「カレー記念日」 上野ふれき
恋人が突然部屋を訪れたのは、朝の11時過ぎだった。
「お昼ご飯、作り来ました」
そうして今、俺の恋人である涼宮茜は鼻歌混じりで台所を占拠していた。
鍋から漂ってくる美味しそうな匂いに、グウッとお腹が自己主張する。
どうしてカレーの香りは、こうも直接的に訴えかけてくるのだろう。
香辛料恐るべし。
でも。
あんまり辛いものは苦手なんだよなぁ。
茜ちゃんが甘口カレー好きだと良いんだけど。
日曜日の昼、彼女が部屋に来て食事を作ってくれる。
それだけでも、幸せすぎるのに、そんなこと言ってると罰があたるかな。
そう言えば、スカイテンプルももうすぐ夏のカレーフェアが始まるんだっけ。
辛口カレーばっかりなんだよな、あれ。
やっぱカレーと言えば辛口なのか?
などと、つらつら考えながらカーペットを転がっていると、トレイをもった茜ちゃんと目があった。
「ふふ。お待たせしました」
あわてて身体を起こし、コホンと咳払いなどしてみる。
「いや、あまりに美味しそうな匂いがするんで、待ち遠しくてさ。ははは」
「はいはい。ちゃんと鳴海さんの好み通り甘口カレーだから、安心して食べてくださいね」
こういう女の子の勘の良さには、毎度驚かされる。
・・・はっ! まさか転がりながら考えてたコト、口に出しちゃってたとか?
「鳴海さん、前に辛いカレーは苦手だって言ってたでしょ?」
「あれ? 全然憶えてないや。そうだっけ?」
「女の子はね、そういうことって、すごく憶えているものなんですよ」
そう言いながら、炊飯器からご飯を盛り、手際よくカレールーをかける。
「味の好みって、言って貰わないとわからないじゃないですか。だから鳴海さんから、そう教えて貰ったとき、とっても嬉しかったんですよ」
「じゃあ、茜ちゃんには何でも言うようにしないとね」
受け取ろうと手を伸ばすと、茜ちゃんは身を引いてお皿を遠のけてしまった。
あ、あの笑顔は何かを企んでいる時の顔だ。
「そうそう。じゃあ、まず、鳴海さんが私のこと、どう思っているか言ってください」
・・・もしかして、言わないとそのお皿を渡してくれないのか?
むー。
「・・・言わなくても伝わる気持ちって、あるよね」
きっと負けるんだろうな、と思いつつも、微かな抵抗を試みる。
「でも、言ってもらいたい時もあるんです」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
しばらくの間、無言のやりとりが続いた。
じっと茜ちゃんの瞳を見つめる。
目と目で語り合う。これぞ恋人同士の特権。
届け鳴海孝之の想い。
だが、瞳の直前まで届いていたその想いは、あっさりと受け取りを拒否された。
彼女の笑顔にぶちあたって床に落ちた「気持ち」がカランと音を立てるのが聞こえる。
言わなきゃダメですか。
「・・・愛してるよ」
何度も口にした言葉だけど、こんな風に、真昼間から、いざ面と向かって言うとなると、照れくさくてしょうがない。
思わず視線を逸らして、呟くように言ってしまった。
鼻の頭をかきつつ、カーペットの模様を数えたりする。
下を向いていても、彼女がじっとこっちを見ているのが判る。
視線だけは感じるのだが、一体どんな表情をしているのかはもちろんわからない。
あんな言い方じゃ、怒っちゃった、かな。
それとも・・・まさか、悲しそうな顔になってる?
そんな考えが頭を過ぎった瞬間、反射的にがばっと顔を上げてしまった。
きちんと言い直さないと。
・・・あれ?
茜ちゃんは、びっくりした様な表情をしていた。
いや、実際びっくりしたのだろう。
当たり前か。
ちょっと不自然すぎる顔の上げ方だったし。
がばっ、は無いよな。うん、落ち着け、鳴海孝之。
よし、ここはさりげなく咳払いなどをして、自然な風を装おう。
で、もう一度きちんと言い直す、と。
「コホン。あ・・・えーと・・・」
だーっ。優柔不断すぎ、俺。
ほら、ハキハキと言うっ。
1、2、3、ハイ。
なんて、いくら心がそう叫んでも、身体は言うことを聞いてくれなかった。
あー、もぉ。人ってなんだかんだあっても、なかなか成長しないのな。
鳴海孝之のダメっぷり、ここに健在。
なんて、客観的に自己分析をしてみたり。
そんな俺を見て、茜ちゃんはぷっと吹き出した。
うぅ、情けない・・・。
「うん、知ってる」
・・・え?
笑顔で頷く茜ちゃん。
その表情は、知り合ったときから変わらない、得意気な勝ち誇った笑顔だった。
すごく幸せそうな笑顔だった。
「知ってるよ」
だけど、彼女は知らない。
彼女が知っていると言った「鳴海孝之が涼宮茜を好きな気持ち」はもう過去のものだ。
今この瞬間、俺は益々彼女のことを愛しく思ったのだから。
だから、彼女に知って貰うため、俺は何度も口にしよう。
何度でも。いつでも。彼女の目を見ながら。
「愛してるよ、茜
初出・k『あなたの瞳が映し出す未来』 2002.2.10.
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