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BRUCE LEE / ENTER THE DRAGON

≪スタッフ≫

製作…………フレッド・ワイントローブ/ポールヘラー
共同製作………………………………レイモンド・チョウ
監督……………………………………ロバート・クローズ
脚本……………………………………マイケル・オーリン
撮影…………………………………ギルバート・ハッブス
格闘技………………………………………ブルース・リー
音楽編集…………………………………ジーン・マークス
音楽…………………………………………ラロ・シフリン

≪キャスト≫

リー…………………………………………ブルース・リー
ローパー…………………………………ジョン・サクソン
タニア………………………………………アーナ・カプリ
ウィリアムス…………………………………ジム・ケリー
オハラ…………………………………ロバート・ウォール
ハン……………………………………………シー・キエン
スーリン…………………………アンジェラ・マオ・イン
メイリン……………………………………ベティ・チュン
ブレスウェイト…………………ジェフリー・ウィークス
ボロ………………………………………………ヤン・スエ
高僧…………………………………ピーター・アーチャー

<解説>

 ひと頃すさまじい勢いでアメリカ映画界を席捲したブラック・フィルムの嵐はいまも着実な進歩をとげているが、それを巻きこんでアメリカ映画界に新しい方向を決定づけると目されているのが、このブルース・リー主演の一連のオリエンタル・アクションである。
 ブラック・フィルムの主人公が黒人であったのに対し、このオリエンタル・アクションの主人公は中国人。黒人の場合とおなじく知力・体力ともに白人をはるかにしのぐスーパー・ヒーローで、彼らの武器はカラテ、いわゆる小林寺拳法というやつだ。
 「007」を代表するスパイ・アクションやそれに続く黒人アクションのヒーローたちがピストルやその他の新兵器によってメカニックなスーパーマンの偉力を発揮したのに対し、このオリエンタル・アクションの英雄達は、もっぱら素手で強大な悪に対決するところが、機械文明に飽きた現代人たちの心をかえって大きくとらえたのかも知れない。そしてもうひとつ見逃せないのは、画面にあふれ返るばかりの血の海と、主人公のひたむきな復讐への怨念
だ。つまりここでは原始的な残酷趣味と東洋的な修道者の性神性がひとつに混じりあっていて、それが観る者の野性の血をいっそうわき立たせるのである。
 事実アメリカでは、ブルース・リーが有名になる前に、中国人俳優の主演する香港映画「必殺五本指」が、他のアメリカ製の大作、話題作をはるかに引き離して、ずっと興行成績のトップ級を独走していたが、この「燃えよドラゴン」で主役を演じるのはブルースリー。すでにアメリカでは「007」の記録を破り、「ゴッドファーザー」の記録に肉迫するという大ヒットとなっている。南シナ海に浮かぶ謎の要塞島に潜入したヒーローが、この工場地下で麻薬を密造する悪の巨大組織を、得意のクンフーで全滅させるまでを血みどろなアクションの連続の中に描いている。
 共演するのは「シエラマドレの決闘」「ガンファイターの最後」などのアメリカ・ター、ジョン・サクソン。かつて3年ほどカラテ修業を経験したというだけあってファイト・シーンもプロ級。彼をのぞき日本になじみの俳優はあまりいないが、香港やロサンジェルスでの現地ロケが大きな効果をあげて、マイケル・オーリンの脚本によるロバート・クローズの演出も快調。「激怒」のフレッド・ワイントローブ以下製作者も三人がかりで総力を結集しただけに、オリエンタル・アクションの決定版として、この映画は新しいブームの秘密を我々日本人にもはっきり教えてくれたはずである。
 なお、音楽は「ブリッド」「ダーティハリー」のラロ・シフリンが担当している。

<ストーリー>

 南シナ海に浮かぶ要塞島で初めて開かれる大武術トーナメントへの招待状が、世界中の武術の名手にあてていっせいに送り出されたのは、陰謀うずを巻く国際都市香港からである。
 ロサンジェルスに住む黒人のカラテの名手ウィリアムス(ジム・ケリー)もその招待状を受けとったひとりだった。香港へ出発するその日も、ちょっとしたことで警官2人に追いまわされ、得意のカラテで彼らを手もなくやっつけてしまうと、パトロール・カーをちょと拝借、その足で空港へ直行するという忙しさ。
 サンフランシスコのローパー(ジョン・サクソン)も忙しさではおなじ、高利貸しにやとわれた殺し屋が借金を早く返せとつけまわすのを、ゴルフ・コースのまん中でやっつけると、まっすぐ空港へ。
 その頃、香港に近い田舎では中国人ばかりの武術の試合がおこなわれていた。優勝したのは小林寺で仏の道と武術を勉強中のリー(ブルース・リー)という若者で、さっそく彼は秘密情報局のブレスウェイト(ジェフリー・ウィークス)から、例の要塞島での武術トーナメントに出場するよう要請されたが、その場でそれを断わった。武術で名を上げるよりも無名なままの修道を彼は望んだからだ。
 しかし、修道僧長から、要塞島の支配者ハン(シー・キエン)もかつてはこの小林寺の修道僧であったこと、この寺でつかんだ武術の知識を今は自分の利益のために彼が悪用していること、などを聞かされると、トーナメントへの出場を承諾しないわけにはいかない。それに父(ホー・リー・ヤン)から聞かされた話もリーの闘志をいっそうあおり立てた。数年前、妹のスー・リン(アンジェラ・マオ・イン)が町でオハラ(ロバート・ウォール)とい
う男にひきいられたハンの手下どもに襲われ、力をつくして闘ったものの、けっきょくは彼らに追いつめられ肉体をけがされそうになったとき、彼女は生きてはずかしめられるよりはと、ひと思いにガラスの破片で死をえらんだというのである。
 まだ見ぬハンやオハラへの復讐心に燃えてリーが悪の要塞島へ出発する日がきた。彼の任務はトーナメントに優勝することではない。真の目的は島内でハンがおこなっている麻薬製造密売の内情をさぐり出すことである。そのため彼はまずブレスウェイトのもとをおとずれ、詳細な指示を受けたのち島へむかった。
 要塞島へ向う帆船で、リーはアメリカからきたローパーやウィリアムスと知り合った。島につくとタニア(アーナ・カプリ)という美女が一行を迎えた。島ではブレスウェイトが潜入させた女性秘密情報部員メイ・リンが彼の手助けをすることになっていた。
 その夜、さっそく島内探索に出かけたリーは、麻薬密造の巨大な工場を地下に発見し、部屋に帰る途中、数人の衛兵に見とがめられたが、彼らを倒すのに手間はかからなかった。
 翌日いよいよトーナメントが開始されてローパーもウィリアムスも、すごく簡単に試合の相手を倒したが、リーの相手は偶然にもオハラ。
 愛する妹を死に追いやった男に対する憎しみに燃えたぎるリーの闘志と抜群の技術にオハラがかなうはずもなく、敗色はたちまち濃くなったが、試合なかばで卑怯にもオハラは底を砕いたガラス瓶2本を持ち出し、凶悪な殺意をもはやかくそうともしなかった。
 卑怯なそのふるまいに、怒り心頭に発したリーは、必殺の飛び蹴りでオハラを地面に叩きつけると、空中高く飛び上がり、急降下でとどめをさした。
 その日おそくウィリアムスがハンに殺された。昨夜秘密工場にしのび込んで衛兵たちを倒したのはウィリアムスだと彼は誤解したのである。
 ハンにとってもうひとつの手落ちは、当然ローパーが自分の側につくものと信じ、彼に麻薬の秘密工場を案内したりウィリアムスの死体まで見せてしまったりしたことだ。
 その夜、リーは危険をおかして再び地下の工場へもぐり込み、洞屈の中に閉じこめられた女たちを発見した。ハンが実験用に使ったあと人肉市場に売り出す予定の女たちだ。
 さっそくその発見を指令部のブレスウェイトに無線連絡しようとしたとたん、警報ベルが鳴り響いた。ぞくぞくと襲いかかってくるハンの部下たちを、無類の強さでなぎ倒したリーだったが、ついにワナにかかりとらえられてしまった。
 翌日激怒したハンはローパーにリーとの一騎討ちを命じたが、ローパーがその時はっきりリーの味方につくことを宣言したため、ついに怒りは爆発、部下の中でも一番の腕自慢ボロ(ヤン・スエ)を対決させたが、そのボロをローパーが一気に殺してしまった頃、メイ・リンが地下牢をあけていた。野外へあふれでた捕虜たちはハンの部下たちを引き受けて大乱闘。リーもハンを追いつめ、全面鏡張りの部屋の中にさそいこまれたものの、凄まじい激闘の末みごとに彼の息の根を止めた。
 ブレスウェイトによってさし向けられた兵隊たちが海から空から島へ殺到したときはもはや、トーナメントのフィールドはハンの部下たちの死体でいっぱい。輝かしい勝利はこうしてリーたちのものとなったのである。

☆主演:ブルース・リー

 まさに波乱の一生である。1940年に中国オペラの有名な俳優の子としてサンフランシスコで生まれたが、少年時代は空手を習いながら香港ですごし、長じてはワシントン大学の哲学科に進み、在学中からアメリカ各地にいくつかの空手道場をひらいたが、これが本格的に芸能界へ乗り出すきっかけとなった。門弟にスティーブ・マックイーン、ジェームス・コバーンなど、そうそうたる映画スターがいたからである。やがて彼は、門弟たちにおされてテレビ・シリーズ「グリーン・ホーネット」のカトー役や、「ロングストリート」などにも出演するようになった。
 しかしスターへの道はまだ遠い。チャンスは香港の製作者レイモンド・チョウの「ドラゴン危機一発」に出演したことによって訪れた。それまで香港のレコードとなっていた「サウンド・オブ・ミュージック」の売り上げをいっきに上回ったうえ、つづく二本の香港映画でもぞくぞくと新記録を更新していった。これらは欧州、南米、アメリカでも大当りし、ついにこの作品で待望のアメリカ映画に出演、これもヒット間違いなしと見込まれていたのに、肝心の本人は封切りすこし前に32才の若さでこの世を去ってしまったのである。