは、自分で再現してみようじゃないか(売ってるのだって現物見ながら再現したものなのだから)、ということで更に調べてみた。

すると、合板の厚さは4分の1インチだという。これはミリに直せば約12ミリだ。米松合板も入手可能ではあるが、いかんせん値段が高く近所では扱っていない。そこで、目を付けたのがラーチと呼ばれるものだ。ラーチとはロシアから松のことで、これを使った建材で構造用合板が売られている。値段は900x1800x12ミリ厚のものが900円前後と実に手頃だ。最近では、米国でも米松合板に替わり主流になっているそうだ。比重もほぼ同じであり叩いた時の響きもよく似ている。次に問題の吸音材だが、キムスルに拘るのであればダイワのワンダーボードという紙製の緩衝剤が一番キムスルに近いだろう(http://business.infoseek.rakuten.co.jp/daiwa/017306/045241/)。だが、業務用なので少量を手に入れるのは難しそうだ。もっとも、目的と効果を考えれば、なにも紙製でなくともよく、グラスファイバーならば合板同様に建材としての断熱材がある。こちらは、415x1350ミリで目の詰まった厚みのある1級のものが1枚売りで500円前後で入手できる。また、ちくちくするのが嫌ならば、観賞魚用の水槽フィルターとして売っているダクロンやポリエステルなどの綿状のものでもいいだろう。材料費は締めて3千円ほどで出来そうだ。
暇ができたら作ってみるつもりなので、作成したらまたご報告しよう。

音楽的って、どんな音なんだ?

最近いわゆるビンテージ機器の音を表現する際に「音楽的」という言葉が雑誌などの記事で多用されているのを目にする。僕は言葉に詳しくはないが、なんとも奇異な表現に感じる。
音楽のような音とはどういうことなのだろう? 例えば、「僧侶の叩く木魚が音楽的(音楽のように)に聞こえる」というような表現ならば理解はできるが、オーディオ装置で音楽を聞いているのにも関わらず、その音が音楽のように聞こえるというのは実に妙な言い回しだ。強いて、この言葉を解釈するとしたら、「(心地よい)音を楽しむというような」とでもなろうか。どうやら、通常のオーディオを評価するのと同じ視点では言い表せない時の便利な言葉として使われているように思えてならない。更に不思議なのは、音楽的と表されるものは、所謂ビンテージものでも名機と称されるものが多いことだ。要するに、ハイファイではない(現在の基準では計れない)けれど、その機器固有の魅力的な音を持っているということなのかも知れぬ。きっとオーディオ評論の世界においては、先達が評価してきた名機は改めて客観的に評価してしてはならない掟のようなものがあるのだろう。
かくいう自分も、そういうビンテージものが好きなひとりである。それゆえに「音楽的」などという言葉でかたられてしまうと、どんな音なのか想像もつかず困ってしまうのだ。アマチュアならともかく、少なくとも評論を生業としている者が使う言葉ではないと思う。

電源の強化というが、元は大丈夫なのか?

すっかり萌えやアニメオタクの巣窟と化した秋葉原だが、その一角にオーディオマニアで賑わう小さな店がある。知る人ぞしる電線専門店小柳出電気商会だ。そこに群がるオヤヂ達は皆、高額な電源コードやプラグを蘊蓄垂れながら購入していく。不思議なものだが、何故か黙って購入していく者が少ないのがマニアの世界に共通する現象のようだ。中には店員が呆れるほどの蘊蓄を垂れている客もいる。考えようによっては、このプロセスそのものを購入しているともとれる。
さて、購入した品々がどうなるかというと、手持ちの機器の電源コードならびにプラグの交換、そして電源タップの自作などで電源の強化を図るそうだ。もちろん機器の極性はきちんと合わせてあるのは言うまでもないだろうが、家庭内配線はどうなっているのだろう?と僕などは疑問を持つ。コンセントを高額な品に換えようと、そこまで通電されている電気が汚れていれば後付でいくら良い物を使用したとて良くはならんだろう。例えるなら、バカラのグラスに安物ワインを注ぐようなものだ。
日本に住む以上、冬は暖房、夏は冷房、当然ながら冷蔵庫だってあるだろう、更には天井の照明は蛍光灯ではないだろうか。それらの機器から出たノイズは電源に混入し、肝心のコンセントまで来ているのであるから、その対策を講じないと意味がない。信濃電気あたりの安定化電源を備えないと本当の効果は現れないであろう。これは、数万の投資ではとても済まない高額な投資になり私なんぞは自前のオーディオ以上になってしまう。
だがきっとあの店に群がるオヂサン達は超度級の装置に安定化電源(しかもアキュフェーズあたりのオーディオ専用品)から美しい電気を供給して鳴らしているのだろうなあと横目で見て通り過ぎた。

振動は悪か?

誰が言ったか振動をとことん抑えることが一部で流行っているようだ。漬け物を作るのではあるまいに、アンプの上に鉛のインゴッドがずらりと並びアンプが潰れてしまうのではというような光景。或いはスピーカーのバッフルにコーリアンボードを使用したり、箱全体にブチルゴムと鉛シートを貼ったりと留まるところを知らない。まあ、それで本人が満足しているのなら良かろう。それが趣味というものだ。
だが、それらの防振処理が良いものだと信じて行ったにも関わらず、一向に改善が見られないと悩んでいる人がいるとしたら何と不幸なことか。どうもこの世界、何かを施せば良くなると言われているものが多すぎる。そして、それらを鵜呑みにして行うと大変な目に遭う。
誤解のないように付け加えておくが、これらの処理に効果がないと言っているのではない。効果は確かにあるだろう。だが、はたして良い効果を生むか、その逆になるかは条件により違ってくるであろう。
ちなみに、自分は学生時代に我が家の風呂場工事で余ったタイルを小型のエンクロージャーの周りに貼り付けて10cmのフルレンジを入れて鳴らしたことがあったが、全く聞けたものではなかった(見た目には綺麗だったんだが)。むしろ、厚手のしっかりした段ボール箱に装着した方がずっと良い音がしたものだ。これはスピーカーのエンクロージャーの話しだが、振動を完全に殺してしまうと音まで殺してしまうというのが私の見解である。そして、これはアンプでもプレーヤーでも同じで外部から加わる不要な振動は抑えた方が良いように思うが、個々の機器にはそれぞれに必要なハーモニーがあるように思う。押さえ込みすぎて音が思わしくないという方は、一度全ての制振材を取り除いてみると良いかも知れぬ。

抵抗は少ないほど良いのか?

最近の製品では端子という端子が金色に輝いているように思う。また、店頭にぶら下がっている接続コード類のプラグの先も金色に輝いているモノが多い。先日ある店に買い物に行ったところ、客が店員にこう聞いていた「この金メッキのものと、そうでないものとは性能に差があるんですか?」。店員いわく「金メッキの方が抵抗が少ないので画像や音がクリアになるんですよ」、客は納得したのか金メッキの高い方を購入していった。この場合、線材はいずれもOFCだったので抵抗はさほど変わらないだろう、まあ効能としては腐食しにくいというくらいか。まあ、この程度のものならせいぜい数百円の差であり客も満足しているのだからよかろう。
だが、線材そのものが銀だの何だので太さが大蛇のようなケーブルが目の玉が飛び出るような金額で売られており、しかもよく売れているのには驚く。もう二十年以上前のことだが、はじめて超度級のスピーカーケーブルが市場に出回ったころの話しだが、ある雑誌の企画でブラインドテストをしたところ、一番好評価を得たのは当時の最高級品と通常の50芯コード(もちろんOFCなんかじゃない)であった。要は、ものにはバランスというものがあるということだ。
ちなみに、当時フォノ・カートリッジのリード線を交換するのが流行ったが、金、銀、銅とあるなかで、大方の支持を得ていたのは銅であったように記憶している。金や銀は好みが分かれた。要するに音に色が付いたのだ。よって、むやみにケーブルを換えるとケーブルによる色づけがされて機器本来の音が分からなくなってしまうのではないかと危惧する次第だ。

オーディオ趣味の衰退

このところ家電量販店の勢いが良いようだ。その一方で、かつての電機街秋葉原を席巻していた大手家電量販店は殆ど姿を消してしまったか経営再建中だ。売り方が変わったようである。でも、私なんぞは売り場を見ても品揃えこそ変わっていても20年前とさほど変わっていないように思う。だが、オーディオを趣味としていたオヂサンはすぐに気付くと思うが、ピュア・オーディオの売り場が無くなっていることに気付くはずだ。なぜならば、売れないからだ。だから、かつてのオーディオメーカーはことごとく姿を消したか別の業種に転換して生き延びているかになった。なぜこれほどまでにオーディオは衰退してしまったのだろう。その原因の一つにCDの出現があるように思う。そして、それに伴う技術の進歩がある。CDが主流になるのと同時にオーディオの主流はミニコンポに移り、技術の進歩を伴い小型で安く良い音が容易に手にはいるようになった。そのために中級のコンポは一気に姿を消していった。オーディオメーカーにとっては稼ぎ頭の中級機は無くなるは、商品単価は下がるはで売上も利益も減り、やがて倒産が相次ぐことになる。結果的にオーディオ市場は安いミニコンポか高級機に二分されることになる。そして趣味の入口にあたる商品がなくなり新たにオーディオを始める者がいなくなり高齢化が始まった。このことは、更にオーディオを高級なものへと変えハイエンドのみが生き残る状況へと変化した。やがてオーディオ爺が死に絶えるとこの趣味自体が世の中から姿を消すかもしれぬ。
なんとも暗い展開になってしまったが、試しに現在数えるほどしか残っていないオーディオ専門店を覗いてみると良い。客は若くて40代、上はいつお迎えが来るか知れない面々ばかりだ。それでは、もうオーディオブームの再来はあり得ないのか?と問えば、残念ながら可能性は限りなくゼロに近いだろう。何故なら、音楽の楽しみ方そのものが変わってきているからだ。さきほどオーディオの衰退はCDから始まったと書いたが、今やそのCD自体が衰退している。米国ではそろそろネット配信による音楽購入が主流になりつつあり、いずれ近い内に日本もそうなることであろう。CDが店頭から消える、いやCDショップそのものが消える日もそう遠くはないかも知れない。MP3の音楽をヘッドフォンで聴くだけで十分という若者がこのまま増えれば、本当にありえる話しだ。事実、音楽業界そのものが存亡の危機に瀕していると言っても過言ではない。そうなると、オーディオマニア達は中古CDショップで買う懐メロ以外に楽しむ音源がなくなってしまうかも知れぬ。

音に包まれたい?

最近5.1chというのが巷で流行っているらしい。まあ、一種のサラウンド・システムだ。どうやらいつの世も音に包まれたいという願望があるようで、古くは4chステレオというのがあったが各種の方式が反乱しユーザーを混乱させただけで終焉してしまった。そのほかにもドルビーサラウンドやら何やらと登場したがいずれも短い期間で消えていった。かくいう我が家にも某サラウンドシステムが転がっている。でも、今回のブームは定着しそうな気配だ。これは家庭のテレビ画面が巨大化してきたのと関連があるようだ。かつての4chの時は音だけであった、そしてドルビーサラウンドの時は大画面といえばプロジェクターを用いないと得られなかった。だが、今や液晶やプラズマの大画面がお茶の間に普及し始めている。画面がデカくなると音が寂しく感じるのであろう。そこで5.1chの登場と相成るわけだ。そして、気が付くと世の中に流通する中級オーディオ装置の殆どがAV仕様になっていた。これはAVファンには嬉しいことだが、音だけ楽しむ者には寂しいことだ。でも、これは単に自分が古い人間になったということだけなのかもしれない。

部屋もエンクロージャーじゃ

最近は小型のスピーカーが流行っているようだから部屋のサイズに見合ったスピーカーが収まっていることが多いと思うが、いまだに巨大なスピーカーをウサギ小屋に置いている方もいるかも知れぬ。その昔、JBLの4343というプロ用モニターが流行ったことがある。雑誌のレファレンス機としてたびたび登場したりしていたのが理由かもしれぬが中には四畳半に置いている人まで居たから驚きだ。さて、小さな部屋に大きな(大口径)スピーカーを持ち込むとどうなるのかだが、これは通常の団扇の代わりに祭り用の大団扇を室内で扇ぐようなものである。窓や襖だけでなく壁さえも共振して大変なことになる。かといって音量を絞ると、この手の大型スピーカーは往々にして良い音を出さないのである。小型スピーカーの低音に満足しなくなりグレードアップする際は部屋もひとつのエンクロージャーであり相応しいサイズのスピーカーがあるということをご注意を願いたい。
ところが、数年前にタダのチケットをもらったので音が悪いと知りながら武道館に行った時のことである。仕事を終え、開演時間を少しまわった頃に九段下の階段を上ると「メシッ! ビシッ!」というような妙な音が大きなタマネギの下から聞こえてくる。そして、会場に入りその原因がわかった。密閉された空間で大音量の低音を鳴らしているので、武道館が音圧に絶えきれずに悲鳴をあげていたのだ。このようなコンサートが連日のように催されたら、いつか崩壊するんじゃないかとさえ思えた。もちろん、コンサート自体は聞くに堪えなったことは言うまでもない。

ローファイだっていいじゃないか

ハイファイとは高忠実度再生のことだが、これはもちろん原音に忠実な音の再生を目的としていることは言うまでもない。だが、原音と言っても音源はどうなのだろう。原音に忠実な音源なんてあるのだろうか?CDにせよレコードにせよ録音技術者の味付けがなされているのではないか。所詮ピアノの音はピアノからしか出ないし、バイオリンも然りだ。全ての楽器の音を一つのスピーカーで再生しようなんて無理なのだ。
話しは変わるがプラモデルの金型作りで重要なのはデフォルメだと云う。もちろん実物の図面を忠実にスケールダウンする事を抜きにしては語れないのだが、そのまま作ったのではリアル感に乏しい模型になってしまうそうだ。そこで、金型職人の腕の見せ所となるのが、いかにリアルさを損なわずに適度にデフォルメして実物の魅力を表現するかということらしい。
話し戻ってオーディオの再生だが模型づくりに共通する点が多いように感じる。第一に生の音と同じ音圧など一般家庭で再生することなど不可能なのだからスケールダウンした音で聞くことになる。それにも関わらず演奏の魅力を再現しようとすると模型同様にデフォルメが必要なのではなかろうか。おそらく色づけ無しの音楽を小音量で聞いたとしたらなんともつまらない音に聞こえるのではないかと思う。少なくとも自分は積極的に音の味付けを行う方が好みである。
ただ素材を活かすように薄味にするよう気を付けている。

周波数特性って重要ですか

現在のCDやアンプ等においては可聴帯域内(20-20000hlz)の周波数特性がフラットでないものなど存在しないであろう。だが、スピーカーはどうだろう。以外とフラットではないことが分かる。しかし、例えフラットな特性を持ったスピーカーであったとしても、一般家庭の部屋に置いたとたんにフラットでなくなるのだから、気にすることはない。それよりも面白いのは名機と呼ばれるスピーカーの特性を見るといずれもフラットではない点だ。だが、このことはけして不思議ではない。なぜなら、名機と呼ばれるものはいずれもジャズ向きだとかクラシック向きだとかと音楽のジャンル別に向き不向きが言われていることが多いからだ。要するに、完全にフラットだと恐らくつまらない音になってしまうのではなかろうか。ちなみに自分も聴く音楽とそのときの気分でスピーカーを使い分けている。

ベストバイは本当に良いのか 

むかしオーディオ専門店で働いていた時のことだが、雑誌のベストバイ特集が出ると商品の売り上げ動向もリスト通りになったものだ。中には試聴もせずに、○○くださいという客までいる始末だ。上位にランクされたメーカーはほくほく顔だが、その逆は悲惨だ。商売っ気のない私は、「お客様、こちらをお聴きになったことはございますか?」と尋ねたものだ。客の中には聴くまでもないだろうと言わんばかりに、「だって、これお勧め品なんでしょう」と言う人もいた。そこで私は客が自分の耳で確認し、納得の上で買い求めることを促した。すると、面白いことに試聴の結果、別の機種を買う人がけっこういたものだ。是非とも購入時には自分の愛聴盤を持参の上で試聴して決めることをお勧めする。だって、評論家と称する人達と自分の好みが一緒だとは限らないでしょう。

真空管の音は温かいか? 

よく「真空管ならではの温もり」などと評される事が多いが、真空管アンプはどれも温かい音がするのだろうか?私はどうも「真空管=懐かしい=懐かしい音=レンジの狭い温もりのある音」とか「真空管=暖かい=温かい音」といったようなイメージが先入観としてあると思う。試しに何も言わずに聞かせたら、どちらが真空管でどちらがトランジスタかを当てられる人は少なかろう。この例に漏れず、JBLの音は○○、マランツの音は□□、タンノイの音は△△、はたまたアメリカの音は・・・などと十把一絡げに決めつけて言うことが多いように思う。実際に人間というのはいい加減な者でこういった先入観を植え付けられると、不思議とそのように聞こえてしまうものだ。そのむかし、エレクトリでDIGというスピーカーを企画した方がA7の箱にサブバッフルを付けて409Bを装着し、ホーンツイーターも繋がず409Bだけで鳴らしていたそうだ。すると多くの人はA7が鳴っていると思ったそうである。しかも、なかには「さすがA7は良い音がするねえ」などという人まで現れたという。まあ、そこでDIGを企画したそうだが、これなどは視覚が与えるイメージが聴感に与える影響を如実に現しているといえよう。けっこう趣味の世界とはプラシーボなものなのかも知れぬ。

もっとも進歩していない音の入口と出口

この半世紀におけるオーディオ機器の進歩はめざましいものがあるが以外と進歩していないのが肝心の入口と出口のように思う。まず入口だが現在の主流となっているマイクロホンの形式は相変わらずダイナミック型かコンデンサー型でプロ用の機器などは私がオーディオに興味を持ち始めた30年前と同じ機種が今でも現役で活躍している。一方の出口であるスピーカーもフィールドコイル型からダイナミック型に変わってからというもの新素材の登場はあっても基本的な構造は変わっていない。もちろん、その間に平面スピーカーが現れたり静電型が出たりと新しい技術は登場してはいるが、どれも主流には成り得ていない。
これは考えようによっては既に半世紀前に技術が確立していたとみてもよいのかも知れぬ。半世紀前のスピーカーでも現在の機器に繋ぐと十分に満足のいく音を楽しめるだけでなく、ものによっては現在の製品よりも自分としては好みの音がするものがある。それだからビンテージスピーカーに惹かれるのである。電源さえ自分で作ることができたならフィールドコイルスピーカーもぜひ鳴らしてみたいと思う次第である。

いまさらながらデジタルvsアナログ

CDの音が良くないと宣う輩に共通するのが、「アナログ音源には倍音成分があるがCD音源の場合は20000ヘルツから上を切り落としているために楽器本来の音色が再現できない・・・」というCD規格欠陥論だ。彼らに言わせたら、こんな一行程度の説明ではなく永遠と蘊蓄を並べ立てるに違いない。そして、そんな事を聞かされていると、納得しちゃうかもしれない。
でも、ちょっと待てよ。ここは原点に戻って、冷静かつ科学的に検証してみようではないか。本当にアナログレコードには数万ヘルツの超高域にいたるまでの倍音成分が入っているのだろうか? 実際のところレコードの高域側は、CDと比較するとそれほど伸びていない。CDの再生限界である2万ヘルツに至っては殆ど再生できていないのが現状だ。そもそも音の入口であるマイクロホンの特性そのものも(ごく一部を除き)せいぜい2万ヘルツが限界である。「可聴帯域外の音は聞こえないが音のニュアンスに与える影響が云々」以前の問題として、元々入っていないものは聞こえるはずがないのである。仮に入っていた(録音方法によっては入れることも不可能ではない)としても、その音圧は実際のレコード再生ではノイズレベル以下になり、やはり聞こえることはないだろう。誤解の無いように付け加えておくが、私自身はアナログ否定派でも無ければデジタル絶賛派でもない。どちらも、きちんと再生すれば素晴らしい音が再現できると思う。

CDの音は出し切れているのか?
オーディオをある程度つきつめるとCDの音に不満を抱くことがある。すると、とかく言われるCDの規格のせいにして諦める。だが、実際はCDの音を余すところ無く再生していないためだという論もある。だが、最新のCD再生システムでは見事にこれらの問題を解決してCD再生の不満が解消されているという。ところが価格を見て躊躇してしまう。CD再生装置だけで数百万もするシステムをおいそれと買うわけにはいかない。
その点、アナログ再生ではカートリッジ、シェル、からターンテーブルマットやスタビライザーに至るまで実にユーザーが調節できる範囲が大きく且つ変化が聞き取りやすかった。私はCDの不満要因の一つがこのあたりにもあるのではないかと思う。CDではせいぜいケーブルを選択するくらいで殆どセットアップの余地が無い。アナログの場合、自分であれこれセットアップし、好みに合わせた結果の音だけに満足度が高いといえるのではないか。その点、CDはお仕着せのような感じがして音の変化を楽しめないので不満が残ると言えよう。
だが、妥協して聞くのではなく、セットアップに挑戦してみてはどうだろうか?アナログのそれと比べたら調節できる範囲は限られるが、多少の音の変化は楽しめるし、少しは満足度も増すことと思う。試しに脚の交換から」やってみると良い。おおかた樹脂製かゴム系、良くてもアルミとゴムといったところであろう。特に樹脂やゴム系のみの場合、これを金属や木材に交換すると変化が大きい。円錐状のアルミ、真鍮、銅などが売っているので、これを脚として使用すると良いだろう。木材もサイコロ状にカットされたものがあるので、これらを使用すると良い。また、シャーシーやボンネットに強力な両面テープで銅板などを貼って防振およびシールド性を高めると、これまた音の変化が楽しめる。なお、ここで敢えて「音の変化」と表現しているのには訳がある。音の変化=良い音、かどうかは個々人の好みによるから善し悪しはご自分の耳で確かめてほしいということだ。いずれにせよ、アナログプレーヤーのカートリッジ交換のようにCDプレーヤーを買い換えるわけ(金額的にも物理的にも)にはいかないので、買い換えの前に試してみる価値は大きいと思う。
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