カリフォルニアワインの歴史

あなたはどれほどカリフォルニアワインが好き?

温故知新

古きを知って新しくを知る!
マズは歴史を知って見ませんか?

左は昔のカリフォルニア・インスティチュートの発表の記事です。
右は勿論私の感想&補足です。
カリフォルニアワイン史
THEHISTORY OF CALIFORNIAWINE
 コロンブスの新大陸発見より500年の歳月が過ぎた。 カリフォルニアへワイン造りが伝えられたのは、 新大陸発見よりおよそ3世紀後である。
いつ頃?
西暦1000年頃、それの史実は色々説がある。
ワインを知る上では、おおよそでいいのでは?
 カリフォルニアにワイン造りを伝えたのは、メキシコより 「エル・カミノ・レアル(神の道)」と呼ばれるルートを北上し つつ布教活動を行っていたキリスト教の伝導者たちである。
 1769年、フランシスコ派イエズス会のユニペロ・セラ神父は 南カリフォルニアのサン・デイエゴにミッション(伝導所)を創立し、 神の血と呼ばれる聖餐用ワインを造るためにぶどう畑を開いた。 これがカリフォルニア最初のぶどう園である。
例外では無い!
ドイツにもフランスにもワインを持ち込んだのは、 キリスト関連の宗教である事を忘れてはならない。
 その後も伝導者は北上を続けソノマ・ミッションに至るまで 21のミッションを築き、カリフォルニア各地にワイン造りを伝えた。 伝専者がカリフォルニアに伝えたぶどうはヴィニフェラ系のミッション 種であったが、現在はほとんど栽培されていない。 
「ヴェニフェラ」の頭にはヴィティスが付くのです。 これは全てのワインの語源にもなっているのです。イタリア&スペインはヴィーノ (Vino),ポルトガルはヴィーニョ(Vinho),ドイツはヴァイン(Wein),英語は(Wine)等など、、、
食用品種はヴィティス・ラブルスカと言います。
 販売を目的とした本格的なワイン造りは、ボルドーで生まれ育ったフランス人、 ジャン・ルイ・ヴィーニュによって始められた。1931年ヴィーニュはロサンジェルスに ミッション種を植えたぶどう園を開き、1933年よりワイン造りを始めた。 その後ヴイーニュは故国より苗木を取り寄せ、ヴイニフェラ種によるワイン造りに着手し成功する。
1933年これがポイント!
やっぱり、持ち込んだ人はフランス人。
 ワイン造りが伝えられた当時、カリフォルニアはスペインが統治するメキシコの領土で あった。やがてスペインより独立したメキシコはアメリカと戦い、1848年、アメリカが勝 利し、カリフォルニアがアメリカ領となった。同年サクラメントの東、シェラ山脈の麓で金 鉱が発見され、カリフォルニアはゴールド・ラッシュの時代を迎えた。一獲千金を目指す 移民が殺到し、この時の移民をフオーテイナイナーズと呼ぶ。
フォティーナイナーズはNFLのチームでも有名ですね。 これが名前の由来だそうです。
 フォーティナイナーズの大半はヨーロツパからの移民であり、ぶどう栽培とワイン醸造 についての知識をもつ者も少なくなかった。
 自称ハンガリーの伯爵アゴストン・ハラスツィーもその中の一人であった。 ハラスツィーは州会議員、造幣局長官を勤めた後、ワイン造りに転じ、 1857年ソノマ・ミッションのぶどう園を購入、新たにヴィニフェラ種を植え、 同地にワイナリーを築いた。さらに南北戦争の勃発した1861年、 ヨーロッパに渡り300種の醸造用ぶどうの苗木と、ぶどう栽培醸造の技術を持ち帰り、 カリフォルニアのワイン造りが飛躍する契機となった。
 戦争がワインを美味しくしたの?
でも、この時代で1861年140年前ですぞ!日本はどんな歴史だった? 親しみが湧いて来ませんか?
 1869年には大陸横断鉄道が完成しワインの販路が拡大するなど、1860年代から80年代に かけてカリフォルニアワインは最初の黄金期を迎える。1900年のパリ万国博覧会のワイン 品評会では(出品された)カリフォルニアワインの半数が金メダルを獲得している。
 ヨーロッパほどではなかったが、1870年代半ばよりフィロキセラがカリフォルニア各地 のぶどう園に蔓延し被害をもたらした。このフィロキセラ禍を契機に1880年、カリフォル ニア州ぶどう栽培委員会が発足し、1887年にはカリフォルニア大学に農学部が創立されぶ どうの栽培醸造に関して本格的な研究が開始された。
ヨーロッパにフィロキセラが上陸したのは1864年 (イヤムシ)と覚えましょう。 デイヴィス校が出来るのはもう少し後です。
 カリフォルニアワインに壊滅的な打撃を与えたのはフィロキセラではなく、1919年に制 定された禁酒法であった。禁酒法下では販売を目的としたワイン醸造は禁止され、宗教儀 式用または医療目的のワイン醸造を許可された数社を除きワイナリーは総て廃業に追い込 まれた。
 1933年に禁酒法が廃止されるや、カリフォルニアのワイン産業は直ちに活動を再開する。
「宗教儀式用」これはポイント!
当然この時期バーボンも大変な時期でした。
 1933年もう日本では、昭和が始まって居ますね。 でも、1933年はカリフォルニア・ワイン元年なのは事実です。
 解禁翌年の1934年にはワイナリーを中心にワイン関連業者の連合体「ワイン・インステイ テュート」が組織され、ワイン業界が結束してワイン産業の振興に当たるようになった。 同時期、カリフオルニア大学デイヴィス校農学部にぶどう栽培醸造学科が開設され、栽培 醸造の専門家、技術者の育成と、栽培から醸造にいたる体形的な研究を開始した。その後 カリフォルニア州立大学フレスノ校にも同様の学科が創立された。
 以降、ワイン産業と大学の研究機関は密接な関係を保ちながら、土壌や気候といった自 然環境、品種の改良、新しい栽培方法などぶどう栽培に拘わる調査研究と、醸造技術の研 究開発を行い、数々の成果を挙げてきた。ケイン・プルーニングのシステム、ドリップ方 式と呼ばれる灌漑設備、低温発酵の技術などはその一例である。
  だから、デイヴィス校はまだ歴史が浅いのです。 今のカリフォルニアワインの礎が在るのです。その法律は後日UP致します。 でもその法律が現在のカリフォルニア・ワインを育てたのも事実です。
 こうした努力が実り第2次世界大戦後、ワイン産業はかつての繁栄を取り戻す。1960年 代後半、当初大手ワイナリーよりブティク・ワイナリーと呼ばれた量ではなく質を追及す る小規模なプレミアム・ワイナリーが登場する。やがてプレミアム・ワイナリーの造る質 の高いヴァラエタルの白ワインが消費者の支持を得て、ワイン・ブームの火付け役となる。 健康指向を強めたアメリカ人は、食前酒としてカクテルの代わりに白ワインを飲み、その まま食事も白ワインで通すようになったのである。1970年代に入るとプレミアム・ワイナ リーが続々と創立され、ワイン消費量も急増し、1980年代、カリフォルニアワインはかつ てない繁栄の時を迎える。
  その間、ブラッシュワインと称して今の カリフォルニア・ワイン産業を支えたヒット ワインが存在した事を忘れてはいけません。  実は日本国民と同じような時期に、アメリカ人も本当の美味しさを分かったのです。
  なのに日本人はやっと現在だね。
 1960年代後半に150社であったワイナリーの数は、1975年に321社、現在は700社を越えて いる。現在カリフォルニアは全米のワイン生産量の約9割を産出し、1州で世界第7位の ワイン生産量を誇るワイン・ステートとなった
 消費の中心は70年代に赤から白へ移り一時は7割近くが白ワインであった。80年代後半 からはブラッシュ・ワインが爆発的な人気を呼んでいる。アメリカのワイン消費量は1986 年をピークに減少しているが、ヴァラエタル・ワインの消費は増加している。
  ナパ・ヴァレーのメリテージ・ワイン(ボルドー・スタイル とも言う、 品種ブレンドワインのこと)は人気を得るのに時間がかかった。 初のメリテージ・ワインはジョセフ・フェルプスのインシグニアで1974年(発売は78年)。 その次がコレクターの為だけに作った、フランシス・フォード・コッポラの“ルビコン”で 1978年!その78年は、スタッグス・リープのカスク23がパリで並み居る ボルドーの グラン・バンをブラインドで打ち負かした年。
この頃に買えば本当にカリフォルニアのワインは安かったでしょうね。
 今やワインの消費が量から質へ移りつつあるが、カリフォルニアの生産者は、これまで と変わらず、さらにリーズナブルで品質の高いワイン造りにチャレンジしている。  だから!本当に近年のカリフォルニアはすごいワインが目白押し。
お勧めの背景は歴史にあり。