ドラゴン・ソート

         作・比羅樹なほる
        協力・銀筆☆翔
  第一章 「栄光の旅立ち」

 流れるような漆黒の髪をもった少年は、まだ幼き顔を丘の下に広がる気持ちの安らぐ草原に向けていた。
 生まれてまだ一五年の少年の横には、彼と同い歳の少女が赤味がかった髪をそよぐ風になびかせ、小花を手に取り匂いを嗅いでいた。
 寝そべっている少年はリム。それを微笑ましく見る少女はエルファ。
 草はさながらベットの様に気持ち良くリムに寝所を提供していた。
「リム……」
 寝そべっていたリムは首だけおこしてエルファに、兄弟ともいえる彼女に笑顔を向けた。
「何とも、いい天気だね。まるで吸い込まれていくようだよ」
「……うん。でもリムはいつだって天気の話をするのね」エルファは小さな口でクスクス笑った。手から色とりどりの花がこぼれる。
 リムは顔を少し、赤らめバツが悪そうに答を空に探した。
「そんな事ないさ。ほら、ここに来てから今日ほどのいい天気はなかったからだよ。青々としているじゃないか」
 リムの言うとおり、空は雲一つない晴天だった。鳥が嬉しそうに飛び、草花もそれに答えるように風に揺れていた。まさに本格的な春だった。
 リムはアルタスという老人の所で世話になって一〇年が経つ、リムはエルファと共に兄弟のように育てられた。三人、兄弟のように。
 そう、彼らのそばにはもう一人、兄弟がいたのだった。
 リムの両親は彼が五才の物心つくかつかない頃、彼と一つの竜の卵を残して亡くなってしまった。そんな彼をアルタスは引き取って、わが子のように育ててきたのだ。
 もう一人の兄弟はその竜の卵、レヴァリオンだった。彼が引き取られて間もなく卵はふ化し、小竜が誕生したのだった。小竜、レヴァリオンはすくすく育ち、二年で成竜となった。
 リム、エルファ、レヴァリオン、そして、近所の小屋に住んでいたガルンとこのエリアンドの大自然の中でのびのびと育ったのだった。
「うん? レヴァリオンかい?」
 不意に顔が嘗められたのでリムは驚いた。レヴァリオンの二本、角の生えた頭をかわいくなでてやる。お返しにレヴァリオンが体中、ぐしょぐしょになるくらい嘗める。
(二人だけの世界を造るなんて、ヒドイよ。ガルンだって知ったら怒るよ)
 竜の音のない声、テレパシーがリムの頭に響いた。もう、慣れきった事だった。
(わかってるよ。嫉妬かい?)
(私が? そんな)
 レヴァリオンは大げさに首を横に振った。風圧が二人の体をよぎる。
 レヴァリオンは大きくなったとはいえ、馬を一回り大きくしたくらいだった。
 エルファはそんな二人のやりとりを見て、うらやましげに思った。
 ほんと、仲がいいのね。
(私達は友達じゃないですか)
 レヴァリオンの思考が無理矢理、彼女の脳裏に割り込んできた。まだテレパシーに慣れていない彼女はこのざらざらした感覚に顔をしかめた。
「わかってるわよ。人の考えにいちいち入り込まないでよ」
 思わず口に出していた。
「エルファ、思考を読まれたくらいで何もそこまで言わなくてもいいじゃないか」
 リムが半身を起こし、なだめるように言った。しかし、それが彼女をさらに刺激してしまったようだ。服の影からほっそりとした白い肩が震えているのがわかる。
「読まれたくらいですって!」
 そして、不意に立ち上がる。
「まったく、何とも思っていないのね……。わかったわ。これからはおじいちゃんが造った柵のようにしっかり思考をガードさせてもらうわよ!」
「て、ことはすぐに壊れてしまうって事だね……あっ」
 リムは口がすべってしまった事に後悔してだらしない顔を向けたがすでに遅かった。
 エルファは心底呆れた様子で、肩をすくめると、肩までで切り落とされた髪を無理矢理かき揚げて、きびすを返して小屋の方へ丘を下り始めた。
「おい、待ってよ。ぼくが悪かったよ」
 だが、エルファは振り返りもせずに肩をいからせて丘を下った行った。
(すまない、リム)
 ばっさとリムは再び寝転がった。
(いや、いいんだ。乙女心はわからないものさ。特に最近はね。もう少しひなたぼっこをしておこう。ほっとくのが一番さ)
 リムとレヴァリオンはいつも一緒だった。まるで一心同体のように。


 リムは街に出た事がなかったので、竜達についてほとんど聞いた事がなかった。だから、このテレパシーのことや他の能力の事にたいして疑問をもたなかった。この年代にありがちなもっと他の楽しい事に関心はいっていたのである。
 しかし数人のアルタスを訪れる人達からは知識を多少得ていた。
 竜と人間が共存するラルスフォンでは、多くの竜と人間の戦争を得てお互いに平和に暮らすようになっていた。そしていつしか竜と人間の間の奇妙な関係がある超自然的能力を開花させた。
 竜と人間が同調する事によりテレパシーのような今まで不可能だった事が可能になったのだ。新たな力の獲得である。
 リムはそんなことは露も知らなかったが、レヴァリオンと自然と同調できるようになっていた。
「なぁ、レヴァ。いつかあの大空の向こうの世界へいってみたいなぁ」
 レヴァリオンの同意の思考が流れてくる。リムは心底リラックスして固い鱗で覆われたレヴァリオンの尾を枕がわりにした。
 接触により二人は同調され、リムは視覚が拡張されたのに快感を覚えた。体全体で自然を体感できる。風の吹き方、草花の匂い、森林、全てが見渡せるようだった。
 今やリムとレヴァリオンは一体化していた。
 リムはエルファの事がやはり気になり、悪い気はしたが視野をエルファのもとへ走らせた。
「…………!」
 いない。もう、帰ったのか?
 急いでリムは自分達の住まいの木で出来た小屋へ走らせようとした。
 人? いや、今日はじいさんは訪問者の事など話していなかったが。
 リムは不可解なこの出来事に明らかに戸惑い、レヴァリオンに救いの手を求めた。
(リム、よく見てみろ!)
 小屋を取り囲むように馬に乗った男達がいた。全員が剣と盾で武装している事から、好意的な訪問者でないのは自明の理だ。
 エルファとアルタスじいさんは小屋の中なのか?
 突然の出来事に我を忘れていたが、何とかすることは決められた。
「レヴァリオン」
 この事はじいさんに止められていたが仕方あるまい。彼はレヴァリオンの背にまたがった。そっと、長い首に両手を添える。
(わかっているさ。リム。急ごう!)
 レヴァリオンは首を低くして後ろ足で勢いよく蹴って走りだした。それも、尋常じゃない速さで。
 初めてこの疾走を経験した時は心底リムは驚いたものだ。馬に乗って走るよりはるかに速いのだ。
 しかしこの楽しみはじいさんによって止められた。彼は竜に乗る事を堅く禁じた。何でも竜の背に乗る事はその竜の威厳を損なう事になるらしいのだ。
 だからリムはこっそりとアルタスが街に買い出しに行った時とかにしか乗らなかった。
 でも、今はそんな事を言っている場合じゃない。
 いったい何者がこんな所にきているのだ!
 丘を矢のように走りながら、リムとレヴァリオンの視野は小屋を捉えていた。今にも男達は小屋に押し入ろうしていた。窓ガラスが割られる。壁が斧によって粉砕される。
 リムは心底怒り、それはさらに速さに増される形になった。
「間に合えっ!」
 リムとレヴァリオンはは叫んでいた。


「手間取らせたな」
 集団のリーダー格の、一人だけ竜をモチーフにした仮面をつけた男が張りのある声で言った。ゆっくりと扉から小屋の中へ入ってくる
「なんだ! 貴様らは! こんな田舎に何のようだ!」
 アルタスじいさんは怒りの形相で叫び、唾液を髭につけながら、辺りにあったランプや花瓶、皿、何でもかんでも投げつけた。
 仮面の男は無造作に飛んでくる物を避け、部下に周りを固めるように指示した。
「ほほう、とんだ歓迎だな。わかったおろう。アルタスとやら。竜だよ。竜を渡したらすぐ帰らせてもらう。手荒なまねはさせるなよ」
「嘘をいうでないわい! 現にこうしておるではないかっ!」
「往生際の悪いじじいめ。まぁ、いい」
 仮面の男は唇を微かに釣り上げた。
「おい、外を調べろ! 必ずいるはずだ。必ずな」
 と、その時もの凄い轟音と共に竜が突進してきた。
「じいさーん!」
「来ちゃいかん! リム、逃げろ!」
 アルタスが突然、扉の方に走りだした。竜の方に行くのだろう。だが、仮面の男が剣で牽制して止めた。ぐっと老人の手首を掴み、釣り上げる。
「チィッ、もう、竜走士が誕生していたのか。計算ミスだな」
 きっと老人の方を仮面の奥の目で見つめる。
「なんとしても、あの竜を捕らえるのだ」
 男は無理とほとんど解っていても、命令した。
 同調した竜と人間は、もし相当訓練を積んでいたとしたらこちらには勝ち目はない。その対策は練っていないからだ。訓練を積んでいないとしても、厄介な事には違いがない。 竜はそのまま小屋の壁に激突してきた。仮面の男はアルタスを引っ張り、あやうく建物の下敷きになるのから逃れた。
「子供だと! おい、どういうことだ?」
 男はアルタスをゆすぶった。アルタスは不敵な笑みを浮かべただけだった。
 この侮辱で男の拳がアルタスの腹にめり込む。うっとうめきながらアルタスは崩れ落ちかけたが、再び腕を引っ張られ無理矢理立たされた。
「レヴァリオン……」
 リムは興奮してしていて、どうやっていいかわからなかった。レヴァリオンもそうであった。二人とも感情が高ぶって暴走しようとしていたのだ。
「待て! 落ち着くのだ。このじいさんがどうなってもいいというなら別だが……」
 仮面の男は自分の盾を捨て、アルタスの茶色の服の胸元を掴み、喉の剣先を突きつけた。
 冷静さを少し取り戻したリムは竜上で怒鳴った。
「じいさんをどうするつもりだ!」
「どうもしないさ。その竜から降りればな」
「だめじゃ! リム、話に乗ってはいかん! こいつ……ぐっ……レヴァを捕まえるつもりなんじゃ!」
「黙れ!」
 仮面の男は剣の柄でアルタスの面を殴りつけた。鼻から血が流れ、白い髭を紅く染めていった。だが、目は凛としていた。
「じいさんに何するんだっ!」
 一瞬竜の目が赤く光り、他の男達が怯んだ隙にアルタスは男の手から逃れようとした。
「何の真似だ」
 しかし仮面の男はそんな事を逃しもせず、再びがっちりと力強い手でアルタスの手首を握った。
「死にたいのか? 死にたいなら死なせてやろうか?」
「ああ、死にたいね。リム、早く逃げるんじゃ、どうせ、用が済めば殺すんじゃろ」
 男はこのやりとりに顔をそむけ、どうしようか思案げになった。この老人が死を恐れていないのがわかった。どう、利用したものか。
「じいさん……。いやだ! じいさんを置いて逃げる訳にはいかないよ」
 リムは怒りにふるえ、涙を流しながら叫んだ。
 男はしめたと思った。部下に目配せしてリムを引きずり下ろさせようとした。
 しかし竜に触れようとした部下が悲鳴を上げた。手をしきりに振っている。熱気が男の所まで漂ってきた。
「ヒートボディか? 火克竜、フォン種なのか?」
 男は後ずさりしつつ考えた。竜は心なしか赤くなっている。確かにフォン種の様に角が二本あるが、大きさはデロン種と同じで小柄だ。それに翼がやけに大きい。
 ますます興味をそそられつつ、男は次の手を考えた。
「………まだ、うまく制御できていないようだな。怪我しないうちに同調をとくんだな。さもないと本当に喉をかっきるぞ」
 男は剣を喉にぴったりくっつけた。そしてゆっくりと老人を盾にしつつ竜に寄っていく。リムは呆然と事の成り行きを見守っていた。
「よしいい子だ。うん、何っ」
 突然、予期せぬ事が起こった。アルタスが剣先が喉に突き刺さるのにも構わずに竜に突進したのだ。
 喉から血しぶきがほとばしり、さらにアルタスの体が炎に包まれた。男はさっと身を引いて一緒に焼けるのを防いだ。
 リムは目の前でアルタスじいさんが燃え上がるのを呆然自失として眺めていた。スローモーションで目の前の残酷な場面が展開されていく。
「じ、じいさん……」
(リム、手を出すんじゃない。君も燃えてしまう)
(でも)
 リムはすぐ手に届くじいさんを黙って見つめ、涙を流した。どんどん影になっていくアルタスの姿を脳裏に焼き付けながら……。
「うぉぉぉぉおおお」
 リムとレヴァリオンの一緒になったおたけびが、草原の小さな家に絶叫がこだました。
「くぅ、馬鹿な事を。おい、一反引くぞ。ここは危険だ」
 仮面の男は切り札を失った事を少し後悔しながら、馬に飛び乗った。恐慌を抱いている馬を何とかだまらせてその場を離れようとする。
 その時、もう一人の部下が馬に少女を乗せて駆けつけてきた。


 運命とは残酷なもので偶然は今度ばかりはリムにとって最悪の事となった。アルタスだけではなくエルファまで敵の手に落ちたのだ。
 悲しみのどんぞこまで落ちた彼をさらに底を掘ってまで落とそうとするのだ。
「エルファ!」
 くらくらする頭を必死で冷静にさせようとし、泣き出したい衝動を抑え、リムは再び仮面の男達と対峙した。
「あのじじいはあっけなく死を選んだが、この娘はどうかな?」
 勝ち誇って男は言い放った。金色の仮面が陽光に反射してまともに顔を見る事が出来ない。
「リム、助けて!」
 部下の一人に縛られているエルファは青ざめた顔で助けを求めた。
 リムはその場を放棄して消えてしまいたかったが、それも出来ずにどうしようもなく背に乗っていた。竜と同調した時の澄んだ思考はどこにもなかった。
 どうすれば……、レヴァリオン、教えてくれ。どうすれば……。
(……リム。奴らの狙いは私だ。私が残れば……)
(……だ、駄目だ! どうせそんな事をしたって、じいさんが言ったようにどうにもならないんだ! それに、レヴァを渡す事なんか出来ないよ。神に誓って)
「どうやら、観念したようだな。さぁ、降りてもらおうか。まことにだらしないことだが、同調を解いてもらわなければ近づけんのでな」
 男は再び威厳を取り戻していた。落とした勇ましく盾を持ち、剣を低く構える。
(同調? 何を言ってるんだ?)
 リムは冷静になったおかげで考える事が出来た。仮面の男達はこちらの事をかなり恐れている。先ほどのアルタスの死の事か。リムの心が痛んだ。
「リム……に、逃げて……」
 エルファはうわの空のように呟いた。だが、リム達にはしっかりと聞こえていた。
(エルファ……)
 テレパシーが届いたのかエルファはうつむいていた顔を上げ、叫んだ。
「逃げて! リムとレヴァリオンはこんな所にいちゃいけないのよ。同調した状態ならこんな奴らじいちゃんの言葉を借りるなら屁よ!」
「何だと、このガキィっ! じじいといい小娘と言い、馬鹿が多すぎる」
 男はエルファに平手打ちをお見舞いした。白い頬が赤く染まる。だがエルファの目は光輝いていた。死を恐れぬ目。
 どういうことだ? この事を覚悟していたとでもいうのか? それとも、このリムとか言う少年の事がそんなに大事なのか?
「エルファをはなせ!」
 リムは叫んだ。一歩、竜が進み出る。案の上、男達は唾をごくりと飲み、警戒した。
(何だって、みんな僕のために……)
「くそぅ!」
 考えてばかりじゃ何も始まらない。リムは思い切って行動に出た。いまいちはっきりとしたヴィジョンは見えていないがレヴァリオンと力を合わせて戦う事にした。
(レヴァリオン、力を合わせてくれ!)
 レヴァリオンは首をさげて正面の男に突進して行った。
 男は突然の事に驚き、剣で応戦しようとしたが、時すでに遅く、はじき飛ばされていた。
 しかしそれを合図に男達が剣を片手に襲いかかってきた。だが、不思議な事にそれはすべてスローモーションに見えた。まるで話に聞いた事のある海を越えた南部の国ヘルマンダスの夏の祭の踊りのように。
 剣の切っ先を避けるのに神経が研ぎ済ませれていくのが自分でもわかる。興奮して戦い以外の事は忘れていった。
 レヴァリオンに乗って丘を疾走したときの高揚感とは違う、何かがそこにはあった。快感のようなもの。アルタスが竜に乗るのを禁止した理由。
 剣を巧みに竜の巨体でも避け、体当たりなどで攻撃していった。一方、男達は先ほどの事が念頭にあるので、まともに戦う事を避けていた。あくまで時間稼ぎの牽制である。
 仮面の男はその間、二人の部下を連れエルファを連れ、戦場から離れつつあった。
「冷静さを失った竜走士は話をしても聞き入れてもらえんからな」
 部下に言い訳でもするかの様に言った。
 それにしても実に興味深い事だ。
 男は一つひらめいた。剣が陽光にきらめく。
 そして女の死体が転がった。


 リムが我に返ったのは全ての男達を殺した後の事である。ある者は角で貫かれ、ある者は焼け死に、ある者は火の息の餌食となった。だが、リムとレヴァリオンはそんな事はおぼろげにしか覚えていない。
「本当にぼく達が殺ったのか?」
 青ざめた顔でリムは呟いた。胃から汚物が戻ってくる。リムは地面にうずくまり、吐いた。自分の汚い所を全て吐き出すかのように。
「ハッっ、エルファ」
 リムは立ち上がり辺りを見回した。男達の死体がある他には何もない。
 リムは横にいたレヴァリオンに手を触れ、視覚を増強した。
 そして、程無く街に向かう途中で倒れている、エルファの首無し死体を見つけた。
「エルファ……、どうして……」
 リムは泣き叫んだ。自分の無力さに。
 自分は戦いに我を忘れてエルファを見殺しにしてしまった。いや、アルタスじいさんまで殺してしまったのだ。
(リム……)
 レヴァリオンは友が嘆き苦しむのを見ても慰める事は出来なかった。自分も同罪だからだ。全能なる竜の神、ソートよ。いるのなら我々に導きを与えたまえ。
 絶望の面もちでリムはよろよろと立ち上がった。
(リム……。待ってくれ)
 どこにいくのかも自分でわからないリムをレヴァリオンは追いかけていった。
 慰めなければ……。私が慰めなければ……。
 レヴァリオンはリムの手を軽く噛んで、何とか気づかせた。
(リム。背中に乗って。一緒に走りましょう)
 リムは魂が抜けたようだった。何とか彼と同調すると、彼らは頭が真っ白になるまで走り続けた。目的もなく。

 リム達が住んでいたエリアンド地方から、南へ馬で二週間下ったエルスラルの首都、エルスムーアの都会的な活気だったストリートを、大河を隔てた西にあるハヴィドール国出身の黒い長髪の男、アリアードはあからさまに不満な顔で歩いていた。黒い墨で顔に模様を描いている、ハヴィドールでは日常的な事だがここでは珍しい。とくに、バシリクスを表す模様をもった男は。
 人々は畏敬の念を持って彼に道を開けていった。
 二週間後に行われる竜走士達の闘いに彼は不満を持っているわけではない。その闘いを餌にいろんな駆け引きが、おもに賭博だが、行われるのに不満なのである。そしてそのため引っ張り出された事にも。
 アリアードは竜と人間が黙々と闘技場を建設するのを楽しそうに見やった。
 竜と人間が同調していない時代は、このラルスフォンの世界をかけて竜と人間が闘い合っていた。
 しかしモスランによる竜との同調の発見によって戦いは終止符を打ち、相互共存の道を歩みだした。だがそれは同時に新たな災いの種を巻いた。
 竜走士になる事によって莫大な力を得ると知った竜と人間は、それぞれ手を組み、人種、竜種の間で争うようになった。欲望を持つ生物の定めなのだろう。
 争いは長く続いたが、竜走士の数も減り、それぞれの国、ハヴィドール、エルスラル、ヘルマンダス、ゴロンダは休戦協定を結んだ。これにより外敵からの脅威にも守れるようになった。
 休戦協定による定めでは、二年に一度行う竜走士達のみによる競争によって地位、権利を決めようというものだった。
 そしてこの競争、〈統一戦〉を取り仕切るために生まれたのが二大組織、ギロンとバイスンだった。この二つは互いの勢力を認め合いながら各国に支部を造り、国の再建にも役だった。
 しかしここにも表面化しないが争いが起きていた。ギロンとバイソンの〈統一戦〉を巡る確執である。
 二つとも政治に関わりすぎたのだった。
 アリアードはいってんしてむさくるしい輩が潜むスラム街へ入って行った。スラッとした長身の彼を見て、カモと思う者はなく、すべてのごろつきどもは逆に馴れ馴れしく礼などをして取り入ろうとした。
 しかしアリアードはそんなことを意にも介さず、すたすたと歩いていく。
「やはり、第一戦は前回のチャンピオン、ハヴィドールのデルス・トリードが有力だと思うのよ」
「しかしみんなそこにかけてくるからなぁ。何か大番くるわせが欲しい所だぜ」
「まぁ、エントリーまであと一週間ある。変わった竜走士が現れるかも知れねぇ。一年以上たったんだ。同調に巡り会えた奴がいるかもわからん」
 意気込んで話し合う男達の横をアリアードはさらに奥に進んだ。ここらへんにくると腐敗も腐臭もなみではない。だが、アリアードは顔を少ししかめただけで先を急いだ。
 ようやく目的の場所にくると、アリアードはさりげなく篭をもった少年の中へ銅貨を放り込んで何やら呟いた。
 少年は帽子を目深に被りなおして何やら合図した。アリアードは満足げにうなずくと少年の肩を叩いてさらに奥に進み、唐突に姿を消した。
「アリアード様。ハルランダ様がお待ちしております。奥の部屋へどうぞ」
 全身の毛をすべて刈ったかの様な白い肌の禿男はうやうやしくお辞儀をしてアリアードを案内した。
「よくぞ来た。こっちへ来たと聞いたが、なかなか呼んでも来ないので心配しとったぞ」
 ハルランダと言う少し太った丸顔の男はクッションに全体重を預け、ワインをしこたま飲んでいた。アリアードがずっとたっているのに今気づいたかの様に、わざと驚いてみせ、同じクッションを勧めたが、アリアードが厭な顔をしたので、普通の椅子を用意した。
「………用は何でしょうか?」
 アリアードは初めて口を開いた。
「アリアード、どうしたんだ。その覇気の無さは? 昔みたいな野獣のお前はどこへいったのだ?」
 ハルランダは皮肉っぽく言うと、ワインを一気に飲み干した。そしてアリアードにも勧める。アリアードは最初断ろうとしたが、ハルランダの形相に負けて頂く事にした。
「私も大人になったということですよ」
 アリアードはさっきの問に答えた。
「大人か? いやはや面白い。むしろお前は大人を通り越して、腐抜けの王みたいな老人だな」
「なかなかおっしゃられる。お祖父さまは」
 アリアードは冷静を保っていた。自分は試されているのだ。
「すまないな」
 ハルランダは口調を変えた。
「少し、噂を耳にしたものでな。近ごろのお前の無関心ぶりと照らし合わせてみると、私としてもつらいものがあるからな」
 ハルランダは声を落とし、脂っこい顔をアリアードに近づけ、真剣な表情で言った。
「まさか組織から抜け出そうとは思っていないのだろうな?」
 これが本音なのだ。アリアードはそう思った。そして次の言葉も予想できた。
「あのおんなのせいか?」
「妹です」
 アリアードは静かに答えた。ハルランダはそのアリアードの落ち着きぶりに改めて感心した。
「妹。アリームにはお前しか子供はいないがな。まぁ、よい。とにかくお前にはまだやってもらわなければならない事がたくさんある」
 アリアードはうつむき加減だった面をぴくりとあげた。りりしし表情がハルランダの方を向く。
「殺しですか?」
 ハルランダ、組織の頭は明らかにこの問に戸惑った。
「……いや、今は〈統一戦〉が始まる前だ。バイスンと事を構える気は上も思っていない。お前はもうしばらく若い者を率い、賭博の管理をしてもらいたい。ここんとこ妖しげな者が多いのでな。それから国王の警備隊の方もうるさいのでな」
 アリアードの不服そうな表情を見て取り、彼は付け足した。
「それからさっきもちらりと言ったが、あまり一匹狼にならんようにな。私も孫を失うのは厭だし、組織にとってもマイナスになることはしたくないからな」
「………わかりました。選択の余地はなさそうですし」
 アリアードはそれだけ言うと立ち上がって、護衛の者が驚くのを後目に扉を開けて出て行った。
「ふん。いきがりおって。父のように痛い目に合ってもしらんぞ」

3 

 バイアという街からさほど離れていない草地でリムとレヴァリオンは疲れ果てて横たわっていた。心に穴がぽっかりと開いたようだった。
(なぁ、レヴァ。どうしよう? もう僕たちには何も残されていない)
(リム。すまない。私のために……。じいさんとエルファが……)
(いいんだ。レヴァが悪いんじゃない。これ以上誰ももう失いたくないんだ)
 リムは頭をからにして綺麗な夜空を眺めた。それに感づいたレヴァリオンもそれ以上何も言わずに顎を草地につけた。
「いい夜空だ」
 リムは思わず呟いていた。もう、何もかも忘れてしまいたかった。彼の心に重くのしかかったものを消化するために。
 リムがうとうとし始めた頃、突然レヴァリオンの叫び声がした。
「どうした? レヴァ」
(誰かくる!)
(あいつらか!)
 しかしそれは予想に反していた。
「リム。こんな所にいたのですか。探しましたよ。小屋の方が……」
 ランタンと共にやってきたのはタリウスおじさんだった。背が低く、茶色の髪に少しの髭をたくわえている。彼は商人だった。
 タリウスの横には小さな女の子が付いてきていた。高価で清潔な赤いスカートをはいている。年齢はリムの半分といったところか。
 彼らの歩いてきた方には馬車があり、御者が注意深くこちらを覗いていた。
「タリウスおじさん……、それにユリナ」
 リムは気が緩むのが自分でもわかった。涙が再び流れてくる。
 タリウスはちょくちょくとアルタスの所へ訪れていてはリムに都会の話をしたり、色んな物を売りにきたりするアルタスの古くからの親友だった。
 リム、エルファ、ガルンにとっては外界を知る絶好の機会だった。
 タリウスはリムの近くに寄り、抱きついてきたリムを優しく撫でてやった。
「気をしっかりもちなさい。私が付いています」
「じいさんが、エルファが……」
 それは声にならなかった。リムは嗚咽をこらえつつ顔を上げた。
「わかってる。さぞ辛かった事だろう。両親に続いて今度は……」
 タリウスも喉を詰まらせた。そしてリムの肩に両手をそっと乗せた。
「おにいちゃん。泣かないで。あたしも悲しくなっちゃう」
 先ほどまでレヴァリオンと戯れていた少女がひょっこりと現れて、リムの顔を覗き込んだ。彼女の鳶色の瞳もうるんできている。
「ユリナちゃん……」
 しばらくしてタリウスはリムを離し、きびすを返して馬車の方へ向かおうとした。
「どうする? 竜に乗って付いてくるか? それとも馬車に二人とも乗っていくか?」
「ありがとう、おじさん。僕はレヴァリオンと一緒に付いて行く事にするよ」
 リムは吹っ切れたように、レヴァリオンの背に手を触れた。レヴァリオンも首を上げてうなずいた。
「そうか、では離れずに付いてくるんだぞ。もっともそっちの方がはるかにスピードは上だが」
「おにいちゃん。元気だしてね」
 ユリナはそばかすのある顔をにこっとさせて、タリウスに引かれて行った。
(とりあえず、行くしかなさそうだね)
(よかったな、リム)


 しばらく無言の行脚が続き、夜も明けかけた頃、馬車はエルスムーアから二日北のバイアという街に着いた。
「一度、ここで休息するとしよう。リム、街は初めてだな。一眠りしたら案内しよう」
 タリウスは馬車から降りて説明した。まだ、早朝なので人気は少なくひっそりとしている。リムが街の風景に気に取られているのにもかかわらずタリウスは話し続けた。
「それから子供の竜走士は珍しいので、不審な輩が寄ってくるかも知れないから気をつけて」
「じゃ、レヴァから降りた方がいいね」
「ああ」
 タリウスは笑顔でうなずいた後、御者に娘のユリナを宿に連れていく様に指示した。娘はすっかり眠り込んでいた。
 馬車が先に進んで行き、タリウスとリム、レヴァリオンは歩いて宿まで向かう事にした。リムに街独特の雰囲気を味わってもらうためだ。
「まだ、早朝で人は少ないが、昼間になればすごい人の数になる。竜達も、特にデロン種だが、たくさんいるので、レヴァリオン殿も喜ばれる事でしょう」
 タリウスの説明と周りに交互に注意を配りながらリムは通りを歩んだ。未知の経験に彼は興奮して眠気など遥か彼方へ飛んでいた。
(リム……)
(どうしたんだ?)
(い、いや。他の竜と接触するのは私は初めてなので、少し心配になって……)
(僕もだよ。でも、大丈夫だよ。きっと)
 彼らは宿屋にたどりついた。


 奈落のごとく黒く淀んだ空。耳をつんざき、大地を割ろうとする雷。
 邪悪な心を持つ影達が陰気な雨の中を歩み、小屋に近づいてくる。
 リムは両親が温かく見守る中、おびえた様にベットの中で眠っていった。両親は悪夢を見ているのだろうと思い、そっと手をとった。
 外界からそれは護ってくれるかの様に見えた。
 だが、それは違った。平和は無惨にも打ち破られたのだ。
 突如、振り下ろされる冷たき鋼の刃。
「リムと卵を連れて逃げるんだ!」
「しかし……あなた……」
 両親の叫び声がまだ幼きリムの耳に響いた。
 必死で雨の中を走る母。迫りくる追手。
 振りかぶられる剣。
「うわぁ!」
 リムはベットから跳び起きた。着ている服は汗でべっとり。シーツを直し、床に足を付くとため息をついた。まだ、足が震えている。
 もう、すでに陽は真上らしく窓から明るい光が射し込んでいた。夢と昨日の事が交錯して再び悲しみの感情に捕らわれた。
「リム。起きたようだな」
 椅子に腰掛けていたタリウスがつとめて優しく声をかけた。どうやら、ずっとリムを見守っていたらしい。
「おじさん……」
 タリウスはリムの悲しい顔を見ると静かにうなずき食事の用意が出来ていると告げた。

 この宿はあらかじめタリウスが用意していたらしく、すべて手筈が整えられていた。リムは用意された白のチュニックを着込み、短剣を腰にさすと一階の食堂に向かった。途中でレヴァリオンを連れて。
 テーブルの前に座ると、温かいシチューやクッキー、果物が並べられた。彼らしかいないらしく、しんとしていた。
 リムがある程度、食べ始めるとタリウスが切りだした。
「酷な事はわかってる。こんな時に話すのは失礼だともわかっている。でも、こんな時だから……今がチャンスだと思うのだ。率直に言おう。リムの竜走士としての能力を買いたい」
 リムが驚くのを無視して彼は話し続けた。
「一度話したと思うが、竜走士が台頭してきて起こった戦争の後、竜と同調できる者、竜走士は激減した。そして各国は戦争をするのを止め、打開策を〈統一戦〉というものに、求めた。殺し合いのない闘いに。私はその〈統一戦〉に出るための竜走士を世話する仕事をしている」
 タリウスは一息ついて、ぶどう酒を喉に流し込んだ。
「そして私は出会った。未知の力を秘めた君と」
「未知の力? 竜走士……」
 リムは理解しようとない知識で無理に頭を働かせた。彼にとってはどれも真新しい事だった。自分が竜走士だと自覚さえしていなかった。アルタスは何も教えてくれなかった。しかし不思議な能力の事は理解できた。不意に背筋がぞっとした。
 さらにリムは〈統一戦〉の事を聞かされた。二つの組織、バイスンとギロンに統制された竜走士によるレース。タリウスはギロンという組織に属していた。さらに彼の興味を引いたのは、優勝者には各国の王、皇帝に対する特別免除権だった。すなわちほとんどどんな願いもかなえてもらえるのだ。
 さらにタリウスから竜を狙っている者の情報を聞かされた。そう、バイスンという組織が絡んでいると言うのだ。リムが言った仮面の男はハヴィドールの者だと言う事も(ハヴィドールの人々は仮面を指輪のような装飾品として扱っているのだ)。
 ギロンとバイスンはエルスラル、ハヴィドールを本部として、各国にあり、〈統一戦〉を管理して、各国の争いを統制していたが、いつしか二つは対立するようになった。バイスンはギロンの政治に干渉するのを嫌い、ギロンはバイスンの盗賊ギルド的な運営に不満をいだいたのだ。
 リムはうつむいていたが、不意に血がたぎるのを感じた。今は何かに燃えていたいというのもあった。何よりも自分とレヴァリオンについてもっと知りたかった。
 彼は決意の目で言った。
「おじさん、僕、やってみるよ。どこまで出来るかわからないけど、今、これをしなくちゃいけないと思うんだ。もう、じっとしているのはいやなんだ」
「そ、そうか。ありがとう。では、私は支度をさせてもらう。リムはゆっくりと休んでいてくれ」
 タリウスの目が光り輝いた。彼も喜んでいるようだった。
(レヴァ、これでいいかい?)
(リム。私は君と同意見だ。一緒にがんばろう)
(ありがとう)
 リムは目頭が熱くなるのを感じた。自分を助けてくれるのが嬉しかった。
 熱き血が体中を流れ、新たな旅立ちに胸が踊るのだった。

 アリアードはエルザン通りの仮の住まいに返ってきていた。どこからか楽隊のらっぱの音が聞こえてくる。
 エルスムーアの仮の住まいに戻ってきた彼は、薄暗い部屋にすっと入り、腰帯から剣をはずして無造作にテーブルに置いた。
 どんどんとまったくうるさい。
「お帰りなさい」
 奥の扉が開き、青いすらっとした長い髪の女性が現れた。清楚な感じのする二十才の女性だった。白い絹のドレスに身を纏っている。
 アリアードはファルナの毎度毎度の衣装に苦笑しつつも、椅子に腰掛けた。家の中でもここを外だと思っているみたいだ。
 ファルナは飲物を用意した後、燭台に火を灯してアリアードの向かいの椅子に座った。
「兄さん。今日ね、買い物に行ったらとても素敵な指輪を見つけたの! 今度一緒に見に行きましょう?」
「……仕事が片付いたらな」
「でも、仕事が終わったらすぐにここを発っちゃうんでしょ。まったく、つまんないわ」
 ファルナはアリアードのすこし焼けた顔をうかがった。八才上の彼の顔は数年前の気性の激しい所はなかった。
 彼女はため息混じりにワインを飲み干した。アリアードは感情を表さずにファルナを見ている。
 ここの所、兄さんの調子が変だわ。まるで生気が抜けているよう。二、三年前の様な命をかけて毎日を生きている様な事はなくなったけど。ファルナは安心していいのかわからなっかった。何か空虚なのだ。
「ファルナ……」
 アリアードはそんなファルナの心を見透かしたかの様に呟いた。
「どうしたの?」
 アリアードは突然立ち上がった。
「少し、出かけてくる。戸締まりを先にして、先に寝ていろ」
 後は何も言わずに出て行った。


「アリアード。こんな所にいたのか?」
「フィッツ・フェニーか。もう、こっちに来ていたのか?」
 アリアードはしゃれた酒場でグラスを傾けていた。どこも祭前みたいににぎやかだ。
 昔なじみのフィッツは振り向きもせず、答えるアリアードに肩をすくめて隣の椅子に座った。
「今日の朝着いたんだ。早めに来て竜の調整をしとこうと思ってな」
 フィッツは喋りながら、集団の客の目が竜走士の自分に集まってきているのに得意になっていた。アリアードが答えないのをいい事にまくしたて上げた。背後ではフェサリス・ドラゴン(知魔竜)が歌って場を盛り上げている。
「だけどよ、お前が竜走士でないのが残念だぜ。同調はそっちの方が凄かったのにな。八年前の戦争を思い出すぜ」
「あいつはもういないんだ」
 アリアードの言葉は喧噪の中に消えた。だが、フィッツはその言葉を読みとっていた。
「すまねぇ。だが、他の竜がいるじゃないか? フォン種なんかどうだ? なんなら紹介するぜ。お前なら同調できるかもしれねぇ」
「すまない。もう興味がないんだ」
「ハハ。まぁ、俺に金を賭けてくれよ」
 フィッツは少し戸惑いつつ、笑って話し続けた。だが、アリアードは不意に立ち上がった。
「仕事が残ってる。これで飲んでいくといい」
 彼は無造作に金貨をカウンターに置くと、出て行った。
 フィッツは呆然と見送った。しかしすぐさま機嫌を取り直し酒をがぶ飲みしていった。

 リムの身辺がけたたましく、回り始めた。タリウスは早々とスタッフを呼び寄せ、自分は首都へ急いだ。長い間、組合を放っておくわけにはいかないのだ。それに、登録の事もあった。
 まるで待機していたかの様に集まってきたスタッフは早速リムとレヴァリオンのデータ収集に取りかかった。それはもうてきぱきとしたものだった。
 まず、チームをつくるわけだが、その監督として派遣されたのは、エルスラル出身の三十才男性のリバーブ。どこか頼りなさそうに見えるが、人当たりの良さそうな人柄なのでリムは安心して従う事にした。
 竜に装備する鎧、竜甲を整備する甲師、スクールとデイズ。スクールは無口の大男で一見恐そうに感じたが、実際もわからない。そしてデイズは南部ゴロンダ国出身の二十三才の女性だ。どこか知的で、竜甲のデザインを担当している。
 速さを競う事の多い〈統一戦〉では、彼女のデザインが勝敗を決する事もあるのだ。如何に軽く、丈夫であるかだ。
 最後に医師のソロ。みんなはドクターと呼んでいる。竜の調子やリムの状態を管理するのが主な仕事だ。
 そこにタリウスの娘、ユリナ・ブラナが加わってチームは形成されることになった。
「ドクター、やはりわからないのですか?」
 リバーブが診断の結果を見て訊ねた。
「うむ、テル種(地古竜)の様にも思えるが、形としてはフォン種(炎黒竜)にも似てるとも思える。それにリムの属性もわからないのじゃ。火とも風ともとれる」
「ドクターとしては珍しいわね」
 デイズがレヴァリオンのスケッチを持ってきて言った。
「……これは、竜甲の原案かな?」
 リバーブがのけぞりながらスケッチをのぞき込んだ。ソロもどれどれとのぞき込む。
「監督。『かな?』じゃないでしょう。急がないと間に合わなくてよ」
「わかてるよ。おい、スクール、連絡は来てるか?」
「まだですよ」
「大型馬車の手配をオーナーにたのんどいたのだけどな。どうやら、まだみたいだ。実際的に考えても焦っても仕方がないと思わないか?」
 彼らがいろんな議論をしている横で、リムとユリナは遊んでいた。
「じゃ、他にどんな所にいったの?」
「うんとね、竜がいっぱいいるとこ。パパは竜の勢力圏といっていたよ」
「いいな。いろんな所にいってるんだ」
「うん」
 リムは羨望していた。彼は幼い頃から小さな山小屋でしか暮らした事がないのだ。大自然には恵まれていたが。再び悲しい事が思い出され、言葉に窮してしまった。
「しかしパンポットが遅いな」
 リバーブが部屋の扉のそばに来た。リムとユリナのすぐそばだ。リムは顔をあげて訊ねた。
「誰ですか? それは?」
「うん? 通信係だよ。レース中、リムやレヴァリオンとコンタクトをとるためにね」
「へぇ、でもどうやって?」
「君がレヴァリオンとやるように、ここを使うんだよ」
 リバーブはにこやかに指で頭をさした。
「おや、噂をすればなんとやらだ」
 宿屋の部屋の扉がノックされ、リバーブが入るように指示すると、ニョキッと長い首が入ってきた。リムは驚いて立ち上がった。
 竜であった。口でノブを回し、入ってきたのだ。
「オクレテスミマセンデス」
「り、竜が喋った?」
 再び、リムは跳びあがらんばかりに驚いた。横ではユリナが面白そうに指を加えて見ている。
「リムは初めてのようだな。ドクター、説明頼む」
「うむ。パンポットはフェサリス種。彼らは声感帯が他の種より発達しているのじゃよ。わしらと同じ言葉で喋れるのじゃ。まったくもって驚く事じゃろ」
「ヨロシク。リム、レヴァリオン」
 パンポットは丸い目を片方だけつむり、愛想良くお辞儀した。
(こりゃ、驚いたね。人間の言葉が喋れる同胞がいたとわね)
(よろしく。レヴァリオン。わからない事があったら僕に何でも聞いて下さいな)
(あ、ありがとう)
「これで、そろったな。スクール、とりあえず乾杯といこうじゃないか。飲物を持ってきてくれないかな?」
 リバーブはにやりとソロの方を向いた。ソロも髭をひっぱりつつうなずいた。
「あの、そんなにお金の余裕はないんですけど……」
「うーむ、オーナめ、金持ちのくせしやがってぇ」
 リバーブはおどけて見せた。
「そんな事いっていいのかしら?」
「いや、断じて駄目です」
 デイズがたしなめると、リバーブは舌を出して、訂正した。そしてユリナに念を押してそんな言葉はいっていないと言った。ユリナは笑って、そんなことは知らないとしらんぷりを決め込んだ。
 一同和やかな雰囲気に包まれていた。リムにはとても心地よかった。
「とにかく、馬車が来ない以上出発は明日だ!」


「竜走士は人間と竜の波長が合う事によって能力が飛躍的にアップし、その超自然的な能力を使いこなせる人たち、竜たちのことをいうんじゃ。現在は竜との接触によってそれは成されているのじゃ?」
「僕は特別なんですか?」
「いや、それは一概にはいえんが、偶然か預かりしらんが、波長の合うレヴァリオンという竜に合ったからかもしれん。わしだってどこかに波長の合い、同調できる竜がいるかもしれんからの。現在は竜走士は貴重な存在なんじゃよ。だから、戦争で竜走士を失わすのはやめにしたんじゃよ。外敵という要素もあるしな」
「竜走士ってそんなに凄いんですか? 僕の感じじゃ……」
「竜走士の能力は、竜の基本能力と乗り手の能力が乗じて発揮されるとされておる。あとは経験がものをいうがの。リムの場合はまだどれくらいの能力が引き出せるのかわからんのじゃ」
 ドクターは揺れる馬車の上でリムに講義をしていた。横では聞くのに疲れたユリナが丸まって寝ている。
 彼らはエルスラルの首都、エルスムーアに向かっていた。〈統一戦〉の第一戦まで九日ある。
「僕、ずっと、レヴァリオンと一緒にいて、一度もそんな事は知らなかったんだ。まさか、そんな凄い事なんて、じいさんも何も言わなかったし」
「正しい選択かもしれんな」
「え?」
「リムのおじいちゃん、アルタスはリムの危険を感じてそっとしておいたのじゃろう。強大な力を持つ事はそれだけ危険をしょいこむことになるからな」
「………だから、狙われたのか……僕のせいだ」
「いいえ、それは違うわ」
 デイズが馬車の奥から現れた。運転しているのはスクール、横にリバーブが座っているが、彼は背にもたれて眠っている。
「どうしようもない事なのよ。アルタスさんやエルファさんの事は気の毒だけど、彼らの死を自分のせいにしては駄目よ。リムにはもっと元気になって欲しいのよ」
 リムはしばらくうつむいて肩を震わせていたが、しばらくしてうなずいた。
「そうじゃな。それでこそ男の子じゃ。さぁ、レヴァリオンとパンポットの食事の時間じゃ。この岩を持って行ってやるんじゃ。特別性だから力が出るぞ」
「あ、ありがとう」
 リムはバケツに入った岩のかたまりを持って、二台目の馬車に寝そべってる二人の所へ急いだ。当方に町並みが見えた。それはとても荘厳に見えた。あそこで自分の闘いが始まるのだ。
 重い岩を一生懸命担ぎ、溢れ出る涙を堪えながら少年はエルスムーアの街の活気を眺望した。


[予告]
 〈統一戦〉。リムにとっては初めての闘いだった。迫りくる恐怖との闘い、突然のハプニングに戸惑う人々。
 リムはゴールに向けてひたすら走り続ける。
 第二章『選ぶべき道』

 


これはかなり前に一編だけ書いてそのままになっております。ちょうど「サイバーフォーミュラー」にはまっていて、竜にのって世界を転々とレースして回るという話しを考えたのでした。名前はMIDI音源からとったりしています。なんてあさはかな。ま、日の目をみることはないでしょう。

 

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