●NIKEへの帰還    (98/03/30)		カミナリオヤジ西村

	第二章
	大きなニュース。
	それは、1977年NIKE日本正式デビューです。
	当時NIKEは日本であまり知られたブランドではありませんでした。
	ただスニーカー好きな連中の中では、いろいろ噂になっていたのも事実です。
	東京の小さなお店(並行輸入屋みたいな所)でひっそりと売られていました。
	残念ながら名古屋では買えませんでした。
	当時名古屋では東京へ行く人がいると、「あそこでこれ買ってきてよ」というよう
	な会話が頻繁にあったのです。
	今アメリカに行く人に別注品を頼むようなものですね。
	しかしワッフルトレーナーが12800円(逆輸入・日本製・筆記体)で中学生に
	は無理でした。
	またブルインスエードそっくりな偽物(堂々と「これはあのNIKEのコピーです
	」と売られていた)が
	なんと10000円で売られていた記憶があります。

	そういう時代にあのワッフルトレーナーが7500円で買えるようになるらしいと
	のニュースを誰かが聞きつけてきました。
	それも丸栄(名古屋のデパート)で買えるようになるらしいと。
	当時日本ゴム株式会社でNIKEはつくられていたものの、日本では売らなかった
	のです。
	それが、逆輸入ではなく、そのまま日本で売られるため随分安くなるんだというう
	れしい情報もありました。
	噂を聞いた日、すぐ学校帰りに丸栄に行きました。
	もしかしたら、もう売ってるのでは・・・・
	しかし、そこにはチラシだけがありました。
	NIKEが近日発売されるとの告知用です。
	何枚ももらおうとしましたが、ひとり一枚だと怒られました。

	それを見て驚きました。
	なんと20種類ほどの靴が並んでいるのです。
	ワッフルトレーナーとナイロンコルテッツしか知らなかった私には始めてみるもの
	ばかりだったのです。
	みんなで名前を一生懸命覚えました。
	表革をレザーといい、裏革をスエードというのか・・・・なんて話も。
	それを見てNIKEというのは社名じゃないこと(当時はブルー・リボン・スポ
	ーツ社)も知りました。
	さらにそのチラシの中にはいくつかのスポーツシーンの写真があり、
	その中には日本で売られないものも多くありました。
	特に目をひいたのがあのスティングです。
	あのような配色は私の想像を絶するものでしたが、
	欲しくて欲しくてしょうがないものとなりました。
	(今日に至っても手に入れていませんが)
	日本で売られるものなんてほんの一部なんですね。
	で、「おい、お金貯めてオレゴンに行こうぜ」って話まで出ましたが、
	だれもそんな貯金ができるお金の使い方はしていませんでした。

	気になったのは日本で売られるもののベロのタグがあの筆記体ではなく、
	ブロック体になっていたことです。
	これはいったいなんだろう?
	みんなで話した結果、「日本で正式に売るものはブロック体なんだろう。
	アメリカで売られるものとの違いを出すためにそうするのではないか」という勝手
	な推測をしました。
	(中には「それじゃー意味がないよ。俺はそんなんだったら買わないな、偽
	NIKEだよ」というツワモノもいた)
	もちろん誤った推測でしたが。
	私はブロック体でもいいので、とにかくNIKEを買おうと決めました。

	みんなでどれを買うかを協議して(みんな同じモノを買いたくなかった)、私はワ
	ッフルトレーナーとなりました。
	この時は、「次は本当にいい靴を買うから」と親にお金をもらいました
	(靴を買うために親からお金をもらったのはこれが最後だと思います)。
	発売日、学校から急いで丸栄にむかいました。
	なぜか駅から走りましたね。
	売り切れていたらどうしようと思っていたのですが、だーれも見向きもしていませ
	んでした。
	騒いでいたのは我々だけだったんですね。
	もちろん、買えました。
	家に帰って親に見せると「これなら高そうだ」と納得していました。
	そりゃそうです。
	それまで、キャンバスのバスケットボールシューズしか見ていなかったのですから
	。

	夢にまで見たスウッシュ。
	それがブルーの中に黄色く輝いているのです。
	写真でしか見たことのなかったワッフルソール。
	はいてみるとなんだかフワフワです。
	アーチのパッドも初体験です。これが妙に気持ち良かったのです。
	
	さて、話が少しそれますが、その時代どんなものを着ていたのでしょう。
	この頃のファッションについて語らせるとみんなVANの話をしてしまうのですね
	。
	しかし、それはちょっと違うんじゃないでしょうか。
	この時代VANは入口であって、それだけだったように思います。
	事実私も入口段階ではかなりお世話になっていましたが。
	正直言ってそのころVAN好きの人って遅れてるなって感じでした。
	倒産後みんなは「VANが教科書だった」みたいなことを言いましたが、
	そうか?って感じです。
	社員の人も「こうじゃないだろ」ってな疑問を持って働いていたそうです。
	IVYスタイルだって本物は全然違っていることに気付き始めていましたし、
	アメリカやヨーロッパに目をむけるとひどく時代遅れなスタイルにすぎないと感じ
	ていました。
	所詮ちょっと前のアメリカの模倣だったのではないでしょうか。

	ワシントンディーシーのネルシャツにリーバイス。
	それがとてもアメリカ的で私はそれが本物なんじゃないかと思っていました。
	IVYスタイルを極めるにしても、ボタンダウンはブルックスブラザーズでしょっ
	て。
	(まだ日本に正式には上陸していませんでしたが)
	またアメリカのヘビーデューティーブームが上陸し、
	アウトドアブランドが入り始めました。
	それが非常に新鮮でした。
	例えば、なんでアメリカの学生はリュックを背負っているのだろう、とか。
	(すぐ真似しちゃったんですけど)

	話をNIKEに戻しましょう。
	しばらくして、私はどうしても筆記体のものが欲しくなったのですが、
	なかなか見つかりませんでした。
	ようやく見つけたのが、LD-1000でした。
	サイズは全然合わなくて、大きなものでしたが、買ってしまいました。
	フフフ、これこそ本物だぞ。
	誰かがLD-1000のソールが大きいのは、
	自分のサイズに切って使うからだ、と教えてくれましたが、
	当然切る勇気など私にはありませんでした。

	しかし、その後私は一切NIKEを買わなくなってしまいました。
	それは・・・

	(つづく)