スピリット・エンジェルス
                    
 沙門裕希
    
GIG−0 『起因襲来』

  時間の渦に墜ちたメヌエット
  抱きしめた余韻にまどろんでる
  透けた素肌をシーツに絡ませ
  堕天使の微笑甘くきわどい香り

               (ミス・ミステリー・レディ)

 真夜中、埠頭近くの倉庫街。空には異様な程、雲が垂れ込み、時折見せる月光がいとおしく思える。何かが起こっても不思議な夜、長き夜だった。
 若い男が二人、貸し倉庫の物陰にじっと隠れて時を待っていた。かれこれ二時間近くこうしている。
 春とはいえやはり夜は冷え込むのと、闇で目立たぬように二人は皮ジャンを着込んでいた。背の高い長髪の男のリーのジーンズのポケットには使い込まれた黒いスティックが差し込まれていた。
「武士……」
 赤外線カメラを手にしていた若者が、ついに沈黙を破り、武士の耳もとで囁やいた。
 だが、彼は相棒の方を向いて首を振った。もう少し待てという事だ。
 と、その時、物音がした。
「依頼通りだ」
 だがそう言いつつも何か嫌な予感はしていた。
 車が(それも大型の高級カーだ)数台走り込んでくるのが、倉庫と倉庫の間の路地から見て取れた。ライトに照らされぬように二人は奥に引っ込んだ。
 車はこの先の広い波止場で止まった。車の扉が開き、閉まる音が幾つかした。音から察してもかなりの数だ。武士と信也は予想外の仕事を引き受けたと思い始めていた。
「信也……見えるか?」
「いや、ちょうど角を曲がった所にいて見えない。もっと近付かなくては駄目だ。それにしてもただ証拠写真を撮るだけ言った風には簡単に片付きそうにないな」
 信也は立ち上がって壁に背をぴたりとつけて深呼吸をしていた。彼の背丈は決して低くはなかったが、武士の方が十センチばかし背が高いため、一緒にいるとしばしば兄弟に間違られた。
「うむ。何か話しが違うな。何か大きな事件に足を突っ込みかけている気がする」
「どうする? 武士、戻ろうか?」
「……いや、もう少し様子を見よう。信也、近付くぞ。海に出る前にもう一つ路地があった。そこに行けば何か聞こえるかも知れない。それからでも遅くないだろう」
 二人は素早く音も立てずに、通りに飛び出し移動した。探偵まがいの事をしているかた、その動きは馴れたものだ。だが、二人が思っているほどたやすくはなかった。
 壁にぴたりと背をつけ聞き耳を立てると、くぐもった男の声と透き通った女性の声が微かに聞こえた。
 浮気の現場ではない。麻薬? 武器? 何かの取引には間違いない。
 しかし、武士は女性の声に聞き覚えがあった。
「……聞き覚えがある声だ。信也、どうだ?」
「……聞いた気もする……でも、わからない」
「……そうだな」
 武士はちらりと路地の奥を見た。途中で海側(つまり奴らがいる所)に曲がっている。
「正面に回るか」
「倍額請求だな、これは」
 信也はやれやれと肩をすくめるとカメラを抱きかかえ、武士の後に続いた。緊張で心臓が張り裂けそうだったが、その反面すごく興奮していた。


 女は相手が指定してきた場所にはうんざりしていた。こんなあからさまに妖しい場所を選択するとは愚かだ。逆に目につきやすい。だが、先方の意見は尊重したほうがよい。だから、この辺一帯に一流の警備スタッフを配置させた。多額の出費だが用心に越した事はない。
 そしてその通りになった。いけすかない先方の男と取引話しをしている時、彼女の耳のイヤホンに倉庫の屋根に配置する警備員から通信が入った。二人組の人間が近くにきていると。
 たわいの無い世間話に話しを持って行きつつ、辺りに目を配る。先方の方は気づいていない。彼らが連れてきたのではないようだ。
「では、ご協力願えますね。先生」
 彼女が一歩退くと、アタッシュケースを持った男が進み出て先生と呼ばれた男に渡した。女は頃合をみはからって警備員に連絡した。
「妖しい二人組の男を発見しました!」
 後方にいた男が走ってきて叫んだ。
 それと同時に銃声が響いた。時間が一瞬止まった。
 とっさに身を伏せていた男は動揺していて何やらわめき散らしていた。警護の者が男の周りに集まってきた。
「これはどういう事だ!」
 落ち着きを取り戻した彼は女の方に向き直った。
「こちらが聞きたいくらいですわ」
「と、とにかくその二人とやらを捕まえろっ!」
 言われなくてもそうしてますと心の中で女は罵っていた。
「いたか」
 警備員の声、いや、銃を手にしているから警備兵と呼んで差し支えない。
「いや、熱源反応はない。逃げられた。そう遠くへは行っていない筈だ。一人は痛手を負っているからな」
 懐中電灯に照らされた血痕を見てもう一人の男は言った。
「二九番倉庫の方へ逃げた。出口を封鎖しろ」
 通信が入ると、男達は路地にライトをあてつつ二人の侵入者を捜そうと四方八方動き回った。だが、路地は二人がやっと並べるくらいで、様々な腐敗物、塵が散乱していてはかどらなかった。しかし、見つけだすのは時間の問題であった。
 ガラスの割れる音がした。そして少しして警報音。
「チィ、倉庫の中へ逃げ込みやがった。二七番倉庫だ。早く見つけだせ! サツが来る前に!」


「信也……大丈夫か?」
 武士は信也の右太股に服の切れ端をきつく縛り付け止血した。幸い、神経、骨には異常がないように見える。しかし危険な状態にはかわりはない。逃げきるのも出来るかどうか。やつら銃を使ってきやがった。法治国家日本万歳だ。
 しかし、さっきの機転のおかげで信也の手当をする時間が出来た。二人は倉庫の入り口を強引に潰し、警報を発動させたのだ。そして、素早く近くのダストボックスの影に逃げ込んだ。
「立てるか?」
「武士、すまない」
 痛みに顔を青ざめながら信也は立ち上がろうとした。しかし、すぐバランスを崩しへたれ込んだ。
「駄目みたいだ。武士、先に逃げてくれ。奴ら本気で俺達を殺す気だ。カメラだって壊れた……ウッ」
「喋るな。傷にさわる」
 武士は残った一本のステッィクを取り出すと信也の太股に当て木として巻き付けた。そして肩を貸して立ち上がらせた。
「ここも危なくなったきた。何とかバイクの所まで行けば何とかなる」
「武士……」
「お前一人置いて行けるわけ無いだろう。さぁ、早く行って手当をしよう、な」


 電話が鳴り響いた。びくっと女が横で蠢いた。
 男は寝台から上半身を起こすと一つ溜息をついた。横で寝ている女に気づき、その女性の腰に手をあてて落ち着かせると、受話器をとった。
「速水です……」
 相手に気づくと男は真剣な顔つきになり、枕もとの灯りをつけた。隣の女性が毛布をかき寄せつつ不思議そうに見守った。
「そうですか。それは誠に喜ばしい」
 そう言いつつ、真夜中の不仕付な電話に憤慨していた。明日でもいい事ではないか、なぜ、今なのだ。気持ち良く眠っていた今。
「……では、次の段階に進めとの事ですね」
 しかしそういう気持ちは巧妙に隠していた。
「……わかりました。では、明日の晩にいつもの所で」
 彼はスイッチを切って受話器を置いた。明日はおばさんの相手をしなくてはならない。だが……そう、今は違う。
 彼は不機嫌そうにしている女を見た。そう、少女。
「鳴人さん、何の電話なの?」
 小首を傾げ訊ねる。だが、そのまるで恋人みたいな口調に彼はかっとなった。しかし表情は崩さず、やんわりとした笑みを返した。
「何でもない。藤崎美都、君が気にする必要はない」
 彼は故意にフルネームで呼び、彼女が二の口をつぐ前にその口をふさいだ。
「うぅん」
 そして強く抱擁する。再び身体に情熱がほとばしるのを彼は感じた。
 今は違う……。彼女の身体に自分を押し込んだ。
 美都は甘い喘ぎを洩らすと、彼の好意を受け入れた。彼女はすでに彼の虜だった。
 全て俺のモノにしてやるさ。この女のように。


「信也、痛むか」
 武士は消毒しながら訊ねた。弾は貫通している。出血も思ったよりは酷くない。
「すまない、武士」
 暗くてわからないが彼が痛みに耐えて脂汗を垂らしているのは明らかだった。痛み止めの薬はどれだ? 化膿止めの薬は? 父さんがやっていたのを思い出せ!
「何をしている!」
 突然、電気がともり、診療所は明るくなった。突然のまぶしさに二人は目をしばたたせた。
「父さん……」
 戸口には武士の父の太田徹が寝巻き姿で立っていた。
「あんなバイクの音をたてて帰ってくれば………おい、その傷は」
 徹は武士から器具をひったくり、彼をどけて信也の前に来た。そして傷の具合を診た。
「おい、レントゲンの用意だ。これは普通の傷じゃ無いな。銃で撃たれた傷だな。そうだな」
 彼は武士を見つめた。武士はうなずいた。
「警察には通報したのか?」
 手際よく手当をしていく。信也は感心してそれを見守っていた。彼には父親はいない。
「いや……」
 しばらくの沈黙の後、徹は立ち上がりレントゲンを撮るため彼を連れて行った。
「だいたいの処置はこれで終わりだ。何とか歩けるが、無茶は勿論駄目だ」
 徹はやれやれといった様子で肩をすくめた。
「何も言わんが、危険な事には足を突っ込むなよ。それじゃ、俺はもう寝る」
「有り難う、父さん」
 徹は振り返って、堅い笑みを返した。彼らを信頼していた。


 『愛の天使』という店は変わったバーだった。ステージが設けられ、そこでは連日生のバンド演奏が行われていた。お客はすべて席に座って酒を飲みながら気ままな時間を過ごせるのだった。
 従業員はたった二人。マスターとアルバイト。ゆえにお客は飲物をカウンターに取りに行くセルフサービスであった。ディスコに近いかもしれない。
「もう閉店時間なんだがな。明日は学校じゃないのか?」
 マスターの山寺優はグラスを磨いていた。客は今は入ってきた客を除いて一人もいない。
 その客、武士はまっすぐカウンターにやってきて、どっかりと座った。肩まで生えた髪がふわりと舞う。その姿でも優雅であった。
「あら、マスターが変な事言うからおこっちゃたじゃないの」
 アルバイトの女子大生、開花奈美が小型掃除機を片手に武士の元にきて座った。
「何にしますか? マスターに認められた大人さん」
 マスターは男と認めた者には酒を飲むのを認める事で有名だった。
「こら、よさんか、奈美。武士、いつものでいいか?」
 マスターはグラスを置いて、キープされたボトルを取り出しに行った。こうしてみてもかなり大柄な男だ。奈美を除いていざこざを起こそうとする者がいないのもうなずける。
「〈剣〉が撃たれた」
 武士はようやく口にした。戻ってきたマスターの動きが一瞬止まった。
「本当か?」
「ああ」
「どうしたの?」
「奈美、ご苦労さん。後は俺が片づける」
「な、何よ。一体なんなの?」
「奈美!」
 戸惑う奈美をマスターは見つめた。サングラスで瞳は見えないけれど、真剣な様子はそれで十分だった。
「わかったわよ。明日、ちゃんと聞かせて貰いますからね。ったく、男ときたら……」
 マスターはサングラスをはずすとはにかむように奈美に微笑んだ。そして彼女が出て行くと武士に視線を戻した。
「彼はどうなった?」
「今、自宅にいる。命に別状はない。しかし納得がいかない。話しでは危険は全く無いとの事だった。あの依頼は誰の依頼なんだ?」
「何があったんだ? 察しはつくが詳しく聞かせてくれ」
 武士がかいつまんで話すと、優は眉間に皺をよせ、考え込んだ。
「……それはすまない事をした。まさか、そんなに危険な事だったとはな。しかし多少の危険はつきものだ。それにしても……」
「依頼主は誰だ?」
「……それを明かす事は出来ない」
 武士は鋭い目をマスターに向けた。握り拳が震えている。一瞬、優は背筋がぞっとした。
「じゃ、もうこんな仕事は出来ない。俺達は只の学生なんだ」
 彼は立ち上がった。飲物には手をつけていない。彼はきびすを返した。
「すまない……けど、わかってくれ。おい、スティックはどうしたんだ?」
 武士は首だけ振り向いた。
「一本は落とした。もう一本は……血染めだ」
 マスターは言葉を無くしたが出て行く前にもう一度呼び止めた。
「でも、ドラムは叩きにきてくれるんだろ?」
 武士は髪をかきあげ、一瞬考えてうなずくとカランカランと扉の音をたてて出て行った。
 マスターは新しい年代物のボトルを取りだし、グラスに注ぎ飲み干した。



                    



今のペンネームですが、書いたのは結構古い。だって、覚えてないもの。
ファンタジィじゃない話自体もめずらしいかも。
このころから声優さんにはまっていたのが伺いしれますが・・

2002.5.6 沙門祐希

 

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